97 翌朝
ちゅん、ちゅん。
いつの時代にもスズメはいるのだなと、ハナはぼんやりと思いながら、屋敷に戻って来た。庭に降り立つ。しかし、スズメは屋敷を飛び越え行ってしまった。理由は分かるが。
一晩中妖怪を相手にし、竜杏という名の人間を知っているかを聞き回った。普段よりも疲労感を感じる。戻ったらしばらく眠らせてもらおうと縁側へ足を向けた。朝日が庭先を明るく照らし出す。太陽はとても美しく、ハナはしばらく庭に立っていた。
「ハナ殿、戻ったのですか。……夜通し?」
声のする方を見れば、御館様が縁側に出た所だった。
「もう起きたのね」
「えぇ……まぁ」
どうにもうまく寝付けず、うとうとしては眠りに落ちるのだが、しばらくすると目が覚めてしまう。それを何度か繰り返し、外が明るくなって来たのでもう寝る事は諦めたのだ。原因は一つ。タエの存在が気になったのだ。
「お姉ちゃんの護衛は、どうだった?」
縁側に座った御館様の側に来るハナ。しっぽを優雅に振りながら歩いてくる様は、とても毛並みが良い事を表していた。触れれば気持ちいいだろうなと、御館様は素直に思った。
「すぐに熟睡してました」
「え゛」
「最初は、晴明の言葉を無視して俺の部屋に入れなかったんです。そしたら黒いもやが出てきて、すぐに消してもらいました。晴明の言う通りでしたよ。あの子に部屋にいてもらったら、何にも邪魔されずに夜を過ごせた。本当にすごいですね」
御館様は無意識にハナに手を伸ばし、触れようとしたら、思った通り、手はハナの体をすり抜けた。
「貴船の龍神様の加護を受けてるからね」
「神の使い、か……。あの子も?」
「ええ」
「巫女とはまた違う?」
「巫女は神を崇め、口寄せや信託を告げる者と認識してる。私達はそれとは違う。直接妖怪と戦うから。神の力を直接行使するの」
「巫女よりも近い存在ってわけですか」
「そう」
生きている人間が、そこまで神域に近い所にいるなど考えられない。御館様はタエにそれほどまでの魅力があるのか疑問に思った。後ろを振り返ってみると、開け放たれた障子から、部屋の奥にごろんと丸まっている姿を確認する。ハナもそちらを見て、苦笑した。
「ちゃんと護衛できていたなら、いいでしょう……」
「存在だけで妖怪を退けるんだから、あれでも合格ですね」
御館様も口の端を上げて笑う。二人は顔を見合わせ、笑い合った。
「なんか……恥ずかしい」
タエは箸を持ちながら、俯いていた。安心する香りの中、何かの気配を感じて目を開けてみれば、目の前に御館様がしゃがみ込み、自分を見下ろしていたのだ。
「よく寝てたね」
「あ……あぁ!!」
「顔、洗っておいで。寝ぼけ顔に、頭が爆発してる」
よだれを垂らし、寝癖がひどかった。鏡を見て絶句したほどだ。
「御館様の部屋で、爆睡してたなんて」
緊張していたはずなのに、あの部屋の香りにすっかり癒されてしまったらしい。藤虎が用意してくれた朝餉を、自分の部屋で食べている。目の前にはハナだ。
「でも、護衛は合格だって」
「部屋にいるだけでいいからって言うけど、どう時間を潰せばいいのか……」
焼き魚に味噌を付けて食べる。ふと思い、味噌だけ食べてみる。塩分は強い。しかし、味は悪くない味噌だ。
「今夜は私が御館様に付くから、盛大に暴れておいでよ」
「うん。ハナさんの方はどうだった?」
「空振り。狙うなら御館様だって言う奴がいたくらい」
「そっか」
ハナは、真剣な表情になった。
「鬼と戦ったんだけどね」
「うん」
「私の龍登滝を中から破壊したの」
「えぇ!?」
タエが声を上げる。ハナは、昨夜の出来事を話した。
「強かった。放つ気配が他とは違ってて。晴明殿が言ってた鬼の可能性もある。もしかしたら、今夜も出るかも」
「了解。注意する」
頷き、ごちそうさまと箸を置いた。
「そういえば、御館様は?」
「用を足しに」
「一緒に行かんでいいの?」
常に側にいなくてはならなかったはず。
「私の毛を手首に絡ませてある。短時間なら離れても大丈夫なの。側に戻れば毛に神力が充填されるし。やっぱり、トイレは一人がいいでしょ。朝、相談されたの」
「ハナさんの毛にそんな効果が。っていうか、二人、仲良いの?」
相談するほど、ハナは彼の信用を得ているのか。少し、羨ましいと思ったタエ。
「まぁ、今朝普通に話したよ。最初、冷たい印象だったから、ちょっと意外で驚いた。敬語で話すのも、やめようって」
人と対する時とは違い、彼が纏う空気も、表情も、ハナが見ていたものと違った。
「私はかわいいワンちゃんだから? 心をほどきやすいのかも?」
