192 別れ
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竜杏が逝くと、彼の体から緑色の小さな光の球が現れた。藤虎と同じ、魂だ。彼の魂の色は緑色。竜杏の瞳の色。タエが好きな色だ。魂の故郷へ帰してはいけないので、タエがそっと両手で包み込むようにすると、魂は静かに手の中におさまった。
「竜杏……」
タエが名を呼ぶ。彼の魂は、温かかった。
「藤虎の隣に運んでやろう」
貞光が、竜杏の体を抱き上げた。ずっしりと重い。しかし、彼の目は鋭く森へと向けられていた。
綱も壮六へ向き直る。近くに落ちていた打刀も、足早に回収した。
「壮六。俺達から離れるな。状況が変わった。闇の妖怪共が、こっちを見てる」
「は、はい……」
綱が言った事は本当だった。竜杏が死んでしまった事で、彼の魂と肉体を再び狙おうと、妖怪が森の影から睨んでいるのだ。動かない竜杏を捕らえるのが簡単なのは、誰が見ても明らか。森が不穏な空気に包まれている。
タエとハナも、森を睨み返して警戒している。煉が、タエをすまなそうに見た。
「タエ、ごめん……。顔と着物、熱かったんじゃないか?」
煉の術を妨害して、タエが火傷をした事を謝っていた。タエは笑顔で首を横に振る。
「大丈夫。気にしなくて良いよ。まだ、竜杏を守らなきゃ。もう少し、頑張ろう」
「おう!」
煉の顔にも、いつもの強気な表情が戻る。タエとハナはホッとした。
「お姉ちゃん。壮六って人、危ないかも。心に闇が広がってる」
ハナは、危惧している事を、タエに小声で話した。タエも頷く。
「……分かってる」
保昌は、まだ少し戸惑う様子で、綱と竜杏を交互に見ている。綱が歩きながら説明した。
「この者は竜杏。俺の弟だ。俺の影武者として、今回の戦に出た。今までも、何度か保昌と一緒に出陣していたよ」
「そうでしたか。全く分かりませんでした。竜杏殿も、素晴らしい隊長でした」
「当然だ。俺の弟なんだから」
綱は、竜杏を誇らしげに見つめた。
藤虎の体は、彼の馬が守っていた。保昌の馬も戻って来ていて、主の元へ帰る。竜杏は、藤虎の隣に寝かされた。
「あの、何故、竜杏殿は妖怪に狙われていたのでしょう?」
保昌が綱達に聞いた。綱は竜杏の顔に触れ、口を開く。
「生まれた時から、霊的な力が強かったんだ。竜杏を喰えば、妖怪は強大な力を手に入れる。だから、奴らは執拗に竜杏を狙っていた。ずっと晴明や、母上、タエ、ハナ殿が守ってくれていたんだ」
母親が、魂だけになっても竜杏を守り続けていた事は、竜杏本人から聞いていた。少し、竜杏が羨ましいと思ったのは、秘密だ。
保昌が、タエを見た。
「竜杏殿が仰っていました。タエ様は、自慢の妻だと。ようやく納得しましたよ」
タエは照れた。
「私にとっても、竜杏は、自慢の夫です!」
ふっと笑い、森に視線を戻す頃には、再び鋭い目つきになったタエ。妖怪が、森から出て来ようとしている。
「また一斉に襲って来る気かもな」
貞光が槍を構えた。皆も戦闘体勢に入る。
「タエ、ハナ。早う、高龗神様の元へ行け」
「!?」
突然、すぐ側で全く予想外の声が聞こえた。タエとハナは驚いて、声が裏返ってしまった。
「白千様!」
高龗神の式神、白蛇の白千がいたのだ。綱達も驚いている。
「その魂を、我が主へ届けるのが任務じゃろう。もたもたするな」
「今すぐですか!? でも、皆さんを置いては行けません!」
タエの言葉に、蛇の鋭い瞳が綱達を見つめた。
「じゃが、あの妖怪共に、その魂を奪われれば京は終わりじゃぞ。……確かに、器も奴らを強化させるか」
「竜杏と藤虎殿、皆を無事に都へ連れ帰ります。それまで、時間をもらえませんか?」
ハナも食い下がった。しかし、白千は了承しなかった。
「お前達が、この時代に来た目的は何じゃ。魂がいつまでもここにいては、天の魂を引き戻す力が強くなる。引っ張られると、傷が付いてしまうぞ」
「!」
タエとハナははっとなった。高龗神は、魂は繊細で、傷付けずに連れて来る事と言っていたのだ。手元の竜杏の魂を見た。緑の光が手の中で漂っている。
「タエ、ハナ殿。ここは任せて、行ってくれ」
綱が二人に告げた。タエは、綱を見つめる。
「綱様……」
「竜と藤虎の体は、必ず無傷で都に帰す。手厚く葬儀を行うと誓う。あの着物も、娘さんに届ける。竜の魂は、君達に任せるよ。代行者にするんだろう?」
「! 知ってたんですね」
タエは驚いていた。ハナは、竜杏が貞光に話す所にいたので、貞光が彼に話したのだろうという事は、察しがついた。
「俺が話した! タエちゃん、ハナ様! 竜を頼んだ!!」
貞光も声をかける。
「御館様達は、私達も守る!」
