36 新たな情報
稔明は、もう秘密の修行をしなくなった。父親の淳明が、後継ぎとしての教育を始めたのだ。安倍家の歴史や陰陽師としての力の使い方をもう一度学び直し、そこから術の精度を上げていく。タエ達の鍛錬と同じだ。
ある日、休日に何故か嫌な予感がして河原を歩いていると、予感は的中した。河原の隅っこで、稔明と紗楽が話している現場を目撃したのだ。慌てて駆け寄る。
「ちょっと! 安倍くんに変な事吹き込むのやめなっ」
「は、花村さん」
稔明が驚いて声を上げた。紗楽は相変わらず、飄々としている。
「信用ないですねぇ」
「ないよ!」
即答。紗楽もあらら、と眉を寄せた。
「安倍くん、あんまり真剣に話聞いたらあかんよ。痛い目に合う確率高いんやから。この幽霊、人が困るのを見るのが大好きなんやからね!」
まだ修行中の稔明を、紗楽のお遊びに付き合わせるなど、難易度が高すぎる。妖怪の中に放り込まれかねない。
「やだねぇ、タエちゃん。あたしだって、そこまで酷い事しやせんよー」
キセルを出して吸い始める。煙が風に乗ってゆらゆら揺れている。
「新米陰陽師くんに、警告をしてあげてたんです」
「警告?」
怪訝そうに紗楽を見た。彼は目を細くして笑みを浮かべる。
「最近、聞きません? 京都近辺で行方不明者の話」
タエと稔明が顔を合わせる。ニュースで聞いた事があった。大阪、奈良、和歌山で何人か行方不明になっていると。どの人も手掛かりがなく、警察も捜索に困難を極めているらしい。
「情報屋。あんたが知ってるって事は、妖怪絡みなのか?」
稔明が核心を突くと、紗楽は笑みを深くして頷いた。
「よほど注意しながら移動してるみたいでしてね。そろそろ高龗神様の式も気付くでしょうが、そいつ、京へ入ったようでして。ここでまた人間を調達して、滋賀にでも移動する気でしょう」
「調達って、人を使って何する気なの……」
もう最悪の事態しか思い浮かばない。
「さあてね。あたしには分かりやせん。だから、新米くんに気を付けろってね。下手に首を突っ込むと、神隠しに遭いますよ」
「神隠し、ねぇ」
河原からの帰り道。タエと稔明は並んで河川敷を歩いていた。
「花村さんは調査するんだな」
「そりゃ、これ以上被害を出さないようにしないと。でも紗楽の奴、そこまで情報ばら撒いて、首を突っ込んでくれって言ってるようなもんやんか」
また紗楽の思うように動かされてしまいそうで、タエは居心地の良いものではなかったが、稔明は違った。
「でも、先に言ってくれると助かる。けっこう頼りになるんじゃ?」
「頼りにはならない!」
苦虫を嚙み潰したような顔で、タエは稔明を見た。
「まずい状況になったら、すーぐ逃げるし、影から私達が苦戦してる姿を見て楽しんでんの」
ありとあらゆる困難をうまくかわして、高みの見物をしている紗楽。タエとは根本的に合わない。
「とにかく、話は聞いても、あまり本気にしない方がいいから。全部真に受けてたら体がもたへんよ」
「了解。気を付けてな」
「!」
気遣った言葉をかけられ、タエは目を丸くした。
「ありがとう。安倍くん、良い奴やね」
「なっ!」
褒められると照れる彼。顔がみるみる赤くなる。
「おっもしろー♪」
「わ、笑うなよ」
タエが笑うと、稔明はもっと赤くなった。隠し事なく、向き合える相手がいるというのは、とても気が楽だと、タエは感じていた。
「あ、そうだ。聞きたい事があったんだった」
「俺に? 何」
「今、どこに住んでんの?」
「え……」
稔明の表情が変わる。
(しまった。まずかったかな)
聞いてはいけなかったかと心配になったが、稔明は口を開いた。
「高校の近く」
「へえ。神社の辺りに住んでると思ってたから、こっちの学校に通うには遠いなって」
何か事情がありそうだと悟り、それ以上は聞くのをやめた。
「友達も出来て良かったね。楽しそうにしてるし」
「花村さんのおかげでね」
「はい?」
何故自分が出てくるのかと、タエは首を捻った。
「気付いてるだろ? いつも夜にしか出て来ない妖怪が、朝からいるって」
「あ……」
ずっと不思議だった事だ。
「あれ、皆俺を狙ってるんだ」
「え」
強い風が吹いた。タエと稔明の髪を乱す。彼の長い前髪が、顔の半分を隠している。
「魔除けは持ってるから、直接襲ってくる事はないけど、皆、俺を襲う隙を伺ってる」
「何で狙われてんの?」
「霊力が強いから」
