89 重大な任務
ふんわりとほほ笑む上司は、どこか上機嫌だ。その様子は目を奪われる程に、美しい。
「良い事でもあったんですか?」
彼女が嬉しそうにしていると、タエ達も嬉しくなる。
「まぁな」
「あ、この羽織、高様の物ですよね? お返しします」
「いや、それはそのまま着て行け。必要になるだろう」
高龗神が、タエが羽織を脱ごうとするのを止めた。
「あの、お姉ちゃんを生身の体のまま召喚した理由を聞いても、いいですか?」
ハナがさっそく本題に入る。高龗神も頷いた。
「二人には、今から千年前の京都に行ってもらう」
「……はい?」
タエとハナの声がハモった。その様子を見て、おかしそうに笑う高龗神。
「正しくは、千年と四十五年前。今で言う、平安時代だ」
「え? なん……」
「二人の任務は、ある人物の魂を過去のわしの前まで連れて来る事」
高龗神はタエが動揺するのをスルーし、続けた。
「ある人物?」
タエとハナは顔を見合わせた。
「その人って、誰ですか?」
ハナの問いに、高龗神はふっと笑った。
「竜杏、と言えば分かるか?」
「叉濁丸の戦いで散った、私達の大先輩の!?」
「最強の代行者、ですよね」
タエとハナが顔を見合わせる。
「ああ、そうじゃ」
高龗神は大きく頷くが、ますます分からない。ハナが問うた。
「代行者にする為に、ですか?」
「ああ」
「高様が、直接スカウトに行くんじゃないんですね。ハナさんはスカウトやったんでしょ?」
「うん。私も、代々高様が直接契約させる為に、有無を言わさず引っぱり込んでるんだと思ってました」
「うわ、強制連行……」
高龗神の笑顔がぴしりと引きつった。
「二人とも、わしをどんな神だと思っておる? 通常、基本はわしの式に迎えに行かせるんじゃ。じゃが、竜杏の場合だけは、ちと違う」
「でも、何で私達が? 過去に行ってまで……」
高龗神は腕を組み、じっとタエを見た。
「それは、お前達が行くに相応しいと、わしが判断したからじゃ!」
どうだと言わんばかりに胸を張る。とにかく、二人は上司の命令に従わなければならない。特に異論もないので、二人は頷いた。
「じゃあまずは、彼を探す事から始まりますね。竜杏殿の特長は分かりますか?」
ハナは当然の事を聞いた。
「会えば分かる」
「……それだけ?」
高龗神の返答は、全然答えになっていない。身長や体格、住んでいる場所を聞いても、「行けば分かる」以外、何も答えてくれなかったので、二人は渋々諦めた。
「過去のわし宛てに手紙を書いた。まず最初に、これを必ず渡す事。良いな?」
「はい」
タエがしっかりと受け取った。達筆で流れるような文字。タエには達筆すぎて読めないが、重要書類だという事は理解できる。失くさないよう、大切にカバンに入れた。
「魂は繊細じゃ。傷付けず、しっかり守り、連れて来るんじゃぞ」
「はい!」
タエとハナが返事をした。
「それから、制限することは何もない。千年後の未来から来たと言っても、自分が代行者だと暴露してもな。それはタエとハナの判断に任せる」
「え、いいんですか?」
二人は顔を見合わせた。
「言う相手を間違えれば、まずい事になるじゃろうがな。判断を間違えるなよ。お前達を失う事も、あってはならぬ」
あ、そうそう、と高龗神は付け加えた。
「恋愛についても、わしは止めはせん」
目が合っているタエは、「へ?」と間抜けな声を出した。
「タエ、手を出せ」
「はい」
両手を差し出すと、高龗神は胸元から何かを取り出し、タエの手に乗せる。香袋のような、小さな巾着袋がころんと手のひらに転がった。
「万が一、契りを結ぶような事があれば、この中に入っているモノを、先に飲むんじゃぞ」
「ちぎり?」
耳慣れない単語に答えが繋がらない。契りの意味は知っているはずだが、自分に結びつかないのだ。
「ちぎりって……」
「初心じゃのう。男女でする事など一つじゃろうが」
「だん……、はあ!?」
タエの顔が一気に真っ赤に染まった。
「あの、大丈夫なんですか? 歴史が変わってしまう事は……」
ハナは少し心配そうに尋ねる。
「竜杏は遠くない未来に死ぬ。この事実は変わらない。政治に手を突っ込まぬ限り、歴史が変わる事もない。千年前に何があったか、タエ、知っておるか?」
「……」
歴史が苦手なタエは、答える事が出来なかった。
「恋愛と言っても、任務が第一じゃ。竜杏の魂をわしが受け取れば、お前達は元の時代に帰る。一つの時代に、契約時期の違う代行者が共にはいられんのじゃ。そこはしっかり理解しておけよ」
「はい……」
たとえ過去の時代の人に恋をしたとしても、それは悲恋でしかないのだ。必ず別れが来る。タエはそんな事にはならないだろうと軽く考えていたが、一応、言われた事は覚えておいた。
「で、でもっ、高様、これは私には必要ないですって……」
小さい巾着袋を高龗神に返そうと、手を前に出すが、彼女は受け取らなかった。
「万が一、と言ったじゃろう。使わんかったら、帰って来た時に返せば良い」
持って行け、と彼女は腕を組んだ。絶対に取らないという意思表示だ。どこか歯がゆい感じで、タエはカバンの中の小さなポケットに入れた。
「過去へ送る術式はもう出来ておる。こっちじゃ」
聖域の奥へとタエとハナを連れだって歩く。そこで、タエは一つ大事な事を聞き忘れていた事に気付いた。
「高様、長旅になるって聞きましたけど、私、夏休みがもう少しで終わるんです。学校が……」
「ああ、心配はいらん。お前達を戻す時刻を、送った一時間後に設定しておる。どれだけ向こうにいても、こっちに戻って来たら、一時間しか経っておらん」
それを聞いてホッとするタエ。それなら、学校に問題はない。時空間転送の術式を描いた場所へと案内された。
そこは蝋燭と神酒、榊が置かれている祭壇の前に、光輝く円の魔法陣が描かれていた。陣は、定まった模様ではなく、細身の龍が円の中をゆったりと泳いでいて、光の波紋が美しい。
「なかなかやらん術じゃからな。用意に時間がかかった。中心に立て」
言われた通りにするタエとハナ。水面のような魔法陣の上に足を置くが、沈む事はなかった。タイムスリップなど初めてで緊張する。しかも任務の内容が内容だ。
責任重大だと痛感した。京都の代行者、歴代最強と謳われるようになる竜杏の魂を、自分達が迎えに行く事になったのだから。失敗は出来ない。タエとハナは任務内容をしっかり頭に入れ、覚悟を決めた。
高龗神が印を組む。すると、魔法陣が強く輝きだした。
「二人とも、頼んだぞ」
「はい!」
タエとハナは光に包まれ、周りが真っ白になると、何も見えなくなり、聞こえなくなった。
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