83 宴
「ふぅ」
心と力を静める。降雨の術を解いた。貴船神社にいる高龗神が空を見上げれば、雲がどんどん晴れてくる。神水の雨に市内は清められ、とても空気が澄み、清々しい。
「高龗神様、ご苦労様です」
「渓水。お前もよくやってくれた」
高龗神が雨を降らす事が出来たのは、渓水が貴船の源流が瘴気で濁らないよう、守ってくれていたおかげだ。実際、叉濁丸の瘴気は土にも染み込み、近付いて来ていた。渓水は頭を下げる。
「竜杏。タエとハナ、そして京都の妖怪達が、力を合わせ、やってくれたぞ」
貴船の竜神は、美しく微笑んだ。
「ほれ、来たぞ!」
時刻は午後九時になろうとしている。晴明神社の上空に、影が見えた。淳明の式が、タエと稔明がハナに乗って飛び立ったと連絡したので、外で待っていた。
もう雨は止んで、夜空には星が輝いている。高龗神の雨が、瘴気を完全に浄化したのだ。淳明と丈明も、結界を既に解き、休んでいた。彼らも物凄く疲れたからだ。
「トシくん!」
たまらず涼香が手を振って名を呼んだ。大分近付いてきたので、タエ達からも涼香や淳明達の姿が見えた。
「ただいまー!!」
タエの後ろに座る稔明も答えて手を振った。ハナは晴明神社の庭に降りる。涼香はその目に映った二人と一匹を見て、目を瞠る。それでも、稔明の姿を認めると、思わず抱き着いた。
「りりょりりゃっ、涼香ちゃ……!?」
まだそこまで耐性がない稔明は、がっちり固まっている。隣に立つタエとハナは、にやにやしていた。
「良かった、良かった……」
涼香は泣いていた。あの状況で別れたのだから、無理もない。ホッとしたら涙が出てきたのだ。
「タエ……、ホントにタエぇ!?」
今度はタエに目がいく涼香。いつものように肩に手を置こうとしたら、手がすり抜けた。
「あ、これで触れるよ」
現世に干渉する。涼香は、タエの着物に触れた。神の衣は絹のようにさらさらとした感触だが、戦いになると、鎧のように攻撃を弾く。
「キレイ。本当に、戦ってきたの?」
「うん。私の仕事やから。黙っててごめんね」
「ううん。神様の御使いなんて、普通やったら、信じられへんもんね。で、この子は……ハナちゃん!?」
「久しぶり、涼香ちゃん」
「しゃ、しゃべってるーー!!」
よろりと眩暈が。涼香はタエ達の最大の秘密を知り、頭が大混乱。
「こんな世界があったのね……」
現実をしっかり受け止める涼香だった。
「トシ、よくやったな。一族の誇りだ」
淳明が、素直な言葉をかけた。稔明は嬉しそうに照れている。
「妖怪や、妖狐様に力を借りたよ。妖狐様は光の矢を守って、右腕をなくしたけど……」
「少し前に還って来られたよ。腕の事は、気にしておられなかった。また、御礼を言っておきなさい」
「うん」
親子の会話。稔明は帰って来たのだと、ようやく実感出来た。すると、目の前がぐるりと回転したかと思ったら、ばったり倒れてしまった。
「トシ!」
「トシくん!?」
頭を打つ前に淳明が受け止めたので、無事だったが、稔明は目を回して気絶している。
「相当力を使ったから。今まで緊張してた分、ホッとしたら疲れがどっと出たのかな」
タエが稔明の顔を見て言った。ハナも彼に近付き、ありがとう、と言葉を贈る。そうして、淳明がおぶって社務所に運ばれて行った。
「あーあ。涼香ちゃん、あいつが起きなかったら、俺と父さんで家まで送るよ」
丈明が人の良い笑顔を涼香に向けた。爽やかイケメンに、涼香は顔が赤くなってしまった。タエは苦笑いだ。
「涼香さん、おたくの彼氏はあっちで倒れてる人やろ」
「知ってます。単純に素敵な人やから、見惚れただけですー」
笑い合う。本当に終わったのだと、タエも心の底から安心した。
「じゃあ、私達は神社に戻るから、涼香ちゃんはちゃんと送ってもらってね」
「一緒に帰れへんの?」
「今の私は魂だけなの。体は家にあるから、特別ルートで帰るんよ。また明日ラインするね」
そう言うと、ハナの背に乗る。
「分かった。ハナちゃんも、お疲れ様」
「ありがとう。気を付けて帰ってね」