稔明が拳を握る。人とは違う力を持つ事は、他者から見れば魅力的かもしれない。しかし、当の本人が、同じように感じているとは一概には言えない。タエが見た稔明は、明らかに嫌がっていた。
「俺は、安倍家では久しぶりに強い力を持って生まれた人間みたいで。力の強い奴を喰えば、その妖怪の能力も上がるらしい。だから、いつも狙われてる。魔除けで俺は守られるけど、俺の周りは、守られない」
「それって、周りに被害が出たの?」
彼は頷いた。
「妖怪は俺を喰えないと分かると、周りにちょっかいを出すんだ。昼間だから力は弱まってる。だからポルターガイストくらいしか出来ないけど、クラスの皆には、それで十分だった」
タエは理解した。どうして二年からこっちの学校へ転校してきたのか。
「学校に結界を張れたんじゃ」
「学校側が最初嫌がったんだ。父さんが入学にあたって相談したけど、信じてもらえなくて。騒動が起きて、学校もやっと動いたけど、もう遅い。気味の悪い現象は、全部俺のせいだって、学校の全員が知ったから」
(だから、学校にいられなくなったんだ……)
そんなの辛すぎる。タエも人とは違う力を得た。しかしそれは神の力。妖怪は避ける方だ。四六時中狙われるなんて、考えるだけでもゾッとする。
「こっちの高校に来て、最初に驚いたんだ。学校の敷地に入ったら、妖怪が引いて行くんだ。空間の気配も変わったのが分かったよ。御神木でもあるのかと思ったけど、なかったし不思議だった。でも、花村さんを見てすぐに理解した。神聖な力の持ち主だって。しかもかなり強い。まさか代行者だとは夢にも思わなかったけど」
タエは思い出した。彼が初めてクラスに入って来た時、タエをじっと睨むように見ていた事を。本当は、タエの力を見抜き、驚いていたのだ。
「自覚ないですけど」
「代行者になって、神様の力を持ったんだ。花村さんが学校にいる間は、敷地に結界が張られた状態になってるみたい。だから、ポルターガイストも起きなくて、俺は普通に学校生活が送れる。夢みたいだと思ったよ。両親もびっくりしてた」
両親と聞いて、タエは気付いた。
「お父さんに、私は生きてるって言ったの?」
「いや、実はまだ。父さんが学校を見てびっくりしたのは、俺が、花村さんが代行者だって知る前だったから。奇跡だとは言ってたけど。言うタイミングがないまま、ずるずる来てる。内緒の方がいい?」
「それは任せる。別に秘密にしてる訳じゃないけど。私も言ってないし」
「花村さんの両親は、知ってんの?」
ぎくり。タエの肩がぴくりとあがった。
「言ってないのか」
「お父さんは、幽霊とか信じひんタイプやから。お母さんは心配かけるし、そっとしとこうかなと……」
「ふぅん。まぁ、悲しませないようにな」
「はぁい」
随分、込み入った話ができた気がする。自分の力が、稔明の学校生活を良い方向に変えたという事実は、素直に嬉しい事だ。誰かの力になれる事は、自分もまた頑張る原動力になる。
タエは空を仰いだ。青い空に、鳥が気持ちよく飛んでいる。春の風が心地良い。
「そんじゃ、帰ろうか。いろいろ話せて良かったね」
「俺も、話してスッキリした」
ずっと思い悩んできたのだ。誰かに話す事で、心も軽くなる。稔明はタエに感謝していた。
「その、……どうも」
「どういたしまして。涼香ちゃんに、ちゃんと挨拶できるようになんなよ」
「な、なんで宮路さんが出てくんだよっ」
涼香の名を出すと、目に見えて慌てだす。タエはそれを見るのが楽しくなっていた。クラスでも、女子とはまだ打ち解けていない彼なのだ。
「俺、女子とどう話せばいいのか分からなくて……」
「私、女子ですけど。思いっきり話してたやないの」
「ん?」
稔明は今更気付いたのか、タエを見て、空を見上げた。そしてもう一度タエを見て、はっきり言った。
「花村さんは、女子じゃない」
ぴき。
「お゛い゛」
タエがキレたので、稔明は別の意味で慌てだした。
「ちがっ、誤解やって! 花村さんは神の使いだろ!? もう人じゃないだろ!?」
「性別越えて人間も否定かいっ」
「言い方間違えたぁ!!」
「許してやるから、前髪切らせろ!」
「ひぃっ」
咄嗟に前髪を押さえる。
「つるっぱげにしてやる!」
「やめてぇぇっ」
休日の平和な昼下がり。不穏な空気が近付く中、二人は河原でぎゃあぎゃあ楽しく騒いでいた。
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