78 夜の帳
「刺叉が奴の心臓だったとは……」
高龗神も初耳だった。
(竜杏め。大事な事は一番に言うべきじゃろうが。……違う。あえて言わなかったのかもしれんな。あやつは、全て分かっていたはずじゃから――)
夜の帳が降りようとしている。神水の雨の力を強くした。雨は変わらずしとしとと降るが、その雨粒一つ一つの浄化の力を強化したのだ。邪悪な心を持つ妖怪なら、その雨に打たれれば、溶けてしまうだろう。
「木霊よ、おるか?」
「はい」
高龗神の呼びかけに、大きな杉の木の木霊が現れた。
「奴と戦い、傷付く者もおるじゃろう。応援に行ってはくれぬか?」
「承知しました」
木霊は、現場に赴く者を募り、急いで出かけて行った。
「皆、死ぬなよ」
高龗神は、奥歯を噛み締めながら呟いた。
心細く、一人でホテルの屋上の屋根の下にいると、がちゃりと音がして勢い良く扉が開いた。
「あぁ! あなたが稔明の彼女さん?」
入って来た女性は、とても上品な人のように見えたが、急いで来てくれた為に息を切らして髪の毛も多少乱れている。目元や顔のパーツが、稔明と似ていた。
「は、はい。宮路涼香です」
稔明の母親だという事は明らかだった。彼女の口から、自分の事を“彼女”と言われると正直照れる。
「稔明の母です。初めまして。頭と肩が結構濡れてるじゃない。うちに来て、乾かしなさい」
「あの、いいんですか?」
稔明の母は、美人な顔でにこやかに笑った。
「当たり前でしょ。うちで息子の帰りを待てばいいわ。遅くなりそうなら、家まで送るから」
「はい。ありがとうございます」
稔明母に連れられ、ホテルの中に入った。夏の暑さのおかげで濡れても平気だったが、屋内に入ると、クーラーの冷気が少し寒く感じた。
「木の属性の者よ! かかれ!!」
双風道が印を組み、叫んだ。鴉天狗と木の属性の妖怪達が叉濁丸に飛び掛かる。木の幹を出現させ、動きを止めようとする者、武器に木の力を籠め、攻撃する者。
「っな!?」
全員の動きが止まる。叉濁丸がいた場所に、何もないのだ。
「上だ!!」
タエとハナが、鴉天狗達よりも上空を飛び、ジャンプしていた叉濁丸に斬りかかる。一瞬の間に、叉濁丸は巨大な刺叉を持ったまま、脅威の跳躍を見せたのだ。先ほどまでの動きと全然違う。
「龍爪!」
ハナが叉濁丸の目を狙い、強化した爪を閃かせた。
「晶華!」
タエの呼び声で、晶華の刀身が大きくなり、刺叉を狙った。
叉濁丸の目を潰すハナ。痛覚があるとは思えないが、目の周りの砂が一気に削がれる。そして渾身の力で、刺叉に晶華を打ち付けた。
ぎりぎりと火花が散る。
「っぐ!」
晶華の切れ味を持ってしても、傷一つ付かない。刺叉を見ていたので、叉濁丸の動きを見ていなかった。はっと気づいた時には、叉濁丸の顔がタエの間近に迫る。体を削ったにせよ、人間サイズのタエに比べれば、まだまだ大きい。猫背の姿勢を真っ直ぐ伸ばせば、双風道と同じくらいだろう。
叉濁丸が口を開く。一気にタエへと瘴気を吐いた。タエは刺叉に手をかけ軸にすると、羽ばたいてくるりと回る。叉濁丸の後頭部へと回り込んだ。強烈な邪気を含む刺叉なので、触れたタエの手の平は火傷をしたように赤く痺れた。
「神水よ!」
手の痛みに構わず、晶華の刀身から貴船の神水が溢れ出す。そして叉濁丸の首を、勢い良く放水した水の力で押し切った。
「龍登滝!」
ハナも龍に腕を喰わせ、刺叉から遠ざけようとした。しかし、すぐに砂が細く伸び、繋がってしまう。が、叉濁丸に刺叉を振らせない事には成功した。
重力により、降下する首のない叉濁丸。周りの妖怪達が、術を放った。刺叉を奪おうと木を絡めて引っ張るが、叉濁丸の凄まじい握力が、決して放さない。木が叉濁丸の体を貫き、両手足に巻き付き、捕らえた所で、炎で攻める。
「特大晶華!」
巨大な晶華が五本、叉濁丸の周りを取り囲む。そして結界の中に閉じ込め、身動きを完全に止めた。
「圧縮して!!」
タエが念じると、結界がぎしぎしと音を立てながら、収縮を始める。妖怪達の攻撃の威力もそのまま圧縮するので、内側から膨れ上がる力を抑える事も難しい。だが、これで少しでも叉濁丸のダメージに繋がればと、タエは必死になる。
「胸を張り、腕をしっかり伸ばせ。肘を内側に入れろ。そのまま、弦を引き絞れ」
稔明の側に、妖狐と鴉天狗の葛葉が付いていた。晴明神社の斎稲荷神社の使いの狐だ。赤と朱色の着物を着て、二足歩行で凛と立つ姿は神々しい。神社代表で、稔明のサポートをする為に淳明が願い、赴いてくれた。葛葉も弓が得意で、知った妖怪が側にいた方がいいだろうと、双風道の指示だ。おかげで、稔明は変に緊張する事なく、術に集中している。
「奴に当てようと気を張るな。お前が今すべき事は、光の矢を作る事だ」
「はい」
今は、弓だけ構えている状態だ。
「星よ、我に力を」
心を落ち着けそう呟くと、構えた弓の真ん中、矢を番える場所が、チリリと光った。まだまだそれは小さな明かりで、気を抜けばすぐにでも消えてしまいそうだ。
(矢だけに集中しろ。これに全てがかかってるんだ)
稔明の心臓はどくどくと強く速く鼓動していたが、平常心に努める。目の前で何が起こっても、心を乱してはいけない。
「おおおあああぁあっ!!」
叉濁丸の叫び声が響くと、タエの結界がバキンと砕けた。妖怪達の攻撃も刺叉を振り回し蹴散らし、前へ突進してくる。体は炎に巻かれていたが、気にする素振りもなく、刺叉も悔しいほどに無傷だ。
稔明の光の術に気付いた叉濁丸が、彼を消してしまおうと動き出した。
「っ!?」
叉濁丸の巨体が、稔明に迫る。
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