87 磐長姫命
「そんなん呼んでくれたら、すぐに飛んで来ましたよぉ~!」
叉濁丸の戦いから数日過ぎた、昼間の明るい貴船神社。京都は妖怪達の生活も、人間の生活も元に戻り、あの騒ぎなどすぐに忘れられてしまいそうだ。式神達も通常業務に戻って、各地を回っている。今、神社にいるのは高龗神とハナ、そして釋だった。
叉濁丸復活の時、大阪でも禍々しい気配を感じ取っていたが、上司の火之迦具土神が手を出すなと釘を刺したので、じりじりとした気持ちでその夜は過ごしたのだと言う。そして、京都が落ち着いた今、こうして訪ねて来てくれたのだった。
「叉濁丸は京の妖怪達と因縁があったからの。わしらの力で、決着を付けたかったんじゃ。すまんのぉ」
高龗神は、聖域の本殿の欄干に座って、愉快そうに笑っていた。釋はというと、本殿に上がる階段に腰を落ち着け、ブーブー言いながらお茶を飲んだ。ハナが出してくれたお茶だ。もちろん毛一本入っていない。犬の手でどうやって入れているのかは、謎だ。
「せっかく借りを返せると思ったのに」
ハナが袋を持って部屋から出てくる。釋の側に来て、ちょこんと座ると、釋は迷わずハナを撫でだした。高龗神は目を丸くしている。
「釋、おぬし、そんなに律儀な男じゃったか?」
「俺は律儀ですよ? 受けた恩は忘れませんよ」
「へぇ、初耳じゃな」
「困った時は、必ず相談するから、その時はお願いね」
ハナのつぶらな瞳が釋を射貫く。釋はぎゅむっとハグをした。
「はぁ~、ハナは可愛いなぁ。癒されるわぁ」
わしゃわしゃと撫でられ、毛並みがボサボサになった。それでも、不快に感じないのは、釋の魅力だろうか。
「じゃあ、そろそろ私は行きますね」
「ああ、頼んだぞ」
「? ハナ、どっか行くんか?」
ハナが袋を咥えて聖域の奥へ行こうとするので、釋は聞いてみた。
「磐長姫様の所。姫様宛の絵馬があるから」
高龗神の仕事の手伝いだ。
「そっか。行っといでー」
「はーい」
「高龗神様、デートしません?」
「わしは忙しい。酒の飲み比べの相手ならしてやるぞ?」
「高様っ! 昼間っからダメですよ!!」
ハナがすかさず止めた。
「磐長姫様」
恋愛成就の神様、磐長姫の社へ来た。彼女は顔が醜い為に、美人な妹と一緒に神に嫁がされたが、彼女だけ返品させられるという悲しい過去を持つ。自分を恥じた彼女は、貴船の地に留まり、自分の代わりに他者に良縁を結んであげようと、ここに社を持った。大変見上げた心を持つ神である。
「ハナ、いらっしゃい」
ハナは礼をして、社へ上がる。高龗神の本殿に比べれば規模は小さいが、彼女の住処と仕事場は、美しい花や刺繍の布が飾られ、とても女性らしく可愛らしい社だ。ハナはここも好いていた。
「絵馬をお届けに来ました」
咥えていた袋を置き、彼女に渡す。
「ありがとう。お茶でも飲んで、ゆっくりしていって」
「はい」
ハナは、磐長姫と一緒にお菓子をつまみつつ、お茶を飲み、話にも花が咲く。
「いろいろ恋愛の願いを読むでしょ?」
「はい」
「やっぱり、いいなぁって思う時があるのよね。私も、人の子がしてるような恋愛を、してみたかったなぁって」
「華道や刺繍の腕も一流ですから、認めて下さる方がいればいいですね」
「そうなのよ。ハナ、あなたはいろんな方と共闘してるでしょ。良い殿方がいたりしない?」
「そうですねぇ」
確かに、いろいろ共闘してきたと思う。各地の代行者もそうだし、叉濁丸の件では、京都の腕の立つ妖怪達と戦った。皆、それぞれに良い所がある。鴉天狗の黒鉄達も男らしく、格好良いと思える。しかし、ハナは犬なので、人間の色恋には少々疎く、彼女の求める“良い殿方”の基準と自分の思うものが同じなのか、自信がなかった。
