38 闇より暗い黒
「ハナさん、大丈夫?」
タエは、稔明も一緒に背に乗せ飛ぶハナに声をかける。
「背中の一部だけ干渉してるから、大丈夫」
タエはホッとしながら後ろを見た。タエの肩を持ってガタガタ震えている。稔明はタエに掴まろうとして、すり抜けた拍子に一度落ちそうになったので、タエも肩だけ現世に干渉し、稔明が落ちないようにしている。
(確かに力を使うから、少し疲れるかな)
すぐに回復できる疲労感なので、タエの方も心配はない。
「まぁ、私も最初はちょっと怖かったけど、慣れるでしょ?」
「だ、だめだめだめ! 高い所無理っ」
稔明は高所恐怖症だった。しかし、歩きでは時間がかかるので、飛ぶのが一番。ハナもなるべく低く飛んでいるのだが、それでもダメらしい。
「変な黒い気配はするけど、うまく掴めないな……」
タエが京の町を見下ろし呟く。ハナも頷いた。
「うん。消えたり、現れたり――っ!?」
「行こう、ハナさん!」
二人は黒い気配が強くなったのを感じ、急いで向かう。稔明も感じた。
「気分が悪くなるな……」
「ハナ、タエ!」
「渓水様、白千様!」
気配が強くなった場所へ着くと、人型の高龗神の式神渓水が、短刀を地面に突き立てていた。そこは八坂神社の裏にある丸山公園。奥まった、人気のない場所だった。その側に蛇の式神白千がいる。
「捉えたぞ」
短刀は、夜の闇より黒いものを刺している。それは力が強いらしく、渓水の腕も刀もぎちぎちと震えていた。
「これはただの地中ではない。空間を捻じ曲げ、別の場所に繋がっている」
二人の式が力を籠める。黒い空間が少し大きくなった。
「既に一人、引きずり込まれたぞ。気配を感じさせず、一瞬じゃった。通路を確保するから、頼んだぞ!」
白千の体も白く光る。ぎゅんっ、とまた黒い空間が穴になった。
「ここは穴を開け続けておく。必ず戻って来い」
あるはずのない空間の裂け目をこじ開けるには、相当の力がいる。式神二人の力でやっとだ。それをいとも簡単に行ってしまう妖怪とは、タエ達三人に緊張が走った。それでも、行かなくては。
「行こう、ハナさん、安倍くん!」
「うん」
「わ、わかった」
三人は穴に入り、とにかく真っ直ぐ進んでいった。
「暗くて何も見えない。二人とも、ちゃんといる?」
隣にいるはずのハナと稔明に声をかけた。確認していないと、はぐれても分からない。
「いるよ」
「これ、使えるかな」
ごそごそと稔明は肩にかけていた鞄を探り、目当ての物を取り出した。
ぽう。
「! 明るい!」
ハナが声を上げた。稔明の手には札が。それが光っているのだ。
「安倍くん、すごい! 連れてきてよかったぁ」
タエが褒めると、いきなり得意気になる稔明。
「こっ、これくらい簡単やし。術の基本やからね」
へへん、と胸を張る。
「ここはただの暗闇じゃない。夜目が利かへんから、本当に助かった。安倍くん、ここから先は、自分を守る事だけに集中して」
「え?」
タエを見れば、真剣な目つきでこちらを見ている。
「行方不明者が見つかってないって事は、もう手遅れになってる可能性が高い。ひどい状況を、見るかもしれない。何が起こっても不思議じゃないの。安倍くんが壊れたら、淳明さんに申し訳が立たない。血の臭いがしたら、何も見ずに、すぐに戻って」
「わ、分かった。花村さんは、そういうの、見慣れてんの?」
「妖怪細切れにしてるしね。見学は、また別の日でもできるし――はっ」
タエとハナが何者かの接近に気付き、前に出た。
がきんっ!
「なっ、何!?」
稔明は突然の事にびくついている。
「その光の札、多めに出して。周りを照らして、早く!」
タエが声を上げた。稔明はタエの背中しか見えない。光に晶華が照らされ、刀身がぎらりと反射した。ごくりと生唾を飲む。急いで鞄を探った。
「光で私達の位置がバレた? いや、こんな空間を作るんだから、視覚で見てるわけじゃないな」
ハナは周りを警戒している。
「そう思う。動きが早い。安倍、早く!」
焦って呼び捨てにしてしまった。
「光よっ」
稔明が叫び、札を放つ。光が溢れ、奥まで見えるようになった。
「きゃあああああぁ!!」
女性の悲鳴が奥から聞こえ、タエとハナが駆け出した。空間は一本道のように前へと続いていたが、奥が曲がっている。ここからでは見えない。稔明も光の札を数枚残し、後はタエ達の前を照らせと命令しながら、二人を追った。
「速い……。なんて身体能力。札が追いつかないぞ」
全力で札を飛ばすも、二人の助けになっているか分からない。タエとハナは曲がり角を既に曲がっており、稔明も自分の札の光だけが頼りだった。黒い通路から、どんどん岩肌が見え、洞窟のようになっている。
「安倍くん、戻って!」
「え?」
タエの声が離れて聞こえた。しかし、稔明にはうまく聞き取れなかったのだ。緊張して感覚が鈍り、反応が送れた。追いつく頃には、刀が金属に当たるような音が響いていた。そして明るい場所になったそこには、目を覆いたくなる光景があった。タエの忠告を忘れて、しっかり見てしまった。
「うっ!」
稔明は口を押さえる。鼻が曲がりそうなほどの血の臭い。壁に飛び散った血の跡。折り重なった女性の遺体。しかし、一人だけ壁に磔にされている女性がいた。その下に、うずくまり震えている人が。やはり女性だ。