砂壺達が綱達の周りを囲った。
「お前達……」
綱達は、驚きの表情をしていた。闇の妖怪が森の境界から顔を出し、歯をむき出して唸っている。見るだけでも、三十匹はいるだろう。それが一度に向かって来たら、いくら綱や貞光でも、竜杏と藤虎の体を守りながら戦うのは困難だ。味方の妖怪達の存在が頼もしい。
タエは必死に頭を回転させた。そして煉を見て、心を決めた。
「煉ちゃん、後ろ向いて」
「え?」
ぐりっと背中を向かされ、タエはある物を手に取った。ハナはそれを見て、姉が何をしようとしているのかを理解する。
タエは手に持ったソレを、竜杏の手首に結び付けた。
「鏡……。貴船神社の御神体だったっけ」
綱がタエの動きをじっと見ている。
「はい。太陽が出ている中なので、妖怪達は日食の時より力は弱い。この鏡を持っていれば、奴らは近付けない。側にいれば、皆さんも守れるはずです」
「しかし、タエちゃん達は魂を渡したら、元の時代に戻るんだろ? こんな大事な物、こっちに置いて行っていいのか?」
貞光は槍を森に向けながら、視線はタエへ向ける。白千が視界に入り、緊張した。
「おいタエ。御神体は主そのもの。簡単に手放すな!」
白千がタエに注意をしたが、タエの意思は固い。
「じゃあ、白千様が都に一緒に行って下さい。それで、皆の無事を確認したら、鏡を返却してもらって、神社に持って帰ってくれませんか?」
「お前っ! わしを使うか」
「御神体が心配なら、お願いします! お叱りは、未来に戻ってから、いくらでも聞きますから!!」
「ぐぅ……。覚えておけよ」
(よっしゃ!)
白千が渋々了承すると、タエは心の中でガッツポーズをした。これで、彼らを守る強固な盾が出来たのだから。
「タエ、本当にあんたは、すごい人だね」
綱は苦笑していた。タエは綱を真っ直ぐ見る。それは、悲しみに暮れている目ではない。生き生きとした、強い眼差しだった。
「皆さんは、私の大切な家族です。守る為なら、何だってします!」
それから、タエは保昌と壮六を見た。
「保昌様、竜杏と一緒に戦ってくれて、ありがとうございました。沢山、武功を上げてくださいね」
「はい! 有難いお言葉です。お二人共、お気を付けて」
保昌は、頭を下げ、礼をした。
「壮六さん」
タエに呼ばれると、体をびくりとさせた壮六。目の前の娘の夫を、自分が殺してしまったのだ。どうすればいいのか居心地悪く、体が重い。目が泳ぐ。
「あ、あの……、おれ――」
「私は、あなたに何て言えばいいのか、正直分かりません」
壮六はタエを見た。その顔は、少し、悲し気な色を見せている。
「竜杏に叫んでいた声は、聞こえてました。大事な人を失くしたんですよね。鬼に操られていたからって、全てを許す事は出来ません。私も……人間だから」
綱達は周りを警戒しつつ、静かに聞いていた。
「過去は変えられない。だから、もう後悔しないように、これからを生きて下さい。私も、後悔しないように、もっともっと強くなります。壮六さんのような人を、生まない為に。だから……頑張って生きましょう!」
「あ……あぁ……」
壮六の目から、涙が零れた。自分の弱さが招いた事態。ずっしりと心にかかる重い闇が、涙と共に流れ落ちる。罪の意識に苛まれ、闇が深ければ、今度は自分自身が鬼になっていたかもしれなかった。タエは、正直な気持ちを伝え、壮六の心も救ったのだ。
壮六の肩に、右手を置いた。
「人生、良い事半分、悪い事半分です」
涙を拭い、タエは壮六に笑いかけた。
「ありがとう……ございます……」
泣き崩れる壮六の背中をさすると、タエは左手に持っていた竜杏の魂を見た。
(これで良いやんね。竜杏……)
「行こうか。ハナさん、煉ちゃん」
タエが二人を見た。
「了解」
「おう」
ハナは藤虎の頭に触れ、竜杏の頬に口付けると巨大化した。
煉は竜杏と藤虎の頭をぽんとなでて、宙に浮いた。
タエは藤虎の頬に触れ、竜杏の手を握ると、唇に口付ける。
「ありがとう、藤虎さん。お疲れ様……竜杏」
タエは立ち上がると、ハナに飛び乗った。
「綱様、貞光様。皆さんに会えて良かったです! 御気を付けて!! 妖怪の皆も、ありがとう!」
「皆もね。タエはずっと、俺の妹だから」
「元の世界に戻っても、俺達の事、忘れんなよ!」
「はい! 白千様、お願いしますねー」
「分かっとる!」
ハナが空へと浮かび上がる。煉もそれに続いた。皆がそれぞれ別れの言葉を言ってくれるので、タエは手を大きく振って、笑顔で答える。ハナも別れを告げ、貴船神社へ向け、一直線に飛び立った。
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