「あっ」
一つ、思い当たる事があった。
「今、高様の所に、大阪の代行者、釋が来てるんです」
「あら、大阪の?」
磐長姫は持っていた湯飲みを置いた。
「釋は強いし、話すと楽しいし、私は格好良いと思います」
「釋様、ねぇ」
うーん、と考えると、立ち上がった。
「遠目に見るだけならいいわよね。私も一緒に本殿に行ってもいいかしら?」
「はい。もちろん」
ハナは笑顔で頷いた。
「釋、いつまでいる気じゃ?」
高龗神は天気が良いので、廊下に机を出し、仕事をしている。
「タエが来るまで待ってもいいですか?」
「迦具の髪の毛が炎上するぞ」
「それはやばいですね」
よいしょ、と立ち上がる。
「じゃあ、ハナが戻って来るまで。もうすぐ戻るでしょ?」
「あ、いましたよ。あの赤毛の男性です」
木の影にいる磐長姫に教える。そっと釋を見た彼女は、震えだした。
「あ……あ……」
彼女の目には、釋の周りにキラキラと星が飛んでいた。さらりと流れる長い赤毛。引き締まったたくましい体。高い身長。
「? 姫様?」
ハナは首を傾げた。
「……いた」
「へ?」
「私の王子、いたぁっ!!」
ダッシュで釋へと走って行く磐長姫。そのアスリートのような走り方は、姫の肩書が落ちてしまいそうだ。釋は、迫って来る気配にはっとなり、ぎょっとなった。
「なあ!?」
突進して抱き着く磐長姫。がっちり締め上げ離さない。
「だだ、誰ぇ!?」
「わ、わたしっ、磐長姫命と申します! 釋様、好きです!!」
「はあ!?」
いきなりの告白に、釋は顔色が真っ青になった。目の前の光景に、高龗神は「ほお」と声を上げる。
「あっ、ハナ! 助けて!」
素直に助けを求めた釋。本殿に歩いてきたハナも驚いていた。
「姫様が一目、釋を見たいって言うから連れて来たんだけど」
「お前が連れて来たんかい! 磐長姫様、ちょっと離れていただけます?」
冷や汗をだらだら流しながら、釋が必死に腕を解こうと力を入れるがびくともしない。
「力強すぎやろ……!」
「まずはお友達からお願いします!!」
磐長姫が、目をキラキラさせながら釋に近付いた。一目惚れした彼女のパワーは凄まじい。普通よりも劣る顔だが、恋する女子であることに変わりはない。ハナから見れば、彼女も可愛らしいと思えるものだった。
釋の目には、少し違って見えたようだが。
「いや、あの、俺は大阪で仕事がありますから。もうお暇しますんでっ!」
「あと少し! そのお顔を眺めさせて下さい!!」
「ひぃっ」
逃げたくても逃げられない。涙目になった釋は、高龗神とハナを見た。高龗神は釋の面白い姿をしっかり見ようと、階段を下り、ハナの隣に立っていた。
「高様、ハナ~~!」
「磐長姫は、とてもしとやかで、女らしいぞ」
「その方の本質は、外見じゃあないでしょ?」
「物凄い正論言うなぁっ!! 俺にも好みってものがあんの!」
逃げるように去って行く釋。それでも磐長姫はめげなかった。
「さよなら釋様。またこちらへ来られたら、うちにもいらっしゃってねー!」
優雅に手を振る磐長姫。釋はあっという間に見えなくなった。
釋が見えなくなっても、ハートを飛ばしている磐長姫を見ていた高龗神とハナ。高龗神はぼそりと言った。
「ハナ。おぬし、やるのぅ」
「?」
ハナは彼女の言葉の意味がよく分からず、首を捻るばかりだった。
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