09 対峙
代行者となって約三週間。もうすぐ一か月になる。タエの就寝後は変わってしまったが、日常生活は全く変わらない。高龗神の言う通り、人としての生活に関わる事はないようだ。
キーンコーン……。
教室に予冷が鳴り響いた。
「タエ、試験の結果どうだった?」
期末試験も終わり、答案返却。撃沈しているタエの所へ、涼香がやってきた。周りのクラスメイトも試験結果の話でわいわい賑わっている。
「赤点ギリギリ……」
「赤以下じゃないなら、挽回できるよ」
「う、うん……。また勉強、教えて」
「お菓子で手を打ってあげる」
「アメちゃんで」
試験勉強はしていた。していたのだが、それ以上に剣術の事ばかりを考えていたので、勉強で覚えていた事があやふやになってしまった。
(ハナさんに、怒られる……)
代行者で覚える事が多いが、こちらばかりに気を取られて、勉強をおろそかにしてはいけないと釘を刺されていた。その結果がこれだ。背中の毛が逆立つハナが目に浮かぶ。
「宮路ー、今日カラオケ行かね?」
チャラいクラスの男子が、涼香に声をかけてきた。女子とも仲が良くて、やたら騒ぐ人達だ。タエは苦手な部類に当てはまる。涼香の視線が冷ややかなものに変わった。
「行かない」
ばっさり。あの男子の中に、涼香を狙っている奴がいるのだろう。可愛い子とお近づきになりたいと思うのは、男の性だろうか。男子達はめげずに何度も誘ったが、涼香が頑として断ったので、諦めるしかなかった。
「あーやだやだ」
「お疲れさま」
「何で私かなぁ。そんなに仲良くもないのに」
げんなりした表情。知らない男子から遊びに誘われたりする涼香。自分は人気があるという事を、一番理解していないのが彼女だ。可愛い顔を隠す事なく歪めて、首を振っている。裏表のない事が、涼香の良い所だと思っているタエ。いつも隣で見守っているが、本気で困っている時は、絶対に力にならなくてはと、日々考えている。
「モテる子も大変ですねぇ」
「タエが変わってよ。本気で嫌なんやから」
「面倒やし、勘弁して」
笑い合う。平和だ。命のやり取りをする現場を知っているからこそ、今の時間がどれだけ尊いものか、タエは感じていた。変わらない、当たり前の生活がどれほど大事なものか身に染みて思う。
(この当たり前を守るのが、私の仕事なんやよね)
人の力だけでは、どうにもならない存在がある。それを自分はどうにかできるのだ。
(がんばろう!)
ぐっと拳を握りしめた。
夜。
今夜は代行者に来てほしいと要請があった。その場所は大江山。平安時代に大暴れしていた酒呑童子の鬼伝説がある場所だ。タエはハナの背に乗り、上空から山を見下ろしている。
「伝説がある場所だけに、霊的な力が強いな」
「人を襲おうとした鬼がいるって?」
「うん。もう土地神様では抑えきれないから、私達に倒してほしいって。二体いるそうだから、順に倒していこう。お姉ちゃんも戦う準備をしてね。今の実力なら、大丈夫だと思う」
「う、うん」
「それから、鬼の言葉を聞かないようにね。鬼は言葉で誘惑する。言葉に囚われたら、鬼の思う壺よ」
「わかった」
神は基本、血の穢れを嫌う。神通力を以て、暴れる魂を抑制しているのだ。自ら剣を持って、斬り合う神はほとんどいない。力で抑えられず抵抗する者がいた場合は、代行者に依頼という手順を踏む。だからこそ、代行者は斬り合う為の、自分の武器を持っている。
「酒呑童子って本当にいたの?」
「高様から聞いた。源頼光って人を筆頭に、彼の部下と共に、酒呑童子とその部下を全滅させたって。鬼は昔からいる妖怪だから」
「実話なのか」
タエも肌で感じていた。ピリピリする感覚。
「今はここの土地神様と高様が協力して見張ってるから、最近は随分静かになってたはずだったのに、暴れだした奴がいるって」
「そうなんだ……って、うわっ!」
突然、下から何かが飛んできた。あまりの速さに、ハナも反応が遅れ、態勢を崩してしまった。その弾みで、タエの手が、掴んでいたはずの毛をすり抜けてしまった。
(落ちる――!)
「お姉ちゃん!」
ハナが追いかけ受け止めようとしたが、また暗い山の中から飛び出して来た何かに邪魔をされた。タエはそのまま山の中に落ちて行く。しかし、ハナはタエをもう助けには行かなかった。気持ちを切り替え、別の場所へと体を捻って着地する。
「代行者か……」
しわがれた声が暗闇から聞こえ、じゃり、と月明りの中へ出て来る影。その姿がはっきりと見て取れた。石を踏むその足は細い。細いが筋肉がしっかり付いている。ぎらりと血走った目は大きく、爪は長く鋭い。手には斧を持っている。乱れてうねる灰色の髪。その頭から出た角は、額の真ん中から一本生えていた。
「お前だな。土地神様を困らせている鬼は」
ハナの言葉に、鬼はにたりと不気味な笑みを浮かべた。
「ふぅ、何とか着地できた。鍛錬って大事だなぁ」
ハナの背から落ち、山の中へ相当な高さからの着地。辺りは木が鬱蒼と茂り、真っ暗だ。足は多少、衝撃でジンジンしているが、ケガはない。鍛錬をしてくれたハナに感謝した。
「!?」
どごっ、と地面を割る音が響く。息を整える間もなく、タエは横に飛び、ごろごろと転がった。山の地面はボコボコなので、肩や背中が痛い。それでもすぐに態勢を立て直し、空間が空いた場所へ移動して周りを見回した。月の光のおかげで、辺りがはっきり見える。
「へぇ。新人って聞いたから、一撃でやれると思ったのに。それに、女とはね」
何かが近付いて来る気配があった。それも一瞬の内に。目で確認するよりも体が先に反応した。そのおかげでタエは攻撃をかわす事ができたのだ。地面が割れ、粉塵が漂う中、タエは声の主を見た。姿がはっきり見えてくる。ハナの前にいる鬼と姿形は同じだが、額の角は二本になっている。鬼が纏う気配は、邪悪そのもの。
抜刀し、晶華を手に構えるタエ。
「ふぅん。お前の獲物は刀か」
タエは晶華をいつも以上に固く握りしめていた。
(力を抜け! 鍛錬通りにやれば……)
「なんだぁ? 力が入りまくってんじゃねぇか。緊張してんのかぁ? あ、もしかして、戦うのが初めてだったりして?」
「!」
手が小刻みに揺れた。図星だ。今まではハナの背に乗って、彼女の戦う姿を見てきた。鍛錬では、車輪の妖怪が手合わせをしてくれていたが、あくまで鍛錬。本物の悪鬼と対峙するのは、これが初めてだったのだ。悪意を、タエだけにまっすぐ向けてくる。
この鬼も斧を持っており、にやにやと笑みを浮かべながら、ぎらりと銀色に光る刃をタエに見せつけた。
「そうかそうか。こりゃあ、運が良い。代行者は厄介だからな。今の内に殺してやるよ」
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