47 足引き
「幽霊になっても、出場したくて成仏できひんて。どんだけ出たかったん」
高校の門前にタエはいた。時間はもう十一時。校内の外灯もこの時間では消え、真っ暗だ。警備室だけは明かりが漏れているのが分かる。
「ここはイベントに力を入れてるんだろ? 熱狂的な生徒がいても、おかしくないんじゃない?」
隣には稔明だ。道沿いの街灯は着いているので、彼の姿はよく見えるが、前髪のせいで顔は影が濃い。
「晶華でばっさり切ろうか?」
水平に切る様子を手で表現すると、稔明は反論してきた。晶華の切れ味はよく理解している。前髪が辿る道は一つだ。キレイに切り揃えられた前髪。想像するのは簡単だ。
「ぱっつんは絶対嫌だっ」
「頑固」
ちっと舌打ち。稔明も深呼吸して、気持ちを落ち着ける。
「それじゃあ、入らなきゃな」
稔明は門に手をかけようとしたが、それを止めたタエ。
「警報が鳴ったらどうすんの」
「じゃあ、どうすんだよ?」
「ちょっと失礼」
タエは稔明の腰に手を回した。途端に焦りだす。
「なっ、な!?」
誰かとここまで近い距離になった事がなかった稔明は、あたふたしていた。
「静かに。舌、噛まんようにね」
ぐんっ、と力を入れると、稔明を抱えて跳躍した。タエは現世に干渉したのだ。
「!!!!」
高い所が苦手な稔明。ジェットコースターのような圧と浮遊感もあり、叫びそうになるのを、必死に両手で口を押さえている。
タエは一っ飛びで校庭に着地。彼を下ろす。膝をついて呼吸が荒い。
「し、死ぬかと思った……」
「これくらいで死んでどうすんの。本番はこっからやろ? 警備の人に見つかる前に、やるよ」
タエが周りを見回す。稔明も眼鏡を外した。
「ねぇ、何で眼鏡かけてんの?」
「……レンズを通して見れば、妖怪の姿がぼやけて見えなくなるから」
「へぇ。こないだの祟り神の時は、かけてたやんね?」
「ずらして見たよ。正直、恐い」
タエは稔明を見た。少し、手が震えている。ふっと口元が緩んだ。
「こればっかりは、慣れるしかないね。私も最初は震えたよ」
「え? 花村さんが?」
意外だと言わんばかりにまじまじ見られる。
「私は妖怪とは縁のない生活してたから。代行者になって、見えるモノが一気に変わったの。初めて自分一人で倒したのは、鬼だったな」
震えながらも、晶華を振り、鬼の体を斬った感触を思い出した。命を奪ったその重さに、涙が出たのを覚えている。
「辞めたいって、思った事はないの?」
稔明が問うた。タエは迷わず首を横に振る。
「ハナさんを一人で戦わせたくなかったから。あの子と一緒にいようって決めたから、強くなる事しか、考えなかった」
今夜は、ハナに仕事を任せている。タエも終わり次第合流だ。
稔明はタエが眩しく見えた。彼女の気持ちが、全くブレていない。神の眷属になる責務は、永遠の戦いだ。タエの運命は、既に決まってしまった。彼女はそれを全て受け入れ、笑っている。
「強いな」
「強くならないと、生きられへんしね。ほら、来たよ」
タエが指を差す。校庭の真ん中で風が渦巻き、女生徒の幽霊が地中から上がって来たのだ。陸上のユニフォームを着ている。ぎらついた瞳が、二人を写す。
「私が斬ろうか」
晶華を掴んだ。しかし稔明は、ちょっと待ってと止めた。
「幽霊だから、浄霊出来るか試してみよう」
頬をパンと叩いて気合を入れ、札を一枚手に、少し近付いてみる。
「君が、部活動をしてる生徒の足を引っ張る幽霊?」
まず確認。女生徒の幽霊は、ゆっくり頷いた。
「何でそんな事をするの?」
「……私は、もう走れない。好きに動いてる奴らが恨めしかった」
彼女は陸上部で、走る事が好きだったのに、体育祭前日に交通事故に遭い、そのまま生き返る事はなかった。稔明の霊視によると、二十年ほど前らしい。長い間、足引きをしてきたものだ。そうして怪談話として、この学校の運動部の間で代々伝わった。この幽霊が出る時間帯には、もう引き上げてしまうので信じない生徒もいるが、実際掴まれた生徒は怖くて口外できなかったようだ。タエは興味がなかったので、全く知らなかったが。
「私が校内にいたら結界を張った状態だけど、根付いている幽霊には効かなかったのか」
「地縛霊だからだと思う。この場所から動けないんだ」
「リレーでアンカーだった……。走りたかった!」
おいおい泣き出した幽霊。タエは対応に困っていた。
「どうすんの?」
「走れば納得するんじゃないか? 花村さん、相手になってあげてよ」
「……はあ!?」
「じゃあ、思い切り競争すればいいよ。リレーじゃないけど、トラック一周にしよう。この人が相手になる」
幽霊がぴくりとタエを見た。闘志がみなぎりだしている。タエも了解した。
「まぁ、一回だけなら」
「よーい、スタート!」
だっ!
