23 鴉天狗
タエの目の前に、黒い翼がばさりと音を立てた。雨がいよいよ本降りになってきたが、黒く艶のある大きな羽は、水を弾いている。
(間違いなくそうだ……。この人は)
「鴉、天狗……」
タエの呟きが聞こえたのか、その人物は横目でタエを見た。鋭い嘴に、鋭い眼光。話に聞いた通り山伏の恰好をしている。身長もかなり高いので、タエは見上げたまま、固まっていた。
「よぉ。懐かしいねぇ」
前足にケガをしている雷獣が軽口をたたく。少し離れた所に首を斬り損ねた雷獣が、血を流しながらもこちらを睨んでいた。肩を上下させ、荒く息をしている。話す元気はないようだ。
「てめぇの所にも行くつもりだったんだぜ。お礼参りによ」
「小娘一人に、ずいぶんやられたようだな」
低く、渋い重低音の声。鴉天狗が静かに口を開いた。
(イケボだっ!)
タエは聞きほれてしまいそうになった。
「この程度、屁でもねぇ。首が皮一枚で繋がってても、全力で動けらぁ」
「……」
想像して後悔した。タエは気分が悪くなるのを、必死で抑える。
「ほぅ」
鴉天狗は、首から出血している雷獣に目をやった。黒い瘴気を首に纏わせ、傷を治そうとしているらしいが、うまくいっていない様子。
「痛いだろう。俺が付けた傷は治せても、神の力で付いた傷は、治らんぞ」
「ぐうぅ……」
悔しそうに唸る。
「俺らがケガして、これなら倒せると思って出て来たのかぁ? 随分と腰抜けだな、おい。正面から向かって来た代行者の方が、よっぽど男らしいぜ」
「女です」
つい突っ込んでしまった。鴉天狗は、ふぅ、と息を吐く。
「好きに言ってろ。俺は鞍馬山を守る事にしか興味はない。ここでお前達を倒す事も、正直どうでもいい」
(本当に、自分の山を守る事でしか、動かないんだ)
タエは鴉天狗の戦いの定義を知った。どれだけ凶悪な妖怪だろうと、鞍馬山に入りさえしなければ、それで良いのだと。山以外の場所で起こる事は、彼らには関心のない事なのだ。
「代行者、いつまで呆けている」
「は、はいっ」
いきなり呼ばれ、背筋が伸びる。シャキッと気を付けした。
「お前の戦いに割り込んだのだから、今回は手を貸してやる。止めはお前が刺せ」
「ありがとう、ございます」
鴉天狗の隣に立ち、晶華を構えた。
「結界を張り、圧縮する術を持っていたな。用意しておけ」
“龍聖浄”の事だ。タエは頷いた。すると次の瞬間、鴉天狗は雷獣の目の前にいた。降り続く雨も障害にはならない。
(速い!)
タエの目でも追えなかった。そのスピードで、足をケガした雷獣を蹴飛ばし、首にケガをしている雷獣へと即座に移動する。
「“晶華”!」
タエが愛刀の名を呼ぶと、五本の大きな晶華が五芒星を描き、結界を結ぶ。その中に雷獣を投げ入れた。
「ぐあぁっ」
出血多量でも、牙をむくことを止めなかった雷獣。それでも、鴉天狗の速さには敵わなかった。能力では相性が悪くとも、腕力でなら、今の雷獣を投げ飛ばす事は簡単だった。
「くそおおおぉ!!」
決して出る事の出来ない結界の中で、雷獣が吠えた。タエはまだ結界を続行中だ。あと一匹残っている。
「よくもおぉ!」
残った雷獣が鴉天狗に落雷を落とした。しかし、軽々と避けられる。威力を倍増させ、範囲も広げて、二発目を落とした。
「げっ!」
落雷の範囲は、タエまで入っていたのだ。ここで雷に打たれて結界が解ければ、捕らえた一匹を放ってしまう。高龗神の加護の力を信頼して、もう一度雷に打たれる覚悟をするしかない。今は、結界を張る事に集中しなくてはと肩に力が入る。
ドドォンッ!!
今までで一番大きな音で、雷が落ちてきた。辺り一帯が光り眩しい。タエは身構えたが、電流のビリビリとした感覚が来ない。
「……?」
明るいはずなのに、タエは影の中にいた。見上げれば、鴉天狗の大きな翼が、タエを守っている。
「っく」
鴉天狗は抜刀し、雷を刀身で受け止めていたのだ。彼は木の属性。雷の金の力には弱いが、なんとか踏ん張っていた。
「あああああ!」
気合の声と共に刀を横へと振り切ると、雷が横に飛び、大きな杉の木に穴が開き、亀裂が走り、そこから火花が散った。雨ですぐに消えたが。
「なにっ」
特大の落雷も効かなかったと驚いた雷獣は、爪を使って切り裂く作戦へと変更。それも鴉天狗の刀の速さには勝てず、腹をざくりと斬られ、痛みと苦しみの咆哮と共に、タエの結界へと投げ込まれる。
「後は任せた」
「はい!」
結界の中で暴れまわる雷獣二匹。それでも、タエの結界から出る術はない。
「“龍聖浄”!!」
晶華を振り抜く。結界の中に貴船の神水が満たされ、どんどん圧縮されていく。そんな中、雷獣は最後の抵抗とばかりに体に力を入れ、必死に堪えた。神水は、結界に閉じ込めた妖怪の邪悪な瘴気を浄化し、その身を溶かして無に帰す術。その力に抗えば、ただ圧縮されるだけなので、当然、こうなる。
ぐしゃっ。
「う゛っ!」
タエは口元を覆った。今まで何度かこの術を使ったが、ここまで抵抗する奴はいなかった。浄化ですら嫌がったので、圧縮された体はそのまま潰れ、神水が赤に染まってしまった。しかし、その血の穢れはすぐに浄化され、透明な水に戻る。そして、五本の晶華は一つにまとまり、水となって消えた。
「……なかなかエグイ術を使うな」
「いつもはこんなんじゃないんです……」
自分の術がどれほどの力を持っているのか、改めて知るタエ。問答無用で敵を押し潰す様子は、代行者の在り方そのものを見ているようだった。
(こうやって、敵をねじ伏せていくんだ。京都を守る為とは言え、命を押し潰す、か。自分を怖いと思っちゃった……)
深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
「あの、助けていただき、ありがとうございました。本当にお強いんですね。一人でも倒せたんじゃ?」
鴉天狗がタエを見た。すぐに顔を背ける。
「いや。あの雷獣どもは、連携が完璧だった。三匹集まると、手強かった。今回は、お前達が奴らを分散させたおかげで、勝機があっただけのこと」
「それでも、助かりました。あっ、あと一匹、ハナさんが相手をしてるんです。あの、お名前は……?」
「……黒鉄」
どぉんっ!
離れた所で、また大きな雷が落ちた。ハナのいる場所だろう。
「ハナさんの所に行きます。黒鉄さん、本当にありがとうございました!」
タエは鴉天狗にお礼を言うと、木を縫って走り出した。
小さくなるタエの後ろ姿を、黒鉄はじっと見つめていた。
読んでいただき、ありがとうございました!