91 御館様
「その犬……」
「へ?」
二人の屋敷へ向かう途中、御館様に突然話しかけられた。
「その白い犬、あんたの?」
横目でちらりと見られる。タエはハナと一番後ろを歩いていたので、白い犬がハナであると分かると頷いた。
「あ、妖怪が見えるんだから、ハナさんも見えるのか」
藤虎も同じくハナを見ていた。タエの隣を大人しく歩いているので、疑問に思ったのだ。
「はい。名前はハナと言って、私の妹同然の存在です」
「妹?」
御館様は、意外とばかりにタエをまじまじ見る。しかし、はっと再び前を向くと、足を動かし始めた。
「?」
(もっと何か言ってくるのかと思った……)
タエとハナも顔を合わせ、二人の後を追いかけた。
「これは……」
タエは絶句していた。ハナも背中の毛が逆立っている。
御館様の屋敷に到着したのだが、その敷地内におびただしい数の黒い気配があった。屋敷中を包み込む黒い瘴気。叉濁丸の瘴気ほどではないが、中に入る事は憚られる。
「朝よりひどくなってる……」
御館様の呟き。しかし、よくある事なのか、さして動揺していない。藤虎もため息をついているくらいに落ち着いている。
「ほんとに、ここに住んでるんですか?」
「いつもはここまでひどくない」
「確かに。屋敷は何故か、妖があまり入ってこないのです。いても、通常は追い払えるくらいの小物なのですが……」
黒々としているので、あまり説得力はない。そして誰も屋敷に入らない。
「ふぅ」
タエがカバンを地面に下ろし、中から晶華の柄を取り出した。
「お姉ちゃん」
「!」
「しゃ、しゃべった!?」
御館様と藤虎が、言葉を発したハナを見て驚いた。
「妖か」
御館様の手が刀へと伸びる。それを見たタエが、厳しい目つきをした。
「ハナさんは妖怪じゃありません。神様に仕える神獣です! 屋敷に入りたかったら、そこでじっとしといてください。ハナさんは二人の側にいて。他の奴が来るかもしれんし」
頷くハナを見て、タエは門をくぐり、黒い霧の中に飛び込んで行った。
「でぇりゃああああ!!」
ぐおおおぉ。
キエェェェ。
ぎゃあああ!!
タエの怒鳴り声が聞こえる。そして、相対している妖怪の唸り声や断末魔の叫びが響いた。
「妖怪が、屋敷に……こんなに……」
御館様が呆然としている。
「一人で大丈夫でしょうか」
「お姉ちゃんなら大丈夫」
二人がはっとハナを見た。
「私達は、毎日何匹もの妖怪とやり合ってる。力も強くなってる。私達が側にいてから、妖怪が襲って来ていないだろう?」
御館様が気付いた。
「確かに」
「巫女様とハナ様……が側におられたおかげで」
藤虎も驚きの表情だ。
「ある程度の奴は、私達がどういう者か見れば分かる。返り討ちに遭う事が分かっているからな。わざわざ襲うなど愚かな事はしない。余程力に自信のある者か、大馬鹿者でもない限り」
ハナが説明する。御館様はハナへ片膝を付くと、頭を下げた。それに続き、藤虎も片膝を付き、頭を垂れる。
「先程の無礼、お詫びします。どうか、お許しを」
「あなた達の反応も、理解できる。終わったら、姉にも一言、礼と詫びを」
「……はい」
御館様が立ち上がり、屋敷を見た。と、慌てた様子で逃げていく妖怪がいた。大きく、蛇のような長い体、目つきが悪く血走っており、牙も巨大で、たてがみが生えている。そいつが門の上を飛んでいくのだ。
がしゃっ、と門の上の瓦を踏みしめる音が。御館様、ハナ、藤虎が見上げた。
「逃すかぁっ!!」
タエは晶華を弓の形に変形させ、水の矢を一本、ばしゅっと射る。見事命中。空中でその妖怪は弾け消えた。
「っしゃあ! あいつで最後。入れますよー」
門の上から、にっと笑うタエ。無邪気で、屈託のない笑顔に、御館様は見入ってしまった。とても眩しく感じたのだ。
しかし、タエが持つ刀がキラリと光るのを見、先程の妖怪の叫び声を聞いているので、思わずにはいられない感想。
「何と言うか……」
「祓い、というより、殲滅……ですね」
藤虎も呆気に取られていた。
「屋敷に入れるようにしてくれて、感謝する。それから、無礼な態度を取った。申し訳なかった」
屋敷の一室。空間はタエとハナが屋敷内にいるだけで、浄化された。瘴気で黒々としていた建物が、一気に晴れたのだ。そうして澄んだ空気の中、御館様と向かい合うように、タエとハナが座っていた。ハナから言われた通り、彼はタエに礼と謝罪をした。頭を下げられ、タエは恐縮する。
「いえいえ。分かってもらえたなら、それで十分です」
御館様は頭を上げると、タエを観察した。明らかに自分よりも年下。小柄な体で、大立ち回りが出来、剣術、弓術が出来るようだ。外見からは想像が出来ないので、若干理解するのに苦労する。
「俺は渡辺綱と言う」
御館様が名乗った。聞いた名前に、タエが「ん?」と眉をひそめる。
(わたなべの、つな? どこかで聞いた事があるような)
首を捻って思い出そうとしていると、綱と名乗った御館様が続けた。