さよならを言うと、タエとハナがふわりと浮いた。手を振り、遠ざかる。
「っ!?」
タエは、晴明神社本殿の横の開けた場所に、人影を見た気がした。影は六つあったように思う。顔は暗くて見えないが、こちらを見ている気がした。
「お姉ちゃん?」
ハナが不思議そうに尋ねた。
「何でもない」
そう答えて、神社へ向かう。
「タエ、ハナーー!!」
貴船神社に戻ると、高龗神が待っていたとばかりに、二人に駆け寄って来た。まずはハナをぎゅう、と抱きしめる。
「頑張ったな。よくやった!」
「高様も、雨をありがとうございました」
尻尾をぱたぱた振るハナ。
「タエもっ!」
「わぷっ」
ぎゅう。豊か過ぎる胸が、タエの鼻と口を塞いでかなり危険だ。息が出来ない。
「よく戦い抜いた!」
ぎゅうぎゅう、力を入れるので、タエは意識が飛びそうだった。
「高龗神様、タエが消えますよ」
「え? あっ!」
渓水の冷静な言葉に体を離すと、タエは窒息しかけ、顔色が真っ青になっていた。
「だ、だいじょぶ……れす……」
「がははっ。主に殺されるなど、洒落にならんなぁ!」
賑やかな声が聞こえてきた。タエも気をしっかり持ち直す。よく周りを見て見れば、神社のあちこちに沢山の妖怪がいたのだ。避難していた妖怪も、一緒に戦った妖怪の姿もある。双風道は開けた場所にあぐらをかいてリラックス状態。大きな酒瓶を手に、ぐびぐび酒を煽っていた。
「鴉天狗の方々がここにいるって、初めてですね」
ハナが正直な感想を言った。
「普段は立ち入るなど考えられんがな。今夜だけは、皆で勝利の宴をしておるんじゃ。瑞龍山で解散と聞いたが、双風道が全員ここに連れてきおった」
高龗神も嫌がる事なく、受け入れていた。各地から白く美しい着物を着た女性が、手に料理や酒を持って、どんどん来ている。市内各地の、神社の使いだと高龗神は説明した。討伐の功績を称えて、祝いの品を送って来たのだと言う。
「皆で分担して、叉濁丸の目覚めで起こった亀裂や大穴を塞いだんじゃ。おかげで早く終わった」
「あー疲れた」
白千、白露もそこにいて、料理を口に運んでいる。渓水に、ハナが助けた式神二人も近くにいて、彼らも挨拶をしてくれた。皆の無事を確認できて安心するタエとハナ。食事に目がいく。正直、おいしそうだ。タエのお腹も鳴りそうになる。
「お二人も、お疲れ様です」
タエとハナが挨拶した。
「お前達も、ご苦労だったな」
「こっち来て食えよ。うめぇぞ」
白露がおいでおいでをしてくれている。
「え、いいんですか!?」
タエの目がキラキラ輝きだした。タエは食べる事が大好きなのだ。美味しいものには目がない。
「でも、今夜もまだ仕事が」
ハナが眉を寄せた。高龗神がハナの頭をポンと撫でた。
「各地の神が連絡を寄越して来てな。今夜くらいはゆっくりしろと。じゃから、二人も宴に行って良いぞ」
にっと笑ってくれる。いつも朝まで戦うので、日付が変わる前にもう仕事が終わりなど、初めての事だ。
「タエ!」
「車輪くん」
車輪の妖怪がタエの所に飛んできた。手にはスイカを持っている。赤い肌の彼に赤いスイカは、とてもマッチしていた。
「こっちこっち!」
ぐいぐい手を引いて行く。
「じゃあ、行ってきます」
高龗神とハナに言って、タエは車輪の妖怪と一緒に宴の輪に入って行った。妖怪達が彼女の周りに集まり、礼を言われ、労いの言葉をもらう。そして、神様の使いの美女が食事を持ってきてくれた。それはとても美味で、タエの胃袋を満たしていく。
「高様ー、ハナさーん! 一緒に食べましょー」
タエも二人を招くので、高龗神とハナも入って行った。
「高龗神、今夜こそ負かしてやるからな!」
「誰を負かすって? わしに勝とうなんざ、一万年早いわ」
どんっ、と机に大きな酒瓶を二つ置く。双風道と高龗神が、胡坐をかいて飲み比べを始めたのだ。いつも決着が着かず、引き分けになる。妖怪達はやんやと声援を送っているが、貴船神社のチーム高龗神と鴉天狗達は渋い顔をしていた。彼らが酔った時、どうなるかを嫌と言うほど知っているからだ。そして酔いつぶれた時、厄介な事になるのは必至。面倒を診るのは自分達なので、目の前で繰り広げられる勝負には不安しかない。
