73 対 叉濁丸
「鴉天狗さん、行き先を変えてください」
「何?」
稔明は何を思ったのか、黒鉄に話しかけた。
「晴明神社ではなく、叉濁丸の所へお願いします!」
「えぇ!?」
声を上げたのは涼香だ。稔明は自分の髪の毛を一本抜き、それに言霊を乗せた。
「父さん、そっちには行かない。叉濁丸の近くで俺の出来る事をするよ」
ふっと息を吹き込めると、彼の髪の毛は真っ直ぐ神社へと飛んでいく。
「良いのだな?」
黒鉄の問いに、稔明はしっかりと頷いた。
「叉濁丸の属性は土ですよね。水の花村さんとハナ様には不利だ。俺も力を貸します!」
「この娘を家まで送る事は出来んぞ。お前がしっかり守れ」
羽の角度を変え、進路を変える。正面に叉濁丸が見えた。涼香が不安そうに稔明を見るので、手をぎゅっと握り、タエの話を簡単にした。
黒鉄が二人を下ろしたのは、叉濁丸から少し距離を取った、ホテルの屋上。
「人間が近付くには、ここまでが限界だろう」
「ありがとうございます」
稔明が礼を言うと、黒鉄はすぐに飛び立っていった。雨がしとしと降っている。二人の髪の毛と服を濡らしていた。
「宮路さんは建物の中に入って。お守りを持っていれば、平気だから」
「ううん。私もここにいる」
涼香は恐怖心があっても、逃げなかった。
「邪魔にならないように離れてる。安倍くんとタエ達が戦うのを、ちゃんと見てる」
タエは神様の御使いで、悪い妖怪を倒す仕事をしているのだと聞いた涼香。現実を自分なりに受け止め、納得したかったのだ。
「じゃあ、屋根の下にいて。何があっても、こっちに来たらあかんよ」
「分かった」
雨で濡れないようにして、涼香はじっと動かない。稔明はそれを見て、屋上の真ん中に立った。目の前の巨大な妖怪を見る。
(瑞龍山……。南禅寺の山号だけど、今その名を知る人はどれくらいいるのか……。あそこの人達は避難してるよな。寺も守れればいいけど)
印を組む。
「五芒血術」
ばっ、と稔明の両手から鮮血が辺りに飛び散る。そして、その血が床に五芒星を描き、赤く光った。
「!?」
涼香も彼の血だと気付き、声を上げそうになったが、ぐっとこらえた。自分は彼の邪魔をしないと決めたのだから。彼らの戦いを見届ける為に、じっとする。
「父さんに札を持ってくるよう頼めば良かったなぁ」
苦笑いの稔明。全ての札を使い切った稔明が術を発動させるには、もう自らの血を使うしかなかった。しかし、札よりも力が強くなる血の術は、今使うのに持ってこいなのだ。
(二人の力となれ!)
「! 動き出した!!」
叉濁丸の腕が動いたのだ。巨体なので、一見するとゆっくりだが、近くで見れば、その動きによるパワーはとてつもなく大きい。右手に持った刺叉を、左手も掴んで持ち上げようとする。タエとハナは、当初の狙い通り、頭を落とす為に技を繰り出した。
「龍登滝!」
ハナは首をねじ切ろうと、空へ昇る龍を横に回転させる応用を見せた。叉濁丸の首の砂が削れていく。切断するタイミングを見て、タエが結界を張る。
「龍聖浄!」
頭部だけなら晶華の結界に入った。叉濁丸の頭部はじゅうじゅうと音を立てて溶けていく。そして圧縮し、頭部は消えた。
「よしっ」
タエがガッツポーズをする。頭部を失った叉濁丸は不気味さを増したが、残った体の砂を使い、新しい頭が生えていく。
「体積は減ってる。これを繰り返していくしかない」
ハナが爪と尻尾を強化しながら言った。技を何度も出す事は疲れるが、今、タエとハナが出来る、最善の策がこれだった。
腕が持ち上がる。刺叉が浮きそうだ。タエはハナの背から踏み切って、巨大にした晶華を振り下ろし、ざくりと右腕を切断した。そしてハナが、切断された右腕の先と刺叉ごと飲み込まんと、龍登滝を再び出す。
「ああぁ……」
叉濁丸がうめき声を出した。吐き出す息は毒の瘴気。タエとハナは浴びないよう気を付け退避する。すると、ハナの集中が切れ、刺叉を崩す前に術が解けてしまった。
「くっ……」
「私も飛べれば――」
近くの民家の屋根に着地したタエは、間髪入れず、晶華を巨大な弓に変化させ、これまた巨大な水の矢を二十本ほど、一気に射られるだけ頭部めがけて射た。体がぐらりと揺れる。
「ハナさん!」
タエはハナを呼ぶと、彼女の背に乗り、飛び上がった。もう切断した腕は戻っている。
「もう一回、首を狙おう! さっきと同じように――」
タエは最後まで言えなかった。ハナも体が動かない。
二人の目前に、叉濁丸の左手があったのだ。奴の動きは遅かった。腕を持ちあげるだけでも風が巻き起こり、二人なら大きな気配を掴み損ねるはずがなかった。
「なっ……」
落ち窪んで生気がない目が、ぼんやりとタエとハナを映す。叉濁丸は、まるで飛び回るハエが邪魔だと言わんばかりに、思い切り二人を地面に叩きつけた。
物凄い風圧。巻き込まれ回避できず、タエとハナは叉濁丸の足元に落とされ、その地面にめりこんだ。
「がっ……!」
体にかかる圧力は、今までに感じた事のない強さだった。内臓が押し潰されそうになり、血を吐く。高龗神の加護がなければ、ぺしゃんこになっていたかもしれない。
(信じられない……。あの巨体の動きを、追えないなんて……)
軋む体に鞭打って、タエは必死に起き上がろうとした。
「お……ね、ちゃ……」
側に倒れるハナも、傷が深いだろう。タエは頭上を見上げて、悪寒が走った。大きな足が真上に迫っているのだ。叉濁丸は、自分達を踏み潰そうとしている。
「ハナさ――」
タエは痛む足を踏ん張り、ハナの所へ駆け寄ると、渾身の力で付き飛ばした。ハナは姉を呼ぼうとしたが、声が出ない。叉濁丸の足が届かない場所まで転がっていく。
「だ、だめ……」
ハナの霞んだ声がわずかに出たが、もう遅い。
ずん……。
「お、ねぇちゃ――」
ハナは、信じられない気持ちで、思考が停止する。
タエは、叉濁丸の足に沈んだ。
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