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月夜の代行者  作者: うた
第三章
96/330

96 代行者と護衛の仕事

「ここが、私達の部屋……」

 御館様と母君との再会の後、晴明に言われた通り、タエとハナは部屋を移動することになった。

見事に何もない板張りの部屋。結構な広さがある。平安時代の貴族の屋敷は主寝殿を中心に、いくつもの建物が廊下で繋がっているが、御館様の屋敷は大きめの平屋を一つ、ドンと建てている感じ。二人が住むには大きすぎ、使っていない部屋がいくつか余っていた。

 そこにタエが昨日使った畳ベッドが移動され、希望した文机と燭台が置かれている。もちろん、御館様の部屋の隣だ。

「他に欲しいものがあれば言って」

 御館様はそう言うと、さっさと背中を向けてしまう。タエは咄嗟に引き留めた。聞きたい事があったのだ。

「あ、あのっ!」

「何?」

 顔だけこちらに向けて来る彼。タエは口を開いた。

「この時代のお風呂事情って、どうなんでしょう?」

「……は?」

 御館様は全く想定外の質問に、目を見開いた。

「このお屋敷にお風呂って、あるんですか?」

 藤虎にトイレや洗面の話は聞いたが、風呂の話題はなかった。

「いや」

「じゃあ、銭湯とか? 皆さん、お風呂はどうしてるんです?」

 タエが腕を組んでうーんと唸った。御館様はどこか、珍しいものを見る目つきになる。

「あんたは七日間で何回入るの?」

「え? 毎日ですけど」

「……」

 彼は言葉が出ないようだった。タエはまずい事を聞いたのかと、眉をひそめる。

「え、毎日、入りません?」

「この時代の人間は、基本的に風呂にはあまり入らない」

「ええ!?」

 驚くのはタエの番だった。しかし、すぐにどうしてかを察する。

「女の人、髪の毛長いですもんね。ありゃあ、毎日洗うのは大変だぁ」

「ああ。それに、風呂好きという話は聞かない」

「えーー!? 毎日入らないと気持ち悪いでしょー。確かに、私達がいた時代よりは涼しいですけど、今七月だし」

「庶民向けの大衆浴場はあるけど、あまり勧められない。作りが簡素だ。多少見られても平気なら、行けばいいけど」

「それは困ります! あぁ、どうしようかなぁ……」

 タエが本気で困りだしたので、御館様は頭をがし、とかくと、口を開いた。

「俺が使ってるのがあるが……」

「え?」

「そこも女人には勧められないけど」

「御館様はどれくらいの頻度で入ってるんですか?」

「……毎日」

「おぉ! 仲間がいたじゃないですかっ」

 タエが嬉しそうに言った。

「身を清める事は、妖を退ける一つの手段だって晴明から聞いて。藤虎もここにいるから頻度は高い。俺くらいだろう。毎日風呂に入る貴族は」

「いいじゃないですか。清潔男子はカッコイイですよ!」

「恰好良い? むしろ周りからは変人呼ばわりだよ」

「そんな事ないですって!」

 タエが声を大きくして断言する。御館様は認められた事が、なんだかこそばゆい感じがした。

「まぁ、一度見に行ってみる? そこでいいなら、好きに使えばいい」

「お願いしますっ」

 御館様も時間があるので、タエを連れて、自身が使っている風呂のある場所へ行く事になった。

 そこは山の中だった。屋敷の勝手口から隣の山に続いている。そこは彼の家の山らしい。晴明が彼の両親を説得し、特別に作ったものだという。不浄は妖の恰好の餌となる。なので、平安時代にはないと思っていた水洗トイレもこの屋敷では実現している。下に川が流れているのだ。生活用水とは違う流れの川を、これまた特別に作ったのだという。貴族の中には、川を使った水洗トイレを設置している家もあるらしい。タエには願ったり叶ったりだった。


