52 信じる気持ち
「お帰り」
タエの母が家に入ると、父はリビングでテレビを見ていた。
「外、騒がしくなかった?」
一応、聞いてみた。父は首を傾げる。
「何かあったか?」
「……ううん」
短く返事をして、階段に向かう。
「膝、どうした?」
「ちょっとぶつけただけ」
母の膝は、倒れた時にすりむき血が出ていた。傷口はじんじん熱くなっている。それも気にすることなく、向かうのはタエの部屋だ。
暗い部屋に入る。タエは布団に入って、静かに眠っていた。毎日寝る時に、タエの様子を見ていた。いつもと変わらない。しかし、今夜違ったのは、眠るタエの側にもう一人タエがいる。そして、亡くなったはずの愛犬も。
タエ達も若干緊張していた。仕事に戻るべきだが、困惑している母を置いてけぼりにはできなかった。
「電気、付けるわよ」
「うん」
母が照明のスイッチを押す。ぱっと点灯された部屋は、机の上に置いていた教科書や、本棚に入っていた本が乱雑に落ちていた。
「ここで戦った時に、落ちちゃった」
「しゃ、喋った!? ほ、本当に、ハナちゃん?」
穴が開くほどハナを見つめる母。ハナはうん、と頷いた。
「えぇと、どこから話しましょうか……」
タエがたどたどしく話を切りだした。
「最初から。あなたがどうしてこんな状況になってるのか。説明して」
タエとハナは事実をかいつまんで話した。全てを詳しく話すには時間が足りない。それに母には、そこまでの説明はいらないと思っていた。彼女は、自分の娘がどうして刀を持って鬼と戦っているのかが知りたいだけだ。
まずは代行者とは何かから話す。そして、最初にハナが貴船神社の神様と契約し、タエはハナを一人で戦わせない為に、自分も共に戦う道を選んだ事。高龗神がタエを獲得する為にハナを囮に使った事は、話がややこしくなるので言わなかった。それから地獄の鍛錬をして、強くなる努力をした事。毎晩、夜明けまで妖怪や悪霊を倒して回っている事を話した。報酬をもらっている事は、恐れ多くて言えないが。
「夜明けまで戦うの? それを、一年前から毎晩!?」
母は開いた口が塞がらない。実際、娘と愛犬が戦う姿を見ているので、信じるしかないが。
「魂を体から抜いて、戦うって……、大丈夫なの? 朝になっても、タエちゃんが起きないなんて、嫌よ」
心底心配させている。タエは母を安心させるように、言葉を選んで言った。
「心配しんといて。高様の力で私達は守られてるから。ケガをしてもすぐ直るしね。戦いにただ放り出すわけじゃないの。高様は、ちゃんと私達を大事にしてくれてる。私の普段の生活に干渉しないし、しっかり生きなさいって言ってくれてるの。お母さんが心配してるような事にはならないから、安心して」
笑顔を見せた。母はハナを見る。
「ハナちゃん。あなたは大丈夫? しんどくない?」
ハナは、また母と向かい合える事が嬉しくて、尻尾をぱたぱた振っていた。
「二人だから、しんどくないよ。私もね、最初はお姉ちゃんが代行者になるのを反対したの。危険な仕事である事は、お母さんも見たでしょ? 私の事はいいから、幸せになって欲しかった」
でも、と続ける。
「お姉ちゃんは、隣にいるって言ってくれた。正直、嬉しかった。一人で夜の空を駆けるのは、やっぱり淋しかったから。この家の上を飛ぶ度に、皆に会いたいって思ってたよ」
この話には、タエもじっと聞いていた。ハナがまだ一人で代行者の仕事をしていた時の気持ちは、ちゃんと聞いた事がなかったからだ。
「お姉ちゃんは、努力を惜しまなかった。どんどん強くなって、今じゃ私が追いかけてる」
「そんな事ないよぉ。ハナさんもめちゃ強いし」
タエがハナの頭を撫でた。
「お姉ちゃんはすごく頼もしいよ。多くの人も、魂も救って来てる。私達は二人だから、大丈夫。一人じゃないから、どんな困難も乗り越えられるよ」
ハナの言葉を聞き、母は部屋を見回した。
「あの鏡、あれは二人の仕事と関係があるのね?」
縁のない丸い鏡。金色の房が垂れ下がっているそれは、部屋の壁に神力で引っ付いている。
「なんか神々しい感じだから、ずっと気になってたの」
「あれは貴船神社の御神体の鏡。あそこを通って、毎晩神様の所に行くの。神域から妖怪の討伐に出る」
「通勤経路ね」
タエの話を聞いて、なるほどと漏らした母。大分、気持ちも落ち着いて、とんでもない話も聞けるようになってきた。
「今夜も、まだ仕事があるの?」
「夜明けまで。話が終わったら、戻らないと」
そう、と呟くと、母はハナの前に来て膝を付いた。手を上げる。
「私は、ハナちゃんに触れる?」
「私が現世に干渉すれば。触ってみて」
ふわ。懐かしい毛並みの感触。母は感極まって涙ぐんだ。
「また、なでられるなんて……」
タエとハナは顔を見合わせ、笑顔になる。
「危険な事はしないでって、言いたいけど、いつも危険なんだものね」
困ったように眉を寄せ、苦笑いの二人。
「約束して。大けがをしたり、相手に敵わないって思ったら、迷わず逃げて。次に勝つ為の退却なら、それは弱い事じゃないから。後ろめたく思う事じゃない。お願いね」
二人は大きく頷いた。
「約束する。お母さんを悲しませる事は、絶対にしない」
それを聞いて、母もようやく笑ってくれた。
「じゃあ、もう仕事に戻って。私を助けてくれたみたいに、沢山の人を守ってきて」
「うん!」
立ち上がる。母は、タエとハナを上から下までしっかり見た。
「キレイな着物ね。二人とも、頼もしいわ」
「ありがと。お父さんにも話す?」
「いんや。こういうの、信じる人じゃないもん。あの人も見えるようになれば、変わるでしょうけどね。あ、私、いきなり鬼とか二人が見えるようになったけど、私また狙われたりする?」
また同じような事があったらと思うと、ゾッとする。ハナが考えていた事を告げた。
「高様に相談するよ。妖怪や鬼が見えなくなるように。ここの結界の強化も」
「ちょっと待って。見えなくなったら、ハナちゃんも見えなくなるの!?」
「うん……」
ハナも残念そうに頷く。
「それは嫌。見えるのはしょうがないけど、幽霊とかと関わらないように出来れば嬉しいかな」
ハナの顔が明るくなった。
「それで相談するね」
「ハナちゃん、いつでも家に帰って来てね。あなたの家は、ここでもあるんだから。いろんな話がしたいわ」
「うん、お母さん!」
「それじゃ、行ってきます。膝、手当してね」
「分かってる。気を付けるのよ!」
「はーい!」
窓を開ける事もなく、スッと通り抜け外に出たタエとハナ。ハナは巨大化し、その背中に乗ったタエが、京都の夜へ飛んでいく。それを見送り、部屋で眠るタエの体を見た。
「うちの娘とハナちゃんが、神様の御使い……なんて。言っても誰も信じないわね」
親は子供の心配をするもの。心配はするが、不安を抱いてはいない。二人なら大丈夫という言葉を信じたからだ。床に散らかる本をまとめ、タエの部屋を出る。
「いってて。膝、お風呂でしみそうだなぁ」
二人が帰ってくるこの家と、変わらない日常を守ろうと、母は気持ちを新たにした。
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