03(余談)グレッグとイヨタのこと
よろしくお願いいたします
03(余談)グレッグとイヨタのこと
この時のグレッグとイヨタは日本国外務省外事局に勤める公務員ということになっていた。だが外務省の人間は誰も二人のことを知らない。実際は国際総合教育開発機構というNPOのメンバーであり、このNPOは外務省の後援を受けている、らしい。見た目だけで言えばグレッグはアフリカ系、イヨタはネイティブアメリカンであるが彼らの国籍は日本である。イヨタは日本のカソリック系慈善団体の招待で十五歳の時に初めて日本を訪れた。イヨタにとって最も衝撃的な日本は「カツ丼」と「定食」だった。彼が英語と不慣れな日本語の両方で書いたレポート「定食という宇宙」はそのような慈善活動に関わる大人たちにもてはやされ、翌年には招待してくれた慈善団体の古参メンバーの養子として移住し国籍を得た。今の組織に誘われたきっかけは十六歳から大学院までずっと同じ定食屋でバイトし続けていたことなのだが、グレッグが客として店を訪れたことがあったのは全く覚えていなかった。
一方のグレッグは日本生まれ日本育ちの日本人である。本名は真屋圭二。父はソマリア人、母は日本人であるが、彼自身の見た目は完全にアフリカ系である。アフリカ系アメリカ人とも異なる、説明するにもデリケートな違いをグレッグ自身はずっと感じていた。彼が初めてパスポートを利用したのは両親の遺体を引き取りにケニアに行った時だった。大学卒業を祝う食事会をしたあくる日には二人は機上の人だった。子育てがひと段落したのでアフリカでの人道支援活動に力を入れるのだと、どちらかと言えば母の方がノリノリで父は心配なので付いて行くという感じだった。ケニアから陸路を乗り継いでソマリアに入って数日も経たぬうちに帰らぬ人となった。両親が殺された理由は分からないが、ケニアの空港で彼は帰るところがなくなったと感じてしまった。どうして突然そんな感情に襲われたのか今でも分からない。だがどこにでも飛び立てるはずの空港で、どこに行くことも帰ることもできないという焦りは呼吸さえ止めてしまいそうだった。
「余計なことは考えなくていい。」
そんな時に痛いと感じるくらいにがっしりと彼の肩を掴む人がいた。両親が所属していたNPO理事長の永原だった。
「こんな時のために名付けをしたわけではないのだが、圭二くん、君の名には土が二つ入っている。お父さんの国とお母さんの国だ。長男なのに二という漢字を入れたのは二本の線路のように付かず離れず、どんなことからも適切な距離を保てる人になってほしいと願ったからだ。君のご両親はこの名前を大変気に入ってくださった。だから今のその感情からは距離を置きなさい。冷静さと客観性、これが日本人の特性だ。君は明らかにその特性を持っている。だからその感情からは距離を置きなさい。」
幸いなことに外見のせいでいじめられた経験はない。あったかもしれないが彼自身がいじめられたと受け取ってはいなかった。だが両親を失った途端、普段蓋をしていた疎外感が一気に溢れ出してきた。このままアフリカにいる方が実は心穏やかに暮らせるのではないかと思ってしまった。だがそれは自分と祖国を愚弄する行為だった。
「ありがとうございます。もう大丈夫です。」
永原のおかげで取り乱さずに済んだが、空港のロビーはしばらく好きになれそうになかった。
ありがとうございました