いつも“ワンちゃん”と言われるのを嫌っているハナが、自ら茶化して言った。タエはそれにも驚いていた。
「なんか、ここに来てハナさんの印象も変わった? いつも気高い感じやのに」
「そう? 私、御館様と藤虎、気に入った」
ご機嫌さんに尻尾を振っている。タエはふぅんと笑みをこぼしながら相槌を打つと、膳を持ち立ちあがった。
「これ、持って行ってくる。藤虎さんに相談したい事あるし、ハナさんは護衛頼める?」
「うん。御館様が外出するなら、お姉ちゃんに任せていい? なんか疲れて」
「分かった」
笑顔で頷くと、タエは台所へと急いだ。
台所へ到着すると、藤虎が後片づけをしている最中だった。
「タエ様、恐れ入ります」
「いえ。私こそ、食べるのが遅くなってすいません。あの、ちょっと相談があるんですけど……」
「……何、これ」
昼の食事の席にて。三人揃って食事をしている。貴族の家ではこういう事をしないらしいのだが、タエ達は、一緒に食べられる時は膳を突き合わせている。
御館様が汁椀を持って呟いた。タエが口を開く。
「お味噌汁です」
「味噌汁?」
「味噌をお湯で溶いた汁物です。中に大根、人参を入れてみました」
御館様の目がタエを見据える。少し驚いたように目を見開いている。
「タエが作ったの?」
「はい。この味噌、食材に付けるだけじゃもったいない気がして。私が家でよく作ってた味に近い味で出来ました。口に合えばいいんですけど」
タエが眉を寄せる。藤虎が力説した。
「一口飲んでみてください。味噌にこんな使い方があるなんて、知りませんでした。私は美味いと思います」
「……飲んだの?」
「味見を。いやぁ、驚きましたぁ」
にこにこと興奮気味で話す藤虎は、なかなか珍しい。そこまで言うならと、御館様も椀に口を付けてみる。
「藤虎殿に相談て、味噌汁の事やったの?」
「うん。私に一回作らせてくださいって言って」
タエが御館様を伺えば、彼はじっと椀を見つめていた。
「……うまい」
「でしょう!?」
藤虎が声を上げた。タエも笑顔になる。
「ワカメとか、中に入れる具を変えれば、いろんな味になりますよ」
「あんた、料理できるの?」
「家では、お母さんの手伝いをしてたくらいですけど、お味噌汁は私が作ってました。他はうろ覚えで、自信はないですけどね」
「他に出来るものがあれば、作ってみて。未来の料理に興味がある」
「がんばってみます」
タエがこの屋敷でやれる事が出来た。それが嬉しかった。彼に認めてもらえたようで、ただの護符代わりだけではない役割を与えてもらって、素直に喜んだ。
「今日は頼光様の屋敷に行く」
「は」
今日の予定の確認だ。次の言葉はタエとハナに向けられた。
「二人の内、どちらかに来てもらわないといけない。どっちが来る?」
「あ、私行きます。ハナさんは夜の仕事で疲れてるので」
朝の話を思い出し、タエが答えた。
「じゃあ、昨日着た着物を着て玄関に来て」
「分かりました」
太陽は真南の高い位置から地上を照らしていた。今日も晴天だ。
タエの前には御館様と藤虎が歩いている。御館様は、大きめの扇子を持ち、鼻から下を隠すように覆っていた。晴明の屋敷に行った時も、扇子を手にしていた記憶がある。
(貴族の歩き方なのかな)
タエはそんな事を考えながら、後を着いて行った。
「おい、聞いたか?」
「ああ。また鬼が出たんだろ?」
タエの耳に、男性の会話が聞こえた。
「何でも、関白様の御屋敷の蔵から、金品を盗んでいったとか」
「蔵の分厚い扉を素手で破壊したのだろう? 鬼でもなきゃあ、出来ない技だな」
「鬼が、泥棒?」
タエは首を捻る。鬼が人を襲わずに、盗みを働くなど、聞いた事がなかった。
「タエ様?」
藤虎が、タエが着いて来ていない事に気付き、声をかけた。二人の所へ駆けて行くタエ。
「また転ぶよ」
御館様がすかさず言った。タエは渋い顔をしつつも、今聞いた話を訪ねてみた。
「気を付けます。さっき、鬼が出たって。この時代の鬼って、泥棒までするんですか?」
御館様は腕組みをして、話をしていた男性達の後ろ姿を眺めた。
「目撃者がいるから、間違いないんでしょ。少し前から出るようになったらしい。盗みだけじゃない。前は、殺しもあった」
「かなりひどい状態だったようです。人間の所業ではないと」
ハナが出会った鬼だろうか。タエは眉をひそめた。
「そういえば、御館様って、妖怪に狙われる体質だって、言ってましたよね?」
「だったら何?」
タエは御館様を見た。
「何で狙われるんですか?」
