69 前兆
土曜日になった。涼香と稔明にとっては、勝負の日だ。
タエは家におり、スマホで調べ物をしていた。
「天明の大火。やっぱり大火事の事がメインで乗ってるな。疫病の事はあんまりか」
図書館で京都の歴史を調べたり、ネットでいくつかのサイトを見たが、どれも同じような事が書いてあるだけだった。疫病の事実も、火事と同時に起こったはずだが、記事になっていない。大火事による混乱で、歴史から隠れてしまったのだろうとタエは思った。
時計を見た。待ち合わせ時間の十時を過ぎている。
「がんばれよー、二人とも。安倍くんの髪型はバッチリかなぁ~」
二人の事を思い、ソファの上で伸びをした。
「……」
「……」
移動の電車の中。二人は緊張しすぎて、あまり会話が弾んでいなかった。
(ちょっとちょっとちょっと! 前髪上げてる! かっこよすぎるんですけどっっ!!)
(まずいまずいまずい! 髪型とか服とか可愛すぎ! どう褒めたらいいんだぁ!!)
(タエ、助けてぇ!!)
(花村さん、助けてぇ!!)
二人は同じ事を思っていた。
ずずず……。
「やだ、また地震!?」
夕食の用意をしている母が声を上げた。今日だけで数回あったが、今までよりも揺れが強い。タエは手伝う手を止め、窓から外を見る。いつもと変わらない夕方の空。しかし、タエは背中がゾッとするほど寒くなっていた。
「嫌な感じ」
「お姉ちゃん!」
「!?」
タエはハナの声が聞こえたので、リビングに置いてあった鏡を持った。先日、高龗神に賜った小さな鏡だ。いつも側に置いておくよう言われていたので、目に着く所に置いていた。
「ハナさん、どうしたの?」
「今すぐ来て。緊急事態!」
「えっ、まだ日が出てるのに?」
「叉濁丸の封印の様子がおかしいの。高様が呼んでる!」
その名を聞いただけで、手先が冷たくなる感覚を覚える。心臓がどくどくと早鐘を打った。
(怖がってる? ダメだ。話を聞いて、想像が膨らんでるだけ)
タエは右手をきつく握り、自分の太ももを思い切り殴った。
「タエちゃん!?」
その様子に母が驚く。
「分かった。すぐに行く」
ハナに返事をして、母に向き合った。ハナの言葉と、タエの真剣な様子を見て、母も何かあったと察する事は簡単だ。
「ごめん。ご飯、一緒に食べられへんみたい」
「置いておく。帰って来たら、食べなさい」
「うん。お母さん、家から絶対に出たらあかんよ。お父さんが帰ってきたら、ちゃんと二人でいてね」
「分かったわ。気を付けて。必ず、帰ってきなさい」
念を押す。タエは眉を寄せて苦笑するも、しっかり頷いた。
「うん!」
「ハナさん、お願い」
布団に横たわり、相棒の名を呼ぶ。すぐにハナがタエの魂を抜き、鏡を通って貴船の聖域に来た。
「揃ったな」
高龗神の表情も固い。そこには、渓水、白千、白露もいた。
「叉濁丸の封印が弱まっておる。紗楽も連絡をよこして来た。昨日まで何ともなかったのに。式が今、封印を強化しに行ったが、どこまでもつか……。猶予はないじゃろう」
ちっ、と舌打ちをする。地面が揺れた。また地震だ。今度も強い。
「誰かが封印を解こうとしているのでしょうか」
渓水が問うた。
「その可能性もあるが、今は叉濁丸の対処が先じゃ。万一、奴が目覚めた場合、あの瘴気が厄介じゃ。飛散はわしが食い止める。渓水、源流を濁らせんよう守れ」
「はっ」
「白千、白露、お前達は晴明神社へ赴き、安倍家と協力し、京都市内に結界を張れ。人々が混乱せぬよう守るんじゃ」
「御意」
二匹が頷いた。
「タエ、ハナ、二人は鴉天狗の所へ行け」
二人は顔を見合わせる。すぐに封印の所まで飛べと言われるかと思ったのだ。
「奴は巨大じゃ。ハナは飛べるが、タエの跳躍では、戦闘に支障が出るじゃろう。鴉天狗に協力を依頼しろ。黒鉄なら、話が通り易いはずじゃ」
「分かりました」
タエが答える。ハナも頷いた。
「鴉は木の属性じゃから、土に強い。戦闘員も欲しい所じゃが、あやつらは鞍馬山さえ守れれば良い連中じゃからなぁ。難しいじゃろうが、一応聞いてみてくれ。話が終わり次第、封印に向かって対応に当たるんじゃ。奴が目覚めたならば、斬れ」
「はい!」
「もし封印を解こうとする輩を発見した場合、生け捕りにせよ。やむを得ん時は斬っても構わん。この京を守る。被害は最小限に抑えるぞ。全員、必ず生きて戻れ。よいな!」
タエ達は互いを見て、力強く頷くと、自分の役目を果たすべく、散った。それを見送り、高龗神は拳をぎりりと握りしめた。
「叉濁丸……、前のようにはいかんぞ」
言われた通り、タエとハナは聖域の道を進んでいく。そして、大きな屋敷の門前まで来た。
「なんか、久しぶりな気がする」
「前は毎日通って勝負してたもんね」
タエと黒鉄が戦っていた頃を思い出す。彼は弱いタエでは代行者の役目を果たせないと、なかなか認めてくれなかったが、勝負を挑み続け、勝ちをもぎ取ったのだ。
黒鉄に会うのも、それ以来。タエは少し緊張していた。門を叩く。
「すみません! 代行者のタエとハナです。お話があって来ました。どうか、開けてください!」
声を張り上げると、ほどなく、黒く大きな影がタエ達の前に降り立った。
「タエ、ハナ。久しいな」
「黒鉄さん!」
見覚えのある鴉天狗、黒鉄。彼はタエとハナに心を開いていたので、表情が穏やかだ。
「お久しぶりです。今日は、叉濁丸の件で来ました」
タエが要件を言うと、彼もうむ、と腕を組んだ。
「やはり、封印が解けかかっているのだな」
「猶予はないと。今、高様の式が食い止めようと、強化に当たっています」
ハナが答えた。タエが視線を感じて見上げると、杉の木に鴉天狗が何人も立っており、こちらを見下ろしている。なかなかの圧を感じる。
「我らも急な事に驚いている。警戒し始めたばかりでな。お前達が来るかもしれないと思っていた」
「協力できませんか? 叉濁丸は巨大で、私の跳躍じゃ戦うのは難しいと言われました。空中でも戦えるように、鴉天狗さんの力を貸して欲しいんです。戦力も貸してもらえるなら、もっとありがたいです」
タエは正直に話した。黒鉄は難しい顔をする。
「お前達の頼みは聞いてやりたいが――」
黒鉄が言いにくそうにした。すると、地鳴りのような声が聞こえてくる。
「残念だが、それは出来ぬ相談だ」
門が軋みながら開くと、黒鉄よりも大きな鴉天狗が現れた。羽は灰色がかり、年配だと見て取れる。しかし、その双眸はギラつき鋭い。そしてその威厳と存在感は黒鉄達の比ではなかった。タエとハナは、彼の周りに漂う張り詰めた空気をビリビリと肌で感じていた。
「父上」
彼は黒鉄の父、鴉天狗一族の首領、双風道だった。
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