「女、ばっかり……」
「稔明!」
いつの間にか、ハナが目の前にいた。奥を見ないよう遮るように立っている。その口には、震えている女性が。ハナが助け出したのだ。その人は、肩にケガをして、血を流していた。
「お前は、見ない方が良い。陰陽師の仕事は、ここまでしないだろう?」
「そ、れは……」
吐き気がして、うまく言葉が出て来ない。涙目になる。確かに、父親から受けた教えは、霊視、透視により依頼者の思いから真実を見る事。悪霊退治をする事もある。しかし、殺しの現場を押さえろとまでは言われていない。そうなる場合、事前に警察にも伝え、連携を取るのだと聞いた。
魔界の入り口もあると言われる古都京都。説明の出来ない事件もあるので、昔から晴明神社は警察とも繋がりがあった。もちろん、不正には加担しない。
「こんな場面を見せて、すまなかった。この人を連れて、外に出て。淳明に連絡すれば、どうすればいいか指示を出してくれる」
「やめろ、やめろおお! その女、よこせええ!!」
タエが相手をしているのも人間らしい。稔明が声のした方を見れば、目つきは尋常ではないが、姿は人間に見えた。
「安倍くんっ、その人頼んだよ!」
タエも晶華で対応しながら叫んだ。退魔について、先輩のタエとハナの言う事は聞かなくては。
「分かった。すぐ戻る!」
彼が見えなくなり、タエはふぅ、と息を吐いた。
「さすがに人を斬る所は、見せたくないもんねぇ」
女性を背負って来た道を戻る稔明。と、横から風がそよいだ。
「え?」
横は一面壁だ。穴が開いているわけでもない。それなのに何故、と稔明が視線を向ければ、鼻先が尖り、白く大きい目をした何かが、向かってくる。
細く鋭い爪が稔明の顔に触れる前に、ハナの大きな爪がそいつを弾いた。爪と尻尾が強化され、尖っている。こちらは明らかに人ではなく妖怪で、小柄な体形だ。髪の毛を振り乱し、大きく開かれた口は小さく鋭い歯が沢山ある。頭が大きく、胴が小さい。ボロボロの着物を着ている。
「早く行け!」
ハナが妖怪と対峙しながら叫んだ。稔明も我に返り、必死に足を動かした。
(いつも遠巻きに見ていただけの妖怪……。本気で死ぬと思った。遠くの悪霊を狙うだけじゃ分からなかった。花村さん達、あんなのと毎日戦ってるなんて――)
襲ってくる恐怖は尋常ではない。一度止まれば、もう前に進めないと分かっていた稔明は、足を動かす事だけに集中し、出口を目指す。
「あっ!」
妖怪は、ハナの爪を避け、壁をすり抜けていった。
「あの子を追った? どうも違う……」
耳をそばだて、聞こえる音、気配を一つも漏らすまいと神経を研ぎ澄ませる。ぴくり、と耳が反応した。
「気配が遠ざかる。まさか!」
ハナが出口へと走り出した。
「ぜい、はぁ……」
「お、安倍家の息子!」
白千と渓水が広げ続ける出入口に、稔明が戻って来たのだ。白千が彼を呼んだ。
「連れ去られた娘だな」
渓水も確認するが、空間を開ける事に手一杯で、手を貸してやれない。稔明がなんとか穴から女性を出す。彼女は気を失っていた。
「父さん、丸山公園に大至急来て! 警察に連絡してもらわないと」
稔明が札を出し、言霊を籠める。すると札は鳥になり、父親がいる神社へと、まっすぐ飛んで行った。
「中はどうなっている?」
渓水が尋ねた。
「男の人と妖怪がいて、二人が相手をしています。それから、……死体も」
式神二人の顔が歪む。
「やはり」
「生かしておく方が稀じゃからな」
想像していた通り、最悪の事態だった。
「俺の力で明かりを灯してるので、戻ります!」
「気を付けろ」
「はい!」
正直、戻りたくない。怖くてたまらない。稔明はそう思っていた。それでもまた戻る気持ちになったのは、タエとハナが戦っているからだ。いまこの空間から出れば、稔明の力は札に届かなくなり、明かりは一斉に消えるだろう。暗闇の中でタエ達を戦わせるわけにはいかないと、その思いだけで引き返す。
(見殺しにしちゃ、絶対ダメだ!)
街灯が等間隔で道を照らしているように、ほの白い札の明かりが行き先を告げる。心臓の鼓動が激しい。耳のすぐ側で鳴っているようだと、稔明は思った。
「稔明、どいて!」
「ハナ様?」
正面からハナが走って来た。式二人も、どうしたと伺う。
「あの妖怪、外に出た! 別の人間をさらう気かも!!」
「な!?」
ハナは壁から空間の外には出られない。なので、出口まで全力で走って来たのだ。外に出て、妖怪の行方を追う事はかなり難しいが、やるしかなかった。
ひゅっ。
「!?」
空間がざわついた。ハナ達が振り返る。今いる出口から十数メートル先に、妖怪の気配が戻ったのだ。稔明の明かりのおかげで影が見える。壁に別空間の通路を繋げ、入って来た所だ。
「人影だ! 誰か、また!?」
稔明が驚愕した。この数分、数秒の間でまた一人さらって来るとは。ハナが、くん、と匂いを嗅ぐと、そんな、と声を上げた。
「この匂い……涼香ちゃん!!」
「え、ええぇ!?」
妖怪に抱えられていたのは、バイト帰りの涼香だった。
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