「これって……」

 タエが呟く。山の中と言っても、深く入るわけではなかったので、タエはホッとした。そして、目の前にほかほかと湧くソレを見て、目を輝かせた。

「温泉ですか!?」

「ああ。元々、ここから湧き出てる。地下水も混じって湧いてるから多少熱いけど、入れないわけじゃない」

 大きな石で湯船のように囲い、周りに太い柱が四本立っており、そこに五芒星が刻まれている。柱と柱の間には、縄が渡してあり、のれんのように布がかかっていた。目隠しだろう。晴明の力が施され、妖怪は元より、人にも見えないようにしているらしい。この風呂の存在を知る者だけが見えるという術になっているので、御館様、藤虎、タエ、ハナだけが見える。脱衣所もあり、安心して入浴できるというわけだ。

「いくらうちの山といえど、山賊もいるご時世だ。ここに無断で入ってくる可能性もある。だから、あんたには勧められないって言ったんだけど。どうするの」

「ここがいいです!!」

 タエの即答に、御館様は一瞬固まり、はぁ、とため息をついた。

「人の話、聞いてた? あんた女でしょ。偶然でも他の人間が入ってきたらどうするの……。こういうのは、妖怪よりも生きてる人間の方が怖い」

「そうですけど、用心します。温泉ですよ!? 最高じゃないですかぁ! 毎日入れるなんて、御館様贅沢すぎます」

「……風呂、好きなの?」

「大好きです! 温泉大好き! ずっと入ってられます」

 御館様は肩を落として、呆れたようにタエを見た。

「ほんと変わってる。まぁ、それでいいならいいよ。ただし、明るい内に入りなよ。日が落ちたら入浴禁止」

 御館様なりに心配してくれているらしい。タエは笑顔で頷いた。

「じゃあ、今日から入ってもいいですか?」

「ああ。好きな時に入ればいいよ」




 そう言って、いざ入るとなると、やはりこうなった。さすが温泉。どの時代でもその気持ち良さは変わらない。

 が。

「……すいません」

 風呂に入れた喜び半分、気恥ずかしさ半分だ。ぱしゃん。湯がはねる音が御館様に聞こえた。

「あんたが強いのは知ってるけど、やっぱり一人で行かせるわけにはいかないからな。……こっちは気にしなくていい。ゆっくりすれば」

 少し離れた所で背を向け、岩に座って書物を読む御館様。タエが風呂へ行くと言えば、当然御館様に着いているのはハナだ。そうしてさっさと入って戻って来ようとしたら、御館様がタエを呼び留めた。自分も着いて行くと言い、暇つぶし用の仕事の巻物を持って出たのだ。女一人、山に入れる事は、どうしても心配だったのだろう。

「心配かけちゃいましたね」

「気にしなくていいって言ったでしょ。護衛をしてくれる以上、俺に出来る事はするよ。何かあった時、あんたのご両親に申し訳が立たないし。俺は謝りに行けないから」

「ああ、確かに」

 千年先の時代に、彼は行けない。タエに無関心かと思いきや、御館様はそういう所を気にしてくれる。

「健在なの?」

「はい。親はどっちも元気ですよ」

「そうか。……親は大事にした方がいい」

「そうですね」

 御館様の母君はもういない。字のごとく、命がけで彼を守った。その心を、今度はタエ達が引き継いだのだ。

「この時間だけは、私が守ってもらうんですねぇ。よろしくお願いします」

 あはは、と笑うタエ。御館様は、巻物の字を追っていた手を止めた。彼の足元にいたハナがふいに顔を上げる。ハナの目には、彼は驚いた表情をしているように映った。

「……そうだな」

 タエは御館様を見た。彼は相変らず背中を見せているので、表情を知る事は出来ないが、そっけない口ぶりに、タエは彼を呆れさせたかと眉を寄せた。

「じゃあ、もうさっさと上がっちゃいますね! 気持ち良かったです」

 ばしゃん、とタエは湯から上がった。ドライヤーはないが、暑めの日差しが髪の毛を乾かしてくれる。それが助かった。


 そうして用意が済んだタエを確認し、タエと御館様、ハナは再び屋敷へ向かうのだった。





「じゃんけんっ」


「ほい!」

「グー!」

 晩御飯の後。今夜から平安時代での代行者の仕事だ。タエとハナは、どちらかが御館様の側にいなくてはいけないので、誰が代行者の仕事をするのかじゃんけんで決める事にした。勝った方が代行者の仕事、負けた方が御館様の護衛だ。


