189 可愛い我が息子
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「っぐ……」
血が逆流し、口の中が血で溢れる。藤虎は、鉄の味に顔を歪めながら、奥歯をぐっと噛み締め、腰を落とし、足を踏ん張った。
道満の鬼は、両腕を振り上げようとする。近付く天敵の気配に対応する為だ。しかし、藤虎と幸成が両腕をしっかりと掴み、動かないよう堪えていた。
「逃がさん!」
二人は命を燃やし、本来持つ以上の力を生み出していた。
「藤虎っ、やめ――」
竜杏の目には、藤虎の背中が見えていた。藤虎は、竜杏の前に立ちはだかり、守ったのだ。鬼の指は、彼の腹に食い込み、背中を突き破っていた。竜杏には、藤虎の背中から鬼の指が見えており、爪の先から彼の血がぽたぽた垂れている。
藤虎に駆け寄り、腹から指を抜こうとした時だった。
ざんっ!
竜杏達の頭上に、影が差した。ハナに乗ったタエが、道満の鬼の顔を斬ったのだ。ハナは、鬼の顔右側すれすれに飛び込んだ。タエは、先に突き刺していた晶華を左手で掴むと同時に、右手で跳躍寸前、手にした竜杏の刀を晶華の刃に当てて滑らせ、後頭部から眉間を真っ直ぐに斬り、鬼の頭の上部が空中に投げ出された。
二刀流になったタエは、ハナの背中からジャンプし、切り離した鬼の頭部を細切れにする。その途端、鬼の体はびくんと痙攣すると、あっという間に塵になり、太陽の光に蒸発して消えた。
「そんな――」
先に着地したハナが、思わず声を出す。
「藤虎、藤虎!!」
鬼の腕が消え、血が一気に流れた藤虎は、立っていられず背中から倒れ込み、竜杏が受け止めた。ゆっくりと横たえさせる。
「嘘だろ……」
「藤虎!」
貞光と綱もようやく到着し、駆け寄った。必死に藤虎を呼ぶ。
「あっ、いっつ……」
タエも着地するが、右足に激痛が走り、膝から崩れ落ちた。周りの声が聞こえる。そして自分が見ている光景に、心臓がどくどくと脈打つ。耳のすぐ側でうるさいくらいに響いている。
(嘘……嘘……。こんなの、嘘だって言ってよ……)
鬼の背中側にいたので、正面でこんな事が起きているとは知らなかったのだ。過呼吸になりそうだ。呼吸が浅くなる。うまく酸素が吸えない。
「お姉ちゃん、やっぱり足、折れてるんじゃ――」
「いいのっ! 私よりも……幸成さん」
タエは右足を引きずり、膝と両腕でなんとか前に進んで、近くにいた幸成の所へ行った。彼は、上体を起こしていたが両膝をついて、腕は力なく垂れ下がり、下を向いていた。
「大丈夫ですか? ゆ――」
タエとハナは、言葉を失う。涙が溢れた。
幸成の体は、全身ひび割れていた。肌も白く変色し、まるで石のよう。彼が動く事は、もうない。しかし、その表情はとても穏やかで、満足そうにゆるりと微笑んでいた。
「ありがとう。幸成さん……」
タエは、ひび割れガサガサになった幸成の左手に触れ、涙を落とした。ハナも黙祷し、藤虎の所へ行こうとする。
「お姉ちゃん、乗って」
「ハナさん、先に行って。早く!」
タエがハナを行かせた。彼女も体を痛めている。もたつく時間が惜しかった。ハナは言う通りに、藤虎の元へ駆けて行く。
「藤虎殿――」
彼の状態も悪かった。鬼の手が貫通したのだ。腹に大きな穴が開き、血が止まらない。
「ハナ殿っ、高龗神様の御札は!? 死にかけた俺に使ったあの札は、もうないの? 俺のは、消えてしまったんだ」
竜杏は必死にハナに頼んだ。自然治癒力を高め、全身に大けがを負った竜杏は、それで回復できた。その時の御札は大切に持っていたのだが、傷が完治すると同時に消えたのだ。役目を終え、自然に消滅した。彼の気持ちは十分に分かるが、ハナは首を横に振るしかない。
「ごめんなさい。持ってないの。高様に頼みに行ったとしても……間に合わない」
「そんな……」
鬼が与えた傷なので、高龗神に交渉する条件は揃っていたが、藤虎の傷の状態がひどすぎた。内臓も破壊され、心臓も傷ついている。藤虎は、短く呼吸をしていたが、もう目が虚ろだ。
「お、おやか……さま」
「藤虎!」
竜杏が彼の右手を握った。綱と貞光も、反対側から彼の顔を覗き込んでいる。
「皆様、そんな顔……やめてくだ……い」
タエもやっと側に来る事が出来た。足を引きずり、竜杏の隣に来る。彼の体を見て、何も出来ない自分に腹が立ち、溢れる涙は止まらない。
「藤虎さ――」
「あぁ……タエ様、ハナ様……。あなた方には……感謝しか、ありません……。御館様の、運命を……変えて、くださった」