「あんた、名前は?」
「あっ、私は花村タエと言います」
「ふぅん。で、あんた、本当に何者? どこから来たの」
御館様の、質問と言う名の尋問が始まる。
「私達は妖怪を倒しながら旅をしてて―――」
「それは聞いた。じゃあはっきり聞く。あんた達、この時代の人間?」
「っ!」
言葉に詰まった。それを見逃さなかった御館様は、それを肯定の意と読み、腕を組んで続けた。
「そんなバカな事を、と思ったけど、そんなバカな事が実際に起こるんだな」
「やっぱり……服装、ですか?」
タエが羽織をぴらりと開く。御館様は目を伏せ、はぁ、とため息をついた。
「女がそんな事するんじゃないよ。あんたがいた時代は皆そうなの?」
御館様の話し方は、静かで、あまり感情を乗せない。表情も、無表情とまではいかないが、そんなに崩れない。それでも、どこか語尾が優しい感じがする。タエは耳に心地よい感覚を覚えた。
「ええと、むしろ羽織は普段、来ませんね」
言うと、高龗神から預かった羽織を脱ぐ。半そでから出た腕、体のラインが分かるくらいの服、ぴったりフィットのパンツ。御館様は目を見開いた。
「……恥ずかしくないの?」
「私達がいた時代では、これが普通です。もっと露出してる人もいますけど」
「……ふぅん。で? あんた達がいた時代って、いつ?」
タエはハナと顔を見合わせた。ここであやふやにして、さよならは出来そうにない。藤虎はお礼にと食事の用意をしてくれているのだ。ハナは頷いた。それを見て、タエも心を決める。
「千年後、です。千年と45年後、だったかな」
「千年……」
御館様が呟く。無理もない。千年後など、想像も出来ない未来の事なのだから。
「その未来から来た巫女様と神獣様が、この時代に何の用?」
確信だ。タエはハナに相談した。
「言っても大丈夫、かな?」
「私達は手がかりを持ってない。話しても問題ないと思う」
ハナの言葉で、タエは背筋を伸ばした。
「ある人を探してるんです」
「人探し? 当てはあるの?」
「いえ、私達は、名前しか知らされてなくて……」
「名前は?」
「竜杏、という人です」
(竜杏……)
どこか呆然と、頭の中で名前を反復していると、タエが質問した。
「あの、ご存じですか?」
「……いや」
御館様は短く言った。そう言った所で、廊下がどたどたと騒がしい。襖が開けられる。
「御館様、夕餉の用意が出来ました」
「そうか。持ってきて。藤虎も一緒に食べよう」
「はっ」
言われた通り、藤虎が膳を運んできてくれた。タエの前にはほかほかと湯気が漂う食事。思わずお腹が鳴ってしまった。
タエを見る御館様と藤虎。恥ずかしかったが、笑うしかなかった。
「あはは、すいません」
「戦った後ですから、そりゃ腹も減りましょう。お口に合うか分かりませんが、どうぞ、遠慮なく食べてください。えぇと……」
「名前はタエだ」
御館様がタエの名を教えた。彼の口から自分の名が出ると、タエはどきっとしてしまう。
(イケメンのイケボで名前呼ばれたら、そらドキッとするよなぁ~……)
「ハナ様は、本当に何も召し上がらないので?」
藤虎が遠慮がちに聞く。
「私は霊体だ。気持ちだけ、いただいておく」
「生きてた時は、私のご飯まで食べてた食いしん坊やったのにね」
「お姉ちゃんっ」
本当に姉妹のように笑って話す二人。それを御館様と藤虎が不思議そうに眺めていた。御館様が箸を持ったので、自分もとタエも箸を持ち、手を合わせた。
「いただきます!」
食事は現代に比べれば、味付けは薄い。塩や味噌を食材に付けて食べる形式だ。魚を蒸し、野菜を焼いただけのものではあったが、食材が良いのか、それだけでもとても美味しかった。
戦闘でかなり空腹だったので、タエは夢中で食べた。あっという間に皿は空だ。
「美味しかったです! ごちそうさまでした」
手を合わせて挨拶する。
「千年後の食事と比べてどう?」
「へ、千年後? どういう……」
藤虎は先程の会話を聞いていなかったのだ。疑問符が飛んでいる。
「この二人は、千年後の未来から来たそうだ」
「はっ!? 未来、ですか! ああ、だからそんな着物で」
「あはは。ちょっと塩分多いかなぁと思いますけど、素材の味が生きてて、誤魔化しなしで、美味しかったです」
「それは良かった」
藤虎もほっと一安心だと胸をなで下ろす。
「それで、未来から来た方が、何の御用で?」
同じ疑問だ。確かにそうだろう。それは御館様が答えてくれた。
「竜杏という名の人物を探しているんだと」
「り、竜杏……ですか!」
藤虎の焦ったような口ぶりに、タエとハナが食いついた。
「知ってるんですか!?」
「何でもいい。教えてほしい」
藤虎は、どう答えていいのか分からず、主を見た。
「御館様……」
見られた彼も、ふぅ、と息を一つつく。そして、口を開いた。
「死んだ」
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