191 生きた証
ブックマーク・評価・感想、ありがとうございます!
「竜杏!」
綱と貞光は、信じられないと言った表情をした。綱の心臓が、どくどくと早鐘を打つ。手綱を握る手に、力が入る。
「血のにおい!」
まだ離れた場所にいた妖怪達は、すぐに気付いた。
「普通の人間の血じゃない……」
「まさか……御館様!?」
砂壺達の顔色が変わる。
――返せよ。村も、命も、みんな返せよぉ!!――
壮六の言葉。
――返してよ。お前らが全部壊す前の幸せを、返してよ!!――
これは、幸成と千草を監禁し、呪いで利用していた上端と弓削にタエが言った言葉。
(ああ……。俺は奪う側になったのか……)
二人のセリフは同じだった。まさか、自分に対して言われる時が来るとは思わなかった。竜杏は体が傾き、視界に捉えた空がぐるりと回転するのを見ながら、そんな事を思っていた。
タエと煉は数メートル前まで来ていたが、竜杏が血を流して倒れてしまった。二人は、怒りが一気にMAXを振り切る。
「てめえぇぇ!!」
吠えた煉が、壮六の周りに炎を出した。彼の周りを囲うように炎が円を描く。あと指を一振りすれば、壮六は一瞬で焼け死んでしまう。
「ひ、ひぃっ!」
「だめだ……。やめ――」
「!」
竜杏の小さな声が、タエの耳に届く。はっと我に返った。煉は指を前に突き出そうとしている。
タエは咄嗟に左腕を伸ばし、煉を引き寄せ止めた。煉の車輪も炎が出ていて、タエの着物がジュウッと焦げ、顔は火傷した。
「なっ!?」
煉は、タエの行動に驚くばかり。それでも、スピードは簡単には止まらない。タエは煉を抱えたまま、壮六に向かって行く。壮六の怯える顔が、はっきりと見えた。
(こいつが、竜杏を!)
煉を止めたが、壮六の顔を見ると、怒りが込み上げる。晶華をぎり、と握った。
もや……。
「!?」
晶華の変化に気付いたのは、後ろにいたハナだ。
「だめっ、お姉ちゃん! 晶華が――!!」
ハナが叫んだ。晶華の刀身が、灰色に濁り出していたのだ。いつも美しい、クリスタルのような刀身の晶華を見てきた。明らかに異様だ。
ハナは、代行者の仕事をしていた夜に、高龗神に言われた事を思い出す。
「ハナ、タエを頼んだぞ」
「え……?」
「晶華を、怒りと恨みの念で振らせてはならん。姉を守りたければ、全力で止めろ」
(この事だったんだ!)
代行者は、現世に生きる者に刀を向けてはいけない。このままいけば、タエが壮六を斬ると思ったハナは、巨大化し、龍爪でタエへ飛び掛かる。
(ハナさん……)
ハナの声はちゃんと聞こえていた。右腕を後ろへ引き、突きの姿勢に入る。
――妖怪に喰われる運命は変えられても、人の成す宿命を変えてはならん――
――その時は、そなたの愛刀は濁り、折れるじゃろう。そうなれば、タエは代行者の資格を失う――
――邪悪と判断して人を斬ったのならば、夫の敵を全て斬る事――
――お前は、人を斬れるのか?――
高龗神に言われた言葉が、頭の中を駆け巡る。
(一人斬ったら、全員を斬る……。逃げて来た人、全員……。どうすべきか、分かってる……。分かってる!!)