妖怪や幽霊を、知らずに呼び寄せてしまう人間は、確かにいる。しかし、彼はその比ではない。明らかに妖怪達が命を狙っているのだ。その理由を聞いていなかったと思ったタエは、率直な質問を投げかける。彼は案外、素直に答えた。
「俺を喰えば、妖怪の力が増すらしい」
「え……」
タエは驚いていた。
「俺は元々、強力な霊力を持って生まれた。だから、妖怪や幽霊を見て、怖がってよく泣いていたと聞いた。母上は巫女の血筋だったから、その力が俺にも受け継がれたらしいよ」
どこか他人事のように、話す御館様。他人事であったら、どれだけ良かったか。そんな表情をしていた。
(安倍くんと同じだ)
ここに来て、稔明と同じ体質の人物と会うとは。タエはぎゅっと拳を握る。
「了解しました。御館様の事、しっかり御守りしますね!」
彼の母を悲しませるわけにはいかない。タエは気持ちを引き締めた。
「よろしく。とりあえず、行くよ」
御館様がまた歩き出した。
ガラガラ……。
三人の前から牛車がゆったりと歩いてくる。タエは牛車を初めて見たので、すれ違った後も、後ろを振り返って見た。
そして、ふと思った疑問。
「あの、御館様は牛車には乗らないんですか?」
前を歩く二人が振り返り、タエを見る。
「乗らない」
御館様はそれだけ言うと、また前を見て歩き続けた。
なかなか歩いたと思う。タエは草履と着物の性質上、大股で歩けないので、足が疲れた。よくこけなかったものだ。しかし、疲れたと言えるはずもなく、ふぅと息をついて目的の屋敷を見れば、御館様の屋敷よりもでかい。目を瞬かせた。
「あんたは、俺に寄ってくる妖怪を退ける力を持つ巫女だと言う事にするから」
道中ずっと黙っていた御館様が口を開いた。
「はい」
「刀を振り回して戦う事は言わないように。そんな巫女はいないから」
「たしかに……」
タエの知る巫女も、祈ったり、炎の前で祝詞を読むイメージだ。
「源頼光様は、俺が仕える主人だ。あの方と話す時は、タエを入れるわけにはいかない。別室で待機してもらう事になる。だから、できればハナ殿がよかったんだけど……」
ハナは普通の人間には見えない。個室に入る時に彼女が側にいてくれれば、妖怪も手出ししてこないし、この屋敷にいる他の人間に気を遣う必要がないからだ。
「すいません。ハナさんが普通に仕事をして、あんなに疲れるなんて、初めてなんです。いつもはこんな事ないのに」
タエも不思議だった。通常の仕事範囲なら、いつもピンピンしている。叉濁丸の時は別として、彼女の疲労した姿を見るのは稀だった。
「この世界にまだ慣れてないのかな」
「すまない。無理を言った。あんたが同じ空間にいられない時だけが気がかりだな」
御館様も眉を寄せている。藤虎も心配そうだ。タエもうーんと屋敷の門の前で考えていると、ひらめいた事と、目についたモノがあった。
「これなら、効果があるかもしれません」
ごそごそとタエは巾着の中に手を突っ込んだ。ウェストポーチに入れていた高様の秘密道具だ。ポーチだと目立つからと、巾着を用意してもらった。そして、取り出した物を御館様に出す。
「鏡?」
「貴船の神様の御神体の鏡と同じ物です。力が強いんで、本当は他の人に貸せる物じゃあないんですけど、神力が宿ってるから、持っていれば御館様を守ってくれるはずです」
「大事な物じゃないか。そんな物を俺が借りてもいいの?」
「話が終わったら、返してくれればいいです。これで話に集中できるでしょ?」
手の平よりも小さい鏡を御館様の手に乗せる。彼の大きな手にあれば、もっと小さく見えた。小さな鏡に赤い房が付いた、シンプルだが傷一つないとても美しい鏡だ。
「帯に括り付けてください。見える場所にあった方が、妖怪も鏡に気付いて寄ってきませんよ。きっと。もし襲われても、呼んでくれればすぐにかけつけるんで、心配なしです!」
タエが彼の腰帯に着けた。そうして腰にキラリと揺れる鏡を見て、タエは満足そうに頷き、御館様は大切そうにそっとなでる。
「終わればすぐに返す。……ありがとう」
「!」
ぼそりと言われたお礼に、タエがはっと彼の顔を見上げた。ふい、と顔を逸らし、照れくさそうにしている御館様を見て、心臓がどくんと跳ね上がる。
(あ、れ……?)
胸の奥が熱くなる心地がした。お礼を言われて嬉しくなったタエは、顔がにやける。それをじと、と見る御館様。
「何にやついてんの。間抜け顔は屋敷の中でしないでよ」
「は、はい」
自分の顔を両手で押さえ、緩んだ筋肉を締めるように刺激した。不安要素もなくなったので、御館様、タエ、藤虎は門をくぐった。
読んでいただき、ありがとうございました!