80 瘴気
南禅寺山が黒い瘴気に包まれる。市内にも流れ込んでいた。高龗神の雨が瘴気の飛散を抑え、濡れた所が浄化の力を発揮し、汚染を食い止めている。警察のおかげで近隣住民は全員屋内にいる為、難を逃れた。
「先輩! なんすか、今の地震と突風。それに何か明るくないですか!?」
「もうよく分からんっ」
パトカーで付近を巡回していた警官が車内から外を見た。窓は雨が打ち付け濡れている。明るくなっているその向こうで、煙のようなモノが立ち昇っている。そしてそれはこちらへ向かって来ていた。
「南禅寺山付近にいる警官は、ただちに鴨川より西側へ避難せよ!」
ジジッと音が鳴り、パトカーの無線が伝えた。
「毒の瘴気が発生したと連絡あり。ただちに鴨川より西側へ避難せよ!」
二人は血の気が引く感覚がした。
「急ぐぞ! 窓開けんなよ!!」
「はいぃっ!!」
先輩警官がハンドルをきり、急いでその場から離れる。動物園の側の道を走り抜けた。近くの道は封鎖しているので、一般車はない。
「良かった。動物達も、屋内にいますね」
「閉園後だったからな。客もいなくて助かった」
ホッと息をつく。動物園の外はがらんとしていて、誰もいなかった。ただ、屋内に避難している動物達は、叉濁丸の気配に気付き危険を察知し、落ち着きがない。園のスタッフは警察の指示通り、自分達も屋内にいるが、動物の様子を見て、一抹の不安を覚えていた。
「お姉ちゃん!!」
ハナが叫ぶ。双風道のツルによって、刺叉の下から助け出されたタエと車輪の妖怪は、傷付いていた。刺叉の威力と、木の属性の力を直接受け、自身もダメージを受けたのだ。翼から元の姿に戻った黒鉄が、タエと車輪の妖怪を抱きかかえている。
二人が心配でならないが、代行者としての務めが最優先。横目で彼らが木霊の所へ向かうのを確認し、ハナは神水を呼び出して、大地に入った亀裂に流し込んだ。
「土の属性の者はおるか! 木の者よ、亀裂を埋めるのだ!!」
双風道は稔明を乗せているので動けない。それでも、亀裂から瘴気が漏れ出そうとするのを抑え込む為に、力を振り絞る。
「タエ……、タエ!」
「う……」
タエは何とか返事をした。
「黒鉄様、あなたもケガがひどいです」
「俺はいい。二人を治してくれ」
黒鉄は、下から突き上げてくる木からタエを守ろうと、翼を盾にしていた。その為、美しい翼が、今は歪んでしまっている。痛いはずだが、彼は自分よりもタエと車輪の妖怪を優先させた。周りを見れば、瘴気に当てられ苦しむ数々の妖怪達が、木霊の側に集まっていた。木霊達も一気に負傷者が増えたので、混乱気味だ。
「叉濁丸……」
黒鉄は、叉濁丸を見上げた。刺叉を突き刺し、満足気ににたりと笑いながら、のそりと上体を起こしている。昔の事を思い出した。親友が叉焔丸と叉濁丸に立ち向かった時の事を。
――俺も戦う!――
――黒鉄、気持ちだけ受け取っておくよ――
――何故だ。一人でも多い方が良いだろう――
――お前が戦うのは、今じゃない。双風道様の手伝いに行くんだ。仲間も手ひどくやられただろう――
――だが……――
――前にした約束、覚えてるか? 頼むな――
「ああ、覚えている」
黒鉄はタエの頬と、車輪の妖怪の頭を撫でた。
「この二人を早急に回復させてくれ。奴を倒すには、二人の力が必要だ。他の傷付いた者はここから避難させた方がいい。お前達も、瘴気から離れろ」
「了解しました」
木霊達は返事をすると、二人の回復と非難への準備に別れた。八人がかりで回復の術をかける。
黒鉄は、歪んだ翼のまま、空へと飛び上がった。周りを見渡せば、稔明の壁になっている妖怪達だけで、十人もいない。そして、彼らの疲労も半端なかった。今、万全の状態で戦える者はほとんどいない。それほどまでに、この妖怪と瘴気は仲間を傷付けたのだ。
スラリと刀を抜いた。通常の刀よりも長い刀身。叉濁丸の眼前に黒鉄が立ちはだかる。
叉濁丸は、稔明を潰そうと腕を伸ばしてくる。その手を瞬時に細切れにし、復元に時間がかかるよう、タエと同じように蹴散らしていく。黒鉄は木の属性なので、攻撃の効果があった。
「黒鉄さん!」
「全ての準備が整うまで、時間を稼ぐ」
ハナも飛び出し、彼と共に叉濁丸に攻撃を再開した。神の加護を受けているハナに瘴気は効かないが、妖怪である黒鉄達は別だ。雨で抑えられているものの、噴出口の真上にいるので、瘴気の影響は避けられない。双風道が風を起こし、味方に瘴気がかからないようにしているが、どんどん噴き出る瘴気に対応しきれていなかった。
(光の矢が出来るまで、お姉ちゃんが回復するまで、黒鉄さんが瘴気で倒れる前に……。間に合え、全部間に合え!!)