「あああぁぁ!!」
「うわぁっ」
晶華が、真っ直ぐ壮六へと突き出された。かしゃんと打刀が落ちる。
「あ……ぐ、ぐぅ……」
苦し気な声が漏れる。彼らの周りに来ていた保昌、味方の妖怪達は、タエとハナの様子を見守った。
「竜!」
綱と貞光は、竜杏の側に膝を付き、彼をゆっくり起こす。竜杏も、タエとハナを見る事が出来た。
「くそっ、何でだよ!」
「血が止まらない」
貞光が悪態をつく。綱は、持っていた手拭いで竜杏の傷を押さえるが、すぐに手拭いが鮮血に染まってしまった。
竜杏は、タエとハナをじっと見つめていた。はっはっ……、と呼吸が荒い。
「ハナさん。私は平気やから、爪を下ろして」
タエが静かに言った。ハナは、涙を浮かべていた。大きく鋭くなった爪は、タエの首に当たる寸前で止められている。
晶華を見て、ハナの目が驚きで見開かれた。
「刀が、戻ってる……」
黒く染まりかけていた晶華の刀身が、透明に戻っていたのだ。ハナは、一歩後ろに下がった。
タエは、晶華で間違いなく壮六の左肩を貫いている。壮六も刺されたと、愕然とした表情を見せていたが、痛みがないので、戸惑っていた。
「だ、代行者めぇ……。ぐふっ……」
今の声は、壮六のものではない。晶華が突き刺していたのは、小さく細長い鬼だった。鳩尾を刺され、刀の先にぶら下がっている。鬼は口から黒い血を吐いた。
「えっ、えぇ!? なんだよ、こいつ!!」
壮六も鬼がいたことに気付かなかったので、驚いている。上官を傷付けた壮六を斬ろうと、保昌も刀を振り上げていたが、おぞましい光景に動けない。
「な、なんなんだ……。壮六の背中から……出て来たぞ……」
「この人は、この鬼に誘惑されただけ。罪がないとは言えないけど……、責めてはいけない……」
タエは、壮六の中に鬼気を察し、彼の中から鬼を引き出したのだ。壮六の魂に触れる事なく鬼だけを突き刺す。少しでも壮六に対して殺意があれば、彼の魂も傷付けていた。タエは、身が裂かれる思いで、気持ちをコントロールしたのだ。
鬼は人を惑わし、人の心に入り込む事が出来る。鬼の言葉に答えた壮六の心に潜り込み、竜杏の命を狙うよう仕向け、思う通りに操ったのだ。人の中にいれば見つからない。平原は妖気がまだ漂っていたので、気付かれる事なく竜杏に近付け、喰いつけると考えての事だった。鬼にとっては、完璧な作戦だったと言える。
「消えろおぉ!」
タエが叫ぶと、晶華の刀身から貴船の神水が噴き出した。それを全身に浴びた鬼は、声を上げる事すら出来ず、溶けて消えた。
「あ、あれ……? お、俺は、なんてことを……」
壮六も、ようやく正常な思考に戻ったようだ。自分がしてしまった事を認め、顔色が真っ青になっていた。
「その人間はどうするの!?」
砂壺がタエに問うた。
「頭から喰ってやる!」
「よくも御館様を!!」
口々に妖怪達が喚きだした。皆、壮六を断罪しようとしている。やはり、妖怪を本気で怒らせると、即、死につながるのでなだめるのも困難だ。
「タエ、何で止めた! こんなのおかしいだろ! 許せねぇだろ!? 竜杏が刺されたんだぞ!!」
煉の言葉に、タエの心は鉛のように重たくなった。妖怪達は、今にも壮六に飛び掛かりそうで、壮六は完全に腰を抜かし、怯えきっている。
「そんな事をしても、竜杏は喜ばない」
タエがそう言うと、煉達は止まった。
「でも――、あんたが一番悔しいんじゃないの!? あんた、御館様の妻じゃないか!!」
砂壺がタエに問うた。
「妻……?」
保昌は、思い出す。上官は、彼女の事を“妻”と呼んだ事を。
「聞き間違いじゃ、なかったのか? それに、“竜杏”て……」
