86 薄っぺらい言葉
「ターエーちゃん」
涼香と稔明と別れて帰宅途中。河原から離れた道を歩いていたのに、紗楽がいた。ふわふわ漂いながら、にこにこ笑ってこちらに来る。
(もうすぐ結界に入る所だったのに……)
高龗神が花村家の周りに張ってくれた結界だ。紗楽は入れないので、結界の前にいたらしい。
「昨夜はお疲れ様でした」
「紗楽はここにいたの?」
「京都市内に大きな結界が張られてましたからねぇ。行ける所までは行きました。遠くからタエちゃんを応援していましたよ。ご無事で何よりです」
薄っぺらい言葉。全く心がこもっていない。タエはとりあえず返事をする。
「ありがとね」
「おんや? 元気がありませんねぇ」
「そう?」
「失恋したとか?」
「……」
この男、どこかから見ていたのだろうか。
「何言ってんの。お腹が空いて元気がないの。だから家に帰る所」
適当に流して、結界に入ろうとした。
「そうですか」
紗楽は顔に貼り付いている笑みを深くして、タエの前にするりと回り込む。
「相手が欲しいなら、あたしがなってあげましょうか?」
「は?」
紗楽の細く長い指が、タエの頬を撫でた。すり抜け触れられるはずがないのに、タエはぞくりと背中が冷たくなる。
「冗談やめてよ。あんたは幽霊やろ? 私はまだ生きてるんで、お断りします」
「おやおや、残念」
「じゃあね」
最後はおどけて肩をすくめていたので、タエは深い意味はなかったと思い直し、笑顔を見せて爽やかに別れを告げた。結界に入り、家に向かう。
その姿を見送り、紗楽はキセルを取り出した。
「本当、残念ですね」
灰色にくすんだ煙が空に消えていった。
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