67 災悪の妖怪
「高様。京都に眠る妖怪について教えてください」
「ん?」
貴船神社にて。代行者の仕事を終えて戻って来たタエは、聞こうと思っていた話を切りだした。
高龗神は目を丸くしたが、察して、真剣な顔になる。
「紗楽から聞いたのか」
頷くタエ。ハナはじっと聞いていた。
「封印の効果はまだ持続しておる。目覚めるのはまだ先じゃ。心配はいらんが、最近の地震は、確かに奴の影響じゃ。式にも確認に行かせたが、異変はなかった」
「異変はない……」
タエも呟いた。それでも不安は拭えない。
「ハナも知っておいた方がいい。京の地に眠る妖怪の名は叉濁丸。約二百年前にこの京を燃やし、暴れまくった奴じゃ」
「京を、燃やした?」
ハナも驚く。高龗神は続けた。
「元々、叉濁丸は叉焔丸という兄妖怪と一緒に行動しておった。兄は火、弟は土の力を振るい、京の町を燃やし、毒の瘴気をばら撒いた」
過去の惨劇を思い出し、高龗神の表情は暗い。彼女の式神も側に来た。
「当時の代行者は、竜杏と言う名じゃ。一度、話した事があったが、覚えておるか?」
タエとハナは聞き覚えのある名前だった。
「あ、伝説の代行者。釋がファンの」
「愛妻家の方でしたよね」
前に女子会をした時に聞いたのだ。
「ああ。技の技術、力、精神力も強く、歴代代行者の中でも文句なしに最強じゃった。当時の晴明神社の陰陽師、安倍賢晴と友で、よく共闘しておった。京は妖怪に狙われながらも平和じゃった」
高龗神は遠い目をした。懐かしむようでいて、悲しそうな……そんな顔を。
「ある夜、突然炎が噴き上がる。予告も、前兆もなしでじゃ。わしも全く読めんかった」
風に煽られ一気に広がる炎。
辺りは火の海。
逃げまどう人々。
炎の中、立ち上がる巨大な影。
「それが、叉焔丸……」
タエの言葉に頷く高龗神。
「そうじゃ。武器の刺叉を一薙ぎすれば、巨大な炎が現れ、京の町を飲み込んだ。そして、炎が巻き起こす風に乗り、瘴気が撒き散らされる。その瘴気は、叉濁丸の力じゃ。刺叉を地面に突き刺し、大地を割ると、邪気を纏わせた土煙や瘴気を発生させる。水を濁らせ、その瘴気を少しでも吸えば高熱が出て、次第に肺が腐る。火事だけでなく、疫病も出たと、京は大混乱しておった」
話を聞くだけでも、相当危険な妖怪だという事は分かった。
「その兄弟妖怪の討伐に出たのが、竜杏と安倍賢晴じゃ。竜杏は、京が大火で燃える中、叉焔丸を倒し、被害を最小限に抑え込む事に成功する。それでも、当時の京都市街の八割が焼けてしもうたがな」
高龗神は、ここで一息ついた。は、と息を短く吐くと、話を続けた。
「弟の叉濁丸には苦戦した。水の属性の竜杏は、土の力に押し勝つ事が出来なかったんじゃ。先の戦いでの消耗も激しく、倒せなかった。賢晴も力が尽きかけ、やむなく封印することに。抵抗する叉濁丸は、自身の瘴気を全て吐き出した……」
腕を組んだ彼女の手は、力が入り、着物をぎゅっと握っている。タエとハナは、高龗神がここまで悔しそうにする姿を初めて見た。
「竜杏が一人でその瘴気を受け止め、賢晴がその間に京都の東に位置する瑞龍山に封印した。竜杏は戦いと瘴気を受けたダメージが酷く、ここで倒れ、魂が消滅する。賢晴も仲間であり友であった竜杏を亡くしたショックと、戦いの傷が大きく、この事を書に記し、代々いずれ来る戦いに備えよと言い伝えて生涯に幕を閉じた。後にこの事を、天明の大火と呼んでいたな。普通の人間に妖怪は見えんので、大火事と疫病という事になっておったわ」
タエは何も言えなかった。先輩の代行者が、そんな壮絶な戦いをしていたなんて。
「あの戦いは、今もわしは無念でならん。叉濁丸は貴船の源流まで濁らせおってな。わしの力を無効化しおった。おかげで竜杏が苦戦する事になって。わしの責任じゃ」
彼女はずっと自分を責めていたのだ。ずっと、自分を許せていない。京都を守る神様をここまで追い詰めた、その妖怪が恐ろしく感じる。紗楽が言っていた、最も要注意な妖怪だと言う意味が、やっと分かったタエだった。
高龗神は思い出していた。叉濁丸が封印された後、地面が大きく割れ、炎と瘴気がくすぶる京の町の中に倒れていた竜杏。賢晴が側で膝を付き、涙を流している。彼女も神社から飛び出し、彼の元に駆け寄った、あの時を。
――高様、俺はここまでです。まさか、あなたに膝枕をされる日が来るとは――
――特例中の特例じゃ。幸せに思えよ。竜杏、よくやってくれた――
――今まで、ありがとうございました――
――しばしの別れじゃ。心配するな。必ず成功させてみせる――
――はい。妻達を、頼みます……――
「高様、大丈夫ですか?」
タエとハナが気遣う眼差しを向けている。はっと我に返った高龗神は、力が入っていた手を解き、いつもの表情に戻した。
「封印も、永遠に持つわけではない。その時は、ここにいる全員が協力して戦う事になる。属性が土だろうと関係ない。完膚なきまでに叩きのめしてやるぞ。塵一つ残さん」
「ぼっこぼこのギッタギタですね!」
「先輩の分まで戦いましょう」
タエとハナも大きく頷いた。高龗神の無念を晴らしてあげたいと、強く思ったのだ。高龗神は目の前にいる、二人の部下を見つめた。
「本当に、頼もしくなったな」
契約をしたばかりの頃が、ずいぶんと昔のように感じる。タエは一年で驚くほど成長した。側で見ていて目を瞠るものだった。決して思い上がる事もなく、力をひけらかす事もない。敵を斬ろうとも、命の重さを十分理解している。ハナとのチームワークもばっちりだ。
「そういえばタエ。お前、現世で晶華を呼び出したな?」
「え、あぁ。はい」
丈明と彼女を助ける為に、鉄パイプを依り代にして晶華を確かに呼んだ。
「すいません。生身の体で戦っちゃいました」
「怒っているわけではない。代行者になる暇なく、戦いに巻き込まれる事もあるだろう。よく呼び出せたな。どうじゃった? 動きは?」
タエはえーと、と思い出す。
「いつもより運動神経は上がったと思いますけど、代行者の時と比べれば、まだまだ遅いですね。晶華で斬っても、妖怪の体を一刀両断出来ませんでした。三回くらい振って、やっと斬れましたから」
「そうか」
高龗神はうむ、と考える。
「考えておく。そろそろ朝じゃ。戻って良いぞ」
そうして、この場は解散した。
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