ハナは必死に叉濁丸に食い下がる。刺叉を抜き、振り回してきた。それに叩かれ、弾かれても、神水の龍を出し、動きをコントロールし、右腕を締め上げた。掴もうとしても水なので掴めない。どろどろと泥になっていく腕。そして、右腕がどろりと垂れ下がり、体から離れた。ハナもこの戦いで、龍登滝の応用技を身に付けていた。
「水龍、逃がすな!」
泥が体に戻ろうとスライムのように動き回る。それを呑み込み、動かないよう食い止めた。
「消し飛べぇ!!」
黒鉄が心臓から離れた体へ向け、己の渾身の力を振り絞り、強力な風を巻き起こした。途端に叉濁丸の体が崩れ、風に乗って散り散りに吹き飛んでいく。ぜいぜいと、柄にもなく息が切れる。
「さすがです、黒鉄さん!」
「それでも倒さん限り、戻って来る。矢はどうなった?」
二人が稔明へと振り返る。壁になっている妖怪達の背が明るい。彼らも場所を空けると、目をつぶっても明るさを感じるほどの強い光がそこにあった。
「これが……」
稔明もまばゆい光に、呆然としていた。
「この術は、天に輝く星の光を借り、そなたの想いが光を強くした。これは、そなたの心の光だ」
「俺の、心……」
妖狐の言葉を聞き納得する。稔明の心は熱くなっていた。
「光が……安倍くん」
タエの意識が戻り、上空に浮かび上がる強い光を確認した。痛みで軋む体を起こす。
「タエ、まだ治っていません」
木霊がタエを止める。隣を見ると、車輪の妖怪も目を開き、動き出す。
「あなたもまだ傷が――」
「行かねぇと……」
タエと車輪の妖怪が顔を見合わせた。二人とも、行かなくてはいけないと、瞳の中の決意は変わらない。
「光の矢は完成してるのかな?」
「いや、あと少しって所だ」
車輪の妖怪が即答する。
「知ってんの!?」
「まぁな。前の戦い、遠目だったけど見てたから。発射される前、矢の先に光の環が見えた」
「光の環……。木霊の皆っ」
タエが木霊へと振り向いた。木霊はぴくりと肩を揺らした。
「ギリギリまで回復をお願い! この子もね」
「分かりました」
木霊が四人ずつに分かれ、回復術を再開した。矢が完成するまであとわずか。それまで黒鉄とハナ達が叉濁丸の相手をしてくれている。中途半端な状態で戦いの中に戻ったとしても、足を引っ張るだけだ。体は、万全には戻らないだろうが、時間が許す限り、回復に努めるのが先決だとタエは判断した。車輪の妖怪もタエの決断に従った。
「稔明、お前は矢を放つ事だけ考えろ。狙いは俺がやる」
「は、はい!」
稔明の後ろから、彼を支えるように弓に手をかけた葛葉。稔明の手に添え、揺れる弓を安定させ、刺叉を狙う。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!!」
光の矢を作る、最後の手順。九字。通常は手刀の印を組み、格子状に九字を斬って退魔を行うが、今回は、言霊で九字を斬る。稔明の声に合わせて、矢の先に光の格子の呪が引かれる。そしてそれが一つにまとまると、矢を中心とした環が生まれた。
「完成した!」
しかし、稔明の生気をふんだんに使うので、長くはもたない。それは葛葉と妖狐も分かっていた。
「黒鉄! 撃つぞ!!」
葛葉の声。光がどんどん強くなり、エネルギーの塊と化す。弓で構えているだけでも相当の力を使う。
黒鉄とハナが反応した。ハナはずっと水龍を使い、刺叉の動きを止めていた。ハナの疲労もピークを越えている。黒鉄も叉濁丸の砂の体を一人で対応するには、限界があった。
「来るぞ。矢が当たったら、刺叉を折りに行け」
「はい!」
「環が出た!」
車輪の妖怪が声を上げる。タエは晶華を握った。まだ体が痛むが、そう言ってはいられない。
「回復ありがとう。私の背に乗って。行くよ!」
すぐに車輪の妖怪を背負い、思い切りジャンプした。目指すは黒鉄だ。
「黒鉄さんっ、もう一度、翼を!!」
彼もそのつもりだった。タエへと手を伸ばし、細いその腕を掴むと翼へ変化し体に纏わせる。
「タエ、俺の炎も使え!」
車輪の妖怪が晶華に炎を纏わせた。水と炎が打ち消し合う事もなく、二つの力が合わさる。
「いっけええぇぇぇ!!」
稔明の叫びと共に、番えていた手を離す。
光の矢が、放たれた。
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