26 悩み事
「黒鉄」
雷獣と黒鉄との戦いから夜が明け、今は太陽も貴船山の木々の間を照らしている。そんな中、貴船神社から少し離れた所で、高龗神が彼の名を呼んだ。ほどなくして、黒鉄が杉の木の間から姿を現す。
「ハナと言ったか。後遺症はないか」
鴉天狗は京都随一の大きな妖怪一族だ。歴史も古い。なので、神様を目の前にしても、決して怖気づく事なく、対等な立場で振舞っている。高龗神も別に気にしていない。
「ああ、聖域で休んでおる。お前な、タエとハナを大事にしたいなら、もう少し優しくしてやれ。いきなりアレはハードじゃろ」
黒鉄はふんと鼻であしらった。
「貴船の龍神様は、お気に入りには甘いのだな」
「わしは基本、放任主義じゃ。全てはあやつらの自由にさせておる。それで実力も着いて来ておるから、文句はないぞ。女子会は楽しいしな!」
高龗神はえっへんと胸を張った。
「威張る事か。慣れてきた時が一番危ない事は、あんたも良く知ってるだろう。あいつに現実を教える、俺の最大の優しさだ」
「不器用じゃのう。それでも、タエとハナの実力はよく分かったじゃろう?」
黒鉄が腕を組んだ。
「まぁな。あの雷獣を相手に、よくやっていたと思う。ただ、自分を犠牲にして、痛みを受ける節がある。それではダメだ」
「口で言ってやればいいものを」
貴船の神様は苦笑していた。黒鉄は顔を背ける。
「あれで挫けるようであれば、所詮、そこまでだったという事だ」
「まぁ、そうじゃな。弱い者は、消されるか、喰われるか」
黒鉄は、もう話は済んだとばかりに背を向けた。
「全て、あんたには分かっているのだろうな。俺の行動も、あんたの計画の内だと」
「計画とはあんまりじゃな。全ては運命と宿命が、今と昔、未来を紡いでいく。それだけのことじゃ」
大きな翼を広げ、飛び立つ黒鉄。巻き起こった突風に、高龗神の銀色の髪が激しくなびいた。
「はぁ」
本日、何度目かのため息。タエは学校も終わり、帰る準備をしていた。今日、何を勉強したのか覚えていない。教科書やノートは開けるが、全く頭に入って来ないのだ。考えるのは、起きてからずっと同じ事。黒鉄に言われた事だ。
(代行者にも慣れてきた所だったからなぁ。一人で戦えるようになったって、調子に乗ってたのかも。あんなに歯が立たなかったのは、初めてだったからな。ハナさん、ちゃんと休んでるかな)
毎日相手にしている妖怪と、全く違った。格が違うとは、こういう事なのだろう。
(楽になれって事は、死ねって事やんね……。ハナさんと一緒に戦うって、決めたのに――)
「ターエ、何教科書持ったまま固まってんの?」
涼香が話しかけてきた。
「あんた、今日変よ? ずーっと上の空だし、ぼーっとしてるっていうか」
「え、あぁ、うん」
はっきりしない返事を返す。涼香は若干イラっと来た。
「タエらしくないよ。何かあったなら、話してみな。ちゃんと聞くから」
学校からの帰り道。そこでタエは、全部は話せないが、悩んでいる事だけ、簡潔に話す事に決めた。
「あの、最近、始めた事があってね。慣れてきて、それなりに強くもなったと思ってたんですけど、大先輩に『お前は弱い』って、言われて。こてんぱんに負かされて、ショックで」
話がぎこちない。変に敬語も混ざってしまっている。
「何を始めたの?」
代行者とは、言えなかった。
「えと、戦闘系を、少々……」
「ゲーム? オンラインとか止めなよー。皮をかぶった変な奴もいるんやから、顔も知らん奴を信用したらあかんで!」
とても全うな事を言っている。やはり涼香はしっかりしていた。
「うん。大先輩は顔も知ってるから、大丈夫。その人の言う事、間違ってないんよ。弱い奴はいらないって。でも私、今それを投げ出す事もできひんし、どうしたらいいかなって」
「やめるつもりないの? それやったら、やる事は一つやん」
「……え?」
涼香があっさりと返してきた。タエは目をパチパチさせる。
「弱いって言われたなら、強くなって見返してやったら?」
「……あ」
「タエ、負けず嫌いでしょ? くよくよしてないで、ぶつかってみなよ。そっちの方が、あんたらしい。ただし、長時間やるのはあかんからね」
タエは、目の前が明るくなった気がした。
(そうだった。黒鉄さんに負けた事がショックで、自信をなくしてた。死んでたかもしれない恐怖で。負けて悔しいとは、思わなかった。諦めてた……)
代行者の契約をした時、ハナを助けようと必死になっていた自分は、決して諦めていなかった。相手がどれだけ強くても、立ち上がる事をやめなかった。
(今の、私は……)
悩むばかりで、前に進もうとしていなかった。重かった足が、軽くなった気がする。
「そうやね。私、強くなる。もっと、強くなってみせる! ありがとう涼香ちゃん」
「力になれたなら、良かったわ」
涼香の笑顔が、眩しかった。
夜。ハナも回復し、代行者の仕事をタエと一緒にする事ができた。タエも、晶華を手にいつも通り役目をこなしている。
「ハナさん、無理してない? 大丈夫?」
「しっかり休んだから大丈夫」
白露と木霊のおかげで、砕けた骨も元に戻った。体調も良いらしい。
「お姉ちゃんこそ、大丈夫?」
黒鉄と戦った後、タエがショックでふらふらしていたのを心配していたのだ。
「大丈夫。神社に戻ったら、高様とハナさんに相談があるけど、いい?」
「? いいけど」
ハナは首を捻った。そして、仕事も終え、神社に戻る。
「タエ、相談とはなんじゃ?」
高龗神も問う。タエは少し緊張しながらも、しっかりとした声ではっきり言った。
「私、道場破りをしてこようと思いますっ!」
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