稔明の合図で走り出すタエと幽霊。代行者の足だと楽勝で勝てると思っていたタエは、度肝を抜かれた。
「何、あの速さ!」
半端ない速さで走る幽霊は、タエと互角だった。負けず嫌いはタエも同じで、本気を出す。それでも着いて来るその足は、とんでもないものだった。
「どっちが勝った?」
タエが稔明に聞くと、彼は絶句していた。幽霊と差がほとんどなかったのだ。
「同着」
「まじでぇ!?」
彼もタエの足に負けない速さの幽霊に、驚きを隠せない。幽霊は、生き生きしている。死んでいるが。
「楽しい! この時を待ってたのぉ!! もう一回よ。決着がつくまでやるわっ」
「ええええっ」
早い息遣い。
一秒を争う高揚感。
青春の汗がほとばしっていた。
その後、七回全力疾走させられ、いずれも同着。八回目でようやくタエに軍配が上がった。
(勝っちゃったけど、どうしよう)
タエは不安だった。勝つまでやるわと言われれば、たまったものではない。わざと負ければ、この幽霊は気付くだろう。根っからの勝負師なのかもしれない。
「あんた、代行者よね」
「うん」
幽霊はスッキリした表情で、タエを見ている。出てきた時の、恨めしい感情は消えているようだ。
「京都で最高の武人だって聞いた事がある。その人と互角に戦えたんだもの。私の足は、誇れるものだったわ」
右手を差し出した彼女。タエはしっかり握手した。
「本当、すごい選手やったんやね。本気を出さなきゃ勝てなかった。次、生まれ変わっても、思い切り走り回ってね」
「ありがとう」
幽霊の体が光りだす。もう思い残す事はないらしい。彼女は稔明の方に向いた。
「浄霊してくれて、ありがとう。あなたは、優しい人ね」
「いや、あの、どうもです」
褒められてしどろもどろになっている。そんな稔明を見て笑うと、幽霊は光の玉になり、空へと昇って行った。
「行っちゃった」
「お疲れさま」
「いいえ。まずい、警備の人が来る」
気配を察知し、タエは来た時と同じように稔明を抱えて跳躍した。
「高い所も慣れなよ」
「が、がんばります……」
タエは稔明を家の前まで送り、仕事に戻る算段になった。稔明もまた眼鏡をかけている。
「じゃ、また明日ね」
「うん。ありがとう。花村さんを見てると、勉強になるよ」
「そう? 私は斬る事しかできひんけど」
稔明は首を横に振る。
「ただ斬ってるだけじゃないでしょ。代行者の攻撃は、全てを浄化するって聞いた。花村さんは命を奪ってるだけじゃない。斬った者を全て救ってるんだ。だからすごいって思う。俺も、もっと頑張らないとって」
そんな風に言われると思わなかったタエ。恐れられず、自分の戦い方を認めてもらえる事は、正直に嬉しい。神様でも妖怪でもない、人である稔明にそう言われた事が、嬉しかった。
「浄霊の道を迷わず選んだ安倍くんも、陰陽師だなって思ったよ。ちゃんとあの人の話を聞いて、救えたしね」
「俺は何もしてない。花村さんが頑張ったから――」
「褒め言葉は素直に受け取っとき。じゃ、私は仕事に戻るから」
じゃあねと手を振ると、タエは大きく飛び上がり、夜に紛れて消えてしまった。稔明は、しばらくタエが消えた空を見つめていた。自分が関わり、救済方法を決めた。魂と向き合い、初めて解決できた。それが、稔明の大きな自信になる。
「一歩、進めたかな」
稔明の瞳に、強い光が宿った。
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