「あぁ……始まった……」
渓水達が絶望的な表情になっている。白露は逃げようとしたので、白千に締め上げられていた。
「あはは……。あれ?」
苦笑するタエは、宴の席から少し離れた杉の木の上に座る、黒鉄を見つけた。
「黒鉄さん」
「タエか」
彼はそこから外の様子を見ていた。もう夜なので真っ暗だが、遠くに市内の町の明かりが見える。
「隣、良いですか?」
「ああ」
短く答える黒鉄。タエは右隣に座った。
「宴会は、もういいんですか?」
「今は恐怖の飲み比べだろ。巻き添えを食らいたくないからな」
「なるほど。私、お二人の対決は初めて見ます」
「今は楽しくても、終わったら後が大変だろう」
「高様が酔ったらどうなるかは、見た事がありますね……」
出雲での会議終わりの宴会で、酔いつぶれたまま帰って来た彼女。あの時の事を思い出す。凄まじい絡み酒だった。
「そっちは式神が何とかするだろ。お前は楽しんで来い」
「少し休憩です。黒鉄さん、羽を貸してくださって、ありがとうございました」
「何度も聞いた」
「それだけ感謝してるんですって。羽は戻りました?」
黒鉄の羽は戦いで歪んでしまった。今見る限りでは、元の美しい羽に戻っているようだが。
「大丈夫だ。ちゃんと回復した」
「あぁ、良かったです! 戻らなかったらどうしようって、心配やったんですよ」
ホッと胸を撫でおろす。黒鉄はそんなタエを見て、ふっと笑った。
「俺も安心した。お前達に協力し、守れたからな」
その言葉に、タエは思い出した。
「そうだ。黒鉄さんが言ってた、約束した“あいつ”って誰ですか?」
「……そんな事、言ったか?」
ふい、と目を逸らす黒鉄。妖しさ大爆発だ。
「ちゃんと聞きましたよ。約束って、私とハナさんに関わる事ですか?」
黒鉄はタエに視線を戻すと、頭をぽんと撫で、わしゃわしゃと髪を乱した。
「うわあっ」
「必死だったからな。変な事を口走っただけだ。気にするな」
「ほ、ほんとですか?」
「ああ」
黒鉄が言わないので、聞いて欲しくない事なのかと思い、タエはそれ以上聞かなかった。乱れた髪の毛を直す。
「それより、強くなったな」
「ふふん。黒鉄さんにそう言ってもらえると、嬉しいです」
よっしゃ、と拳を握った。
「ああ。俺に毎日勝負を挑んで来た時の事を、思い出す」
「懐かしいですね。去年の九月か十月くらいからでしたよね。ずっと前みたいな感覚です」
「それだけ色々な事が、あったという事だ」
黒鉄に弱い代行者はいらないと言われ、奮起した。道場破りだと意気込み、彼に勝てるまで、毎日勝負を挑みに行った。約半年かかったが、勝ちを手に入れ、認めてもらったのだ。
「黒鉄さんのおかげで、また一つ強くなれたんです。黒鉄さんは、技を鍛えてくれた、師匠だって思ってるんですよ」
タエを見た。にこにこと笑っている。初めて会った時は、黒鉄に圧倒的な力の差を見せられ、恐怖の色を見せていたのに。
「教え子がここまで成長すれば、師匠冥利に尽きる、という所だな」
「まだまだ頑張りますね、師匠」
「ああ。慢心する事なく、邁進しろ。そうすれば、この京を守り続けられる。タエとハナなら出来るだろう」
「はい!」
彼にここまで言ってもらえるとは。しっかり認めてくれている証拠だ。タエにはそれが嬉しかった。
(黒鉄さんが、がっかりしないように、もっと頑張らなきゃな)
ここにいる妖怪達も、タエを受け入れてくれている。それは、自分達の住処を守ってくれると信じてくれているからだ。困った時は力を貸してくれる。一人ではない事に感謝し、タエは夜空を見上げた。
満月が、美しく輝いていた。
この後、高龗神と双風道は同時に倒れ、今回も引き分けとなった。それから酔いつぶれた二人を介抱するのに、タエ達と黒鉄達は、字の如く、骨を折る事になる。
読んでいただき、ありがとうございます!