タエとハナは、首を横に振った。
「感謝してるのは、私達です! 藤虎さんと幸成さんが鬼を押さえてくれたから、勝てました。それに、この時代に来て、行く所がない私達に、手を伸ばしてくれた。いろんな事を教えてくれて……感謝してるんです」
「私は、藤虎殿ほど強い人を見た事がない。あなたに出会えて、本当に良かった……」
「身に余る……光栄です」
藤虎は、焦点の定まらない目を細め、微笑んだ。
「綱様、貞光様……。これからの御武運、お祈りしております」
「……ああ。しっかり見ていろ。お前の期待を、裏切る事はしない」
綱は藤虎の左手を握った。その上から貞光の大きな手が包み込む。彼も目に涙を溜めながら、精一杯笑った。
「俺達の評判、天まで響かせてやる! 待ってろよ!!」
「……はい。御館様……」
ぽた。竜杏の目から、涙が落ちた。藤虎の手を濡らす。
「男なら、泣いては……なりませぬ。……先に逝く事を……お許し、ください」
「だめだ。許さない。藤虎、逝くな。まだ俺の側にいてよ!」
竜杏の本音。心からの素直な言葉だった。そして腹立たしく、悔しい気持ちでいっぱいだった。周りの者を傷付け、自分を守らせてばかり。ずっと側にいてくれた藤虎を、助ける事すら出来ないのだ。
藤虎は、困ったように眉を寄せ、ふっと笑った。
「まだまだ……甘えん坊ですなぁ……。あなたにお仕えして……幸せでした……。手のかかる、可愛い……我が息子――」
そう言うと、藤虎は、動かなくなった。
藤虎の体の中心から、小さな光が浮かび上がる。それはオレンジの光を宿していて、まるで太陽のようだ。明るく、温かく皆を見守ってくれる藤虎らしい魂の色だった。
温かい風が吹き上がる。まるで藤虎の魂を、迎えに来たようだ。すっかり明るさを取り戻した青空へ、高く、高く昇って行き、フッと消えた。魂の故郷へ帰ったのだ。
「藤虎……逝ったか……」
都にて、妖怪の群れを一掃した晴明が、空を見上げた。都でも犠牲者が何人か出た。迎えの風が吹き、それぞれの魂が天へと昇って行く。式神達も、尊い魂を見送った。
「ごめんね、竜杏……」
皆が空を見上げていると、タエがぽつりと呟いた。竜杏がタエを見る。
「もっと私が強かったら……、もっと、早くにあの鬼を斬ってたら……、竜杏から藤虎さんを、奪わずに済んだのに……」
涙を流して悔やむタエに、竜杏は、そっと抱きしめた。ハナも首を垂れている。あの鬼の能力と嵐に対応出来なかったのだ。今までの自信を、砕かれたようなものだった。
「悔しいのは、皆一緒だ。タエも、ハナ殿も、よくやってくれたよ。それは、皆ちゃんと分かってる。藤虎も満足してただろ。自分を責める事はないよ」
「う、うぅ……」
目をこすっても、溢れる涙は止まらない。綱と貞光もハナの頭を優しくなでていた。煉も起き上がれるようになり、ハナの手をきゅっと握った。
「幸成も、ありがとう……」
竜杏は、幸成の亡骸の前に跪き、肩に手を置いた。着物は柔らかいのに、体が硬い。しかし、石のように硬質なわけではなく、乾燥した木のように、かさかさしている。すると、太陽の光をしばらく浴びていたせいか、突然、幸成の体がぼろりと崩れ、砂の山になった。彼が着ていた着物だけが残る。竜杏は、その着物をそっと取り出し、丁寧にたたんだ。そして、幸成の体だった砂は、皆で穴を掘り、埋めた。
「幸成は、奥さんに会えたかな」
「きっと、会えてるよ。穏やかな顔、してたもんね」
「ああ。この着物は、千草に返さないと」
「うん」
竜杏の隣に座るタエが頷いた。側には、ハナ、煉、綱、貞光。煉はハナの背に乗っている。タエの右足首は、やはり嵐で飛ばされた時に骨が折れていた。竜杏が支え、一緒に立ち上がる。
「一緒に戦ってくれた妖怪達は、無事かな」
辺りを見回し、起き上がっている彼らを確認した。
「犠牲になった者もいる。小鬼のおかげで、私は立ち上がれた……」
「……そうか」
ハナの言葉に、竜杏は悲し気な表情を浮かべたが、藤虎を見て、深呼吸した。
「馬を探そう。ずっとここにいるわけにもいかない。藤虎も、ちゃんと連れて帰ってやらないと。妖怪達も、集まってもらおう」
竜杏の言葉に、綱と貞光は頷いた。
「そうだな」
「やっと終わったって感じだな!」
「ああ。皆で帰ろう」
読んでいただき、ありがとうございました!
こんなに文章の進みが遅いのは、初めてでした……。
悲しい中にも、温かい光がある。前を向ける感じを出したかったのですが。
伝わってると、いいなぁと思います。
藤虎、幸成、お疲れさまでした。