「負けた」

 タエが自分で出したチョキを見つめた。

「じゃあ、仕事がてら先輩の事も探ってくる」

「うん、よろしく。代行者の仕事の話は、御館様には……どうする?」

「高様は判断を誤るなって言ってたし、まだ言わないでおこう。しばらく様子を見て」

「分かった」

 縁側から夜の空へ飛んでいったハナ。それをタエは見送ると、御館様もそれに気付いたらしく、タエの隣に歩いて来た。

「ハナ殿は、どこへ行ったの?」

「私達の任務です。情報集め」

「ああ……」

 曖昧に相槌を打つと、御館様は自室へと入ろうと障子を開ける。

「あの、護衛は今夜からです。ええと……」

「隣なんだから、別に俺の部屋にいる事ないでしょ。必要なら呼ぶ」

 ぴしゃりと閉められた。晴明は同じ空間にいるべきだと言ったが、タエが彼の部屋にいれば、目障りだろう。

(自分の部屋なのに、落ち着かへんもんねぇ……)

 タエは隣の自室に入り、蝋燭に火を灯した。とりあえず、呼ばれればいつでも動けるようにしなくては。



 御館様とタエの部屋は襖で区切られている。縁側出入口の障子と違い、こちらは木の戸なので、しっかりと空間を仕切る事が出来る。タエは襖の近くで晶華を持ち、座布団の上でじっと座っていた。

(何もしないで控えるって、退屈やし、しんどい。家臣の人は、すごいな)

 足が痛くなったので、部屋をうろうろ動き回る。鍛錬でもしようかと思ったが、御館様の部屋まで響くとまずい。同じ場所で座り直す。

(ねむい……)

 こうなると、眠気はすぐに襲ってくる。タエは妖怪よりも、眠気との戦いだった。うとうとしていると、不覚にも、襖に頭をぶつけてしまった。

「!? しまっ――」

 頭をさすりさすり、タエが姿勢を正す。と、目の前の襖がすっと開いた。驚いて見上げれば、御館様が見下ろしていた。

「寝れば?」

「いえ……、ちゃんと守るって約束したんで。大丈夫です」

 へらりと笑う。彼はそんなタエを見て、口を開いた。

「なら、ちょっと見て」

「?」

 襖が大きく開かれれば、御館様の部屋が広がった。大きな本棚には書物、巻物がたくさん積んである。引き出しの棚もあり、薬剤の香りが鼻をつんと刺激した。その中の一角、床の間に、黒いもやが。

「! いつからです!?」

「ついさっき」

 タエは気配を掴みきれなかった事を悔やんだ。眠気に気を取られ、この変化に気付けなかったのだ。タエは晶華の刃を発動し、御館様の前に出た。彼が襖を開けたのは、このせいだったのだと理解した。

「素直に妖怪が出たって言ってくれれば……」

「まだ出てないでしょ」

 確かにもやだが、ここから何が出て来るか分からない。タエは自分のカバンから、ウェストポーチを取り出し、神水の瓶を出すと、そのもやへバシャリとかけた。もやが掻き消える。妖の出てくる気配も弱かったので、神水だけで対応できたようだ。水なので床の間を濡らすと思ったが、もやと共に蒸発したようで、床を一滴も濡らさなかった。さすが神水。

「それは?」

「貴船の川の源流、神水です。神様の加護を受けてるんで、妖怪にも効果がありますよ」

 再び静寂が部屋を包む。タエは頭を垂れた。

「すいませんでした。眠気に負けたせいで、気配に気付けなかったです……」

 しゅん、とするタエを見、御館様は肩をすくめた。

「別に謝らなくていい。晴明の助言を無視したのは俺だ。あんたがこの部屋に入った途端、部屋の空気が澄んだ。浄化されたって、俺でも分かるよ。襖一つ隔てるだけでも、妖怪は入って来るらしい」