「だからこそ! 私は、竜杏が悲しむ事をしたくないの! この人も、竜杏が守ろうとした人だから。この人がした事は、人の世界の裁きに任せます。皆も、竜杏を想うなら、どうか私に免じて怒りを鎮めて下さい! お願いします……」
タエが頭を下げた。タエに抱えられている煉は、彼女が唇を噛み、全身震えながらも必死に涙を堪えている姿を見て、涙が滲んだ。誰よりも、怒りに任せて叫びたい、壮六を断罪したいと思っているのはタエなのだと悟ると、心にある怒りの炎が、徐々に治まっていった。
「タ……エ……」
「! 竜杏!!」
竜杏の声が聞こえ、タエは彼の側に腰を落とす。貞光が竜杏を支えて上体を起こしていた。彼が右手を持ち上げた。タエは、血が付くのも気にせず握りしめる。
「ありがとう」
ホッとした顔をしている竜杏に、笑顔を見せた。
「奥さんの役目、ちゃんと果たせた?」
「ああ……。煉、怒らせて、ごめん。妖怪の皆も……気持ちは嬉しいよ……ありがとう」
妖怪達も竜杏の周りに集まって来た。保昌は綱の隣に来て驚いている。
「つ、綱様が二人!?」
「後で説明するよ。タエ、どうにかならないの? 血が止まらないんだ」
綱もいつもの冷静さを欠いている。タエは高龗神の言葉を思い出し、首を横に振るしかなかった。
「人による傷に、手を出す事は禁止されてます。人が成した宿命を、変える事は出来ない……」
「く……」
刀は心臓を傷付け、血がどんどん流れている。貞光が悔しそうに顔を歪めた。
「ごめんね。私、何も出来ない……。竜杏、ごめん……」
タエは、ただ涙を流す事しか出来なかった。竜杏は、震える左手で、タエの涙を拭う。そして煉の頭をなでた。
「いいんだ……。タエ、ハナ殿、煉……。後で話そう」
三人はうんと頷いた。
「綱、貞光さん……。壮六の事、任せます。人は弱い……仕方ない事だった。俺は……何とも思ってないから……」
「まったく。お前は甘いな。任せておけ」
綱が苦笑した。
「保昌……騙してて、すまなかった……。破壊された村の事は……頼んだよ」
「は、はい!」
竜杏の指示に、保昌はしっかりと返事をした。
「ぐすっ……。りゅう……」
竜杏は、上を見上げ、困ったように笑った。貞光がぼろぼろ泣いていたのだ。
「貞光は、竜を可愛がってたからな」
全力の男泣き。ぐしぐし目をこすっている。
「こんな最期って、ねぇよ……。藤虎だけじゃなく、竜まで……」
ふっと顔を緩めて、竜杏は言った。
「最期でも……、きっと最後じゃないから……」
「?」
綱と貞光は、よく意味が分からなかったが、竜杏は空を見上げた。地上で起きている事など関係なく、空は穏やかに白い雲が流れている。平和そのものだった。
「俺の生きた証……残せたかな」
竜杏の呟きに、タエはぎゅっと握る手に力を入れた。もう彼の手は、ずいぶん冷たくなっている。傷の痛みも、感じなくなっていた。
「うん。ちゃんと、皆の心に残ってる」
「影じゃない竜杏として、しっかり刻まれてるよ」
綱も涙を浮かべ、頷いた。
竜杏は、満足そうに目を細めた。
「今……幸せだと思うから……、俺の人生は……幸せ……だったんだな……。よかった……」
瞼が重くなる。
竜杏は、眠るように逝った。
読んでいただき、ありがとうございました!
ここまで来ました。文章の進みが遅い遅い。書いては消し、消しては書いて。
きっと、生涯を終える瞬間、幸せだと思えたら、自分の人生が今までどれだけ辛くて苦しくても、それは幸せな人生だったんだろうなと。
竜杏も苦しい生き方をしてきたので、最後のセリフは重みもありつつ、救いのあるセリフになるように頑張ったつもりです。
竜杏も、とりあえず、お疲れ様でした。