88 新たな展開
夏休みもそろそろ後半に差し掛かろうとする頃。タエは夏休みの宿題に奮闘していた。各教科の問題集を一冊ずつ渡されたのだが、その一冊が分厚い。
「ほんとに終わんのコレ!?」
タエはリビングの机で吠えていた。自分の部屋だと誘惑に負ける自信があるので、母やハナが見ている所でやる事に決めている。夏休み当初から、結構真面目に取り組んでいるのだが、なかなか終わらない。現在、得意な生物に取り掛かっている。しかしまだ、苦手な社会科が丸々一冊残っていた。
「本来、学生の仕事は勉学やからね。頑張んな」
母がサイダーを一気飲みした。ぷはっと景気良く飲み干すのを横目で見て、タエは教科書とにらめっこをしながら解いている。
「そういや、涼香ちゃん、彼氏出来たんだって?」
「知ってんの?」
「こないだ会ってね。ますます可愛くなってるから、すーぐ分かったわ。タエちゃんが協力したんやって? 彼はどんな子?」
「一緒のクラスの子。私と同業者」
母の目が点になった。
「え、代行者?」
「じゃなくて、晴明神社の跡取りやよ。裏の仕事は陰陽師やから。一緒に戦った事あるし」
「あんたの周り、凄いね」
母はポテチをぱり、と一枚食べた。タエも手を伸ばす。
「タエちゃんは? 彼氏いないの?」
ばりっ。タエはポテチを五枚一度に口へと運ぶ。
「いたらここで勉強してへんのとちゃう?」
「良い人いいひんの? 代行者の人は?」
「生きて代行者になってるのは、私だけ。普通は亡くなった人から選ばれるから」
「そうなん?」
これは初耳だった。
「貴船神社って、縁結びの神社でもあるでしょ? 直接お願いしたら?」
「磐長姫様ね。まぁ、いよいよやばくなったら頼んでみるよ」
あはは、と乾いた笑いで誤魔化した。
「おねーちゃん」
時刻は午後三時過ぎ。ハナの声がして、見てみれば、二階から下りて来た。聖域から直接来たのだと分かる。
「あら、ハナちゃん」
母がハナを呼んだ。ハナは母に頭を撫でられると、タエへと向き直った。
「高様が呼んでる。生身の体のままで」
「えっ、どういうこと?」
よく意味が分からない。生身の体では、聖域に入る事はおろか、鏡を通り抜ける事がまず不可能だ。ハナは続けた。
「方法はあるから、行く用意するよ」
「よ、用意?」
タエと母は顔を見合わせ、皆でタエの部屋に向かった。
「長旅になるから、必要な物を持って行って。服と下着と、暇つぶしの道具とか」
「長旅!?」
タエは声を上げた。
「ハナちゃん、ちゃんと説明して。二週間もすれば学校が始まるのよ?」
母も戸惑っている。
「高様は、詳しくはお姉ちゃんが来たら話すって言ってたから、私もよくは知らないの。でも、お姉ちゃんの生活に迷惑はかけないって約束してるから、お母さんも信じて」
神様の呼び出しなので、すぐに行かなくてはいけないのは分かっている。タエはとりあえず、出かける用意を始めた。
言われた通り、大き目の肩がけカバンに下着と靴下、替えの服を数着。タオルも数枚。櫛やヘアゴム等、女子に必要なグッズ。スマホと充電器、まだ残っている夏休みの宿題と教科書類、読みかけの雑誌、先日雑誌の懸賞で当たった小型のポラロイドカメラを入れた。
「お姉ちゃん、晶華の依り代とか、高様にもらった道具も忘れずにね」
ハナが助言してくれたので、タエも忘れずに入れる。
桂の木で作られた、晶華の依り代
神水に浸して乾かした白い紙。
絶対にちぎれない細い紐。
御神体と同じ小さな鏡。
貴船の神水が入った小瓶。
鏡はハナとの連絡に使ったが、他の道具は、まだ使う機会がなく、ポーチに入れていたままだった。
「一応、用意してみたけど。どうやって行くの?」
ずしりと重くなったカバン。肩にかけると少々痛い。
「行くにはこの羽織を着て」
ハナは持ち込んでいた風呂敷包みを差し出した。タエが広げてみると、オレンジとピンクが淡く混じった色彩に、下にいくほど白くグラデーションになっている女性ものの羽織だった。とてもキレイだ。
「カバンは肩にかけたまま、羽織を上から着て」
言われた通りに羽織った。Tシャツ、キャミソールにスキニーパンツの服装が、羽織に合わない。しかし、一瞬にしてタエの体が軽くなる感覚に襲われた。聖域にいる時の感覚と同じ。高龗神の力が籠められているとすぐに分かった。
「タエちゃん、ハナちゃん、気を付けてね」
母が心配してくれる。二人は笑顔で頷いた。
「うん。ちゃんと帰ってくるから。行ってきます!」
タエとハナは光に包まれ、鏡の中に吸い込まれて行った。それを母が見つめている。
「神様、二人をよろしくお願いします」
切に願った。
貴船神社の聖域に降り立った。生身の体で来る事になるとは。タエは不思議な気持ちだった。
「来たか」
御神体の側に、笑顔の高龗神が二人を待っていた。
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