 腕組みをして、どこか覚悟を決めたようだ。

「眠たければ俺の寝具で寝ればいいよ。襲ったりしないし、安心して」

「お、おそっ!?」

 タエの顔が一気に赤くなる。慌てるタエを見て、御館様はふっと表情が緩んだ。それだけでもイケメンに拍車がかかる。

「しっかり守ってくれるみたいだし。そっちの任務も理解してるけど、護衛の仕事も頼んだよ。俺はまだ仕事があるから」

 スパンと襖を閉め、御館様の部屋には彼とタエの二人きり。御館様はさっさと机に戻って仕事の続きを始めた。タエはしばらく立ち尽くしていたが、部屋の隅にちょこんと座ると拳をぎゅっと握りしめた。燭台の明かりがタエの所まで届かないので、暗い。

「……何でそんな隅に」

 御館様が眉を寄せた。かちんこちんに正座をしたまま、固まっているタエがいたからだ。

「じゃ、邪魔しちゃいけませんし……」

(この状況、どう時間を潰せばいいのかわからーーん!!)

 タエは心の中で叫んだ。

「あんたがこの部屋にいてくれるだけでいいんだし、寝ていいんだけど」

「眠くなったらそうします。それまでは……ここにいますんで」

「まぁ、いいけど」

 御館様はそれだけ言うと、タエの事をさほど気にすることなく、仕事を続けた。



 ふと顔を上げる。仕事に集中していたせいで、どれほど時間が経ったのかは分からない。部屋の隅を見てみれば、規則的な息遣いが聞こえている。そちらに近付き、しゃがんでその顔を眺めた。

「寝顔は幼いな」

 正座を崩し、壁に寄りかかってぐっすり眠っている。緊張から疲れが出たのだろうか。その寝顔は、リラックスして何の悩みもなさそうな表情だ。

(こんな子が、妖怪とあんな戦闘をするとはね……)

 タエの戦いぶりを思い出す。人間離れした俊敏な動き、的確に敵を斬る剣の腕。華奢な体、細い腕からどうしてあんな力が出るのだろうかと、御館様は不思議に思いまじまじと見つめた。そしてタエの手元に転がるモノを手に取った。

「木の棒? 木刀の、柄だけか」

 タエは美しい刀を持っていたと記憶している。この柄が、あの刀に変化するのだろうかと、御館様は漠然と考える。刃を出したり、弓の形に変形させていた。本当に神がかっている。タエの大切な武器なので、側にそっと置き、御館様は腕を広げてタエを自分の寝具に寝かそうと、腕をタエの体に回そうとした。

 が、ぴたりと止まる。動かしてタエが目を覚ました時の状況に耐えられない。想像して固まった。とりあえず、御館様の着物をタエにかけてやるに止める。まだ暑さが続く時期なので、体が冷える事はないだろうが、一応上着はかけてやらねば。御館様はタエの寝顔を見て、ふっと表情を緩め、仕事の仕上げを急いだ。





「くっ、龍爪!」

 ハナの巨大な爪が、邪悪な影を切り裂いた。しかし、手ごたえがない。うまく避けられてしまった。


 はあぁぁ……


 暗闇に、相手が吐き出す息、体から漂うオーラが月に照らされ白く揺らいだ。ハナはその姿にぞくりとする。今まで数々の妖怪と対峙してきたが、背筋が冷たくなる感覚は、滅多にない。邪心を纏う体。充血した吊り上がった目、逆立った髪の毛、手足の長い爪。そして、口から見える牙は、噛まれれば肉を引き裂かれるだろう。人型のようだが、獣のように、両手を地面に着けている。


「何なの、あの鬼……。晴明殿が言ってた鬼?」


 現代の鬼とは違う禍々しさを直接感じ、ハナは早くに決着を着けねばと集中する。

「龍登滝!!」

 鬼の周りに水の陣が現れ、水龍が鬼を呑み込んだ。いつもなら、これで終わり。体を溶かし、消滅する。


「がああああぁっ!!」


「えぇ!?」

 ハナは驚愕の声を上げた。その鬼は、体を回転させ、その勢いで水龍を中から破壊したのだ。そして、ハナの術から逃れると、茂みの中に逃げ、あっという間に気配を消してしまった。



 とんでもない鬼がいる。



 ハナはしばらく、その場から動けなかった。


読んでいただき、ありがとうございました!

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