02 攻防
タエは眉を寄せた。得体の知れない者が、ハナの声を真似た。その不気味さに恐怖心が再び吹き出す。わずかに体が震えていた。
「あんたが、私を呼んでたの?」
「そうさ。あいつの代わりにな」
タエの問いに、トカゲはあっさり答えてくれる。
「一週間くらい前から呼ばれてたけど、ずっとハナさんを閉じ込めてたの?」
「いんや。あの檻に入れたのは今夜が初めて。俺が勝手にあんたの頭に呼び掛けてた」
「何の為に?」
「これはゲームだ。あいつの大事なモンをここへ呼び、あいつを助け出せるかどうかのな。あんたにとっても大事なヤツだろう? 助け出してみせろよ。ただの人間のあんたが、この俺に敵うとは、思えねぇがな」
「そいつの言葉を聞いちゃダメ! 目を覚ませば戻れる。だから……」
ハナの言葉は弱弱しくなっていく。どこか、寂しさを感じた。
「私が逃げたら、ハナさんはどうなるの?」
「さぁてなぁ。魂を食らうもよし。奴隷にするもよし」
タエは拳を握っていた。そして、考えるよりも体が勝手に動いていた。トカゲの言葉が終わらない内に走り出し、ハナのいる檻へと一直線に向かっていたのだ。
「なにっ!?」
突然のタエの行動に、トカゲも反応できずにいた。が、タエが檻に触れようとしたので、トップスピードで檻との間に割って入り、タエを弾き飛ばした。
「ぅわっ!!」
ゴロゴロと転がり、痛みに耐えながらゆっくりと起き上がった。下は砂利なので、体にあたると痛い。肩まで垂れている黒髪も乱れて砂が付き、パジャマはしっとりとした土のせいで汚れてしまっている。
「いった……」
本当に夢かと思うほどの痛み。タエは腕をさすりながら起き上がった。
「おねえちゃ……」
「待っててハナさん。すぐ、出してあげるから」
にっこりと笑う。ハナにとって、いつも見ていた変わらない姉の笑顔。いつも犬のトラブルに遭った時、大丈夫だと笑ってくれた。あの時は、言葉は交わせなかったが、確実に互いの感情や言葉を理解していた。懐かしい。タエが大丈夫と言えば、本当に大丈夫に思えてくる。
「すぐ出すねぇ。この俺を倒さん限り、あの檻が開く事はねぇよ」
「喋るトカゲを相手にするのは、めちゃくちゃ怖いけど……。目覚めが悪くなるのはしょうがない!」
タエはトカゲと戦う決意をする。本気で殺そうと襲ってくるなら、こちらもやられる前にやらなくては。タエは拳を握りしめた。
「いいねぇ。その思い切りの良さ。嫌いじゃねぇぜ」
「私は爬虫類と虫が大嫌いだ」
「ははっ! いくぞ!!」
トカゲは容赦なくタエに襲い掛かる。大きな口は牙をむき、タエの腕を傷付けた。タエもただやられているわけではなく、持ち前の運動神経で攻撃をかわしつつも、向かってくるトカゲに蹴りをお見舞いした。そして、正面から飛びかかって来れば、その目に拳を突き出し、目つぶしを食らわせた。軽く避けられてしまったが。
「おいおい、弱くて小せぇ体のくせに、攻撃の仕方が女じゃねぇな。現世で武術でもやってんのか?」
「知らん! 目つぶしはケンカの基本でしょ?」
ぜい、ぜいと息を切らしながら、タエはトカゲを睨んだ。
「ははっ、面白れぇ! いいねぇ。惚れそうだ」
「あんたに好かれても嬉しくない!」
なんだか楽しそうなトカゲの口調だが、体をくねらせ、ものすごいスピードでタエへと突進してくる。一度は避けたが、体勢を戻すのはトカゲの方が上。タエは二度目のタックルをもろに食らい、派手に転げた。呻き、よろけながらも体を起こす。そんなタエを見ながら、トカゲは声をかけた。
「そろそろ終わりにしようか。その前に一つ聞きてぇ事がある。なんでそんなになるまで戦う? 俺には敵わないと分かってるだろうが。そんなにその犬が大事か?」
じゃり……。
タエは足に力を籠めて立ち上がった。少し離れた所にハナが囚われている。心配そうな視線だ。それをちらりと見、タエはトカゲをまっすぐ見据えた。
「ハナさんはねぇ、私の家族なの。最期まで病気と闘って、やっと楽になれたのよ。それをあんな檻に入れて……。許せるはず、ないやろうが。見て見ぬフリなんか、できるかぁ!!」
「おねえちゃ……」
タエは本気で怒っていた。ハナの最期を看取った。それまでのハナの様子も、病気が進行し、苦しむ姿もずっと見て来た。もう治らないと悟った時の、身を引き裂かれるような胸の痛みは、今も覚えている。
だからこの貴船神社で、神様に願ったのだ。“病気が治りますように”ではなく、“ハナさんが、苦しまず安らかに逝けますように”と。
そして願い通り、苦しまずに逝ったのだ。タエは、欲のない、心からの願いは、神様は聞き届けてくれるのだと、身を以て知った。だからこそ、貴船の神様を尊敬しているし、この神社が大好きだった。そんな所で、こんな気味の悪いトカゲと戦うことになるとは。神聖な場を汚している。目の前の生き物に、憤りを感じていた。
「そうかい。そんじゃ、これで終わりにしよか」
目つきが変わった。タエはゾッと寒気を覚える。
(本気だ……。私、殺される……!!)
足が震える。しかし、逃げるわけにはいかない。何としてもハナを助けたい。しかし、自分には目の前のトカゲに勝つ力がないのだ。
周りを見回せば、木の枝が転がっている。咄嗟にそれを掴んだ。
「ほな、さいなら」
トカゲの跳躍。一っ跳びでタエの目の前まで来ると、大きな口をがばりと開けた。タエは無我夢中で持っていた枝をトカゲの顔めがけて打ち出した。枝など簡単に折られ、自分へ牙が届くだろうと覚悟していたが、突然、タエの周りが白い光に包まれた。あまりの強い光に目を瞑る。この間にトカゲに襲われれば、もうなす術はない。しかし痛みが来ないので、どうしたのかとゆっくり目を開けると、タエは声も出ないほど驚いた。
持っていたのは枝ではなく、一振りの刀だったのだ。白く透き通った刃に、白い柄には金の竜が彫られ青い石が埋め込まれている。鍔には金の繊細な装飾が施された、とても美しい刀。
「な……」
言葉も出てこない。ふっと笑ったトカゲはどこかへ消えてしまった。
そして、トカゲではない別の何かがタエの前に立っていた。
その者を見つめるタエ。驚きすぎて、頭がぼーっとしていた。目の前にいる者は、人ではない風貌をしている。細長く魚のひれのような耳。色白で、モデルのようにスラッとした高い身長。銀色に透き通ったまっすぐの長い髪。そして、美人。胸が豊すぎて着物の着付けがなっていない。合わせががばりと開き、デコルテが丸見えだった。目のやり場に困る、色気が大爆発した女性だ。
タエは開いた口が塞がらない。驚きすぎて、声すら発せない。
「合格じゃ」
口の端を引き上げ、目の前の美人が静かに言った。
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