187 嵐の中で
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平原に嵐が巻き起こる。その風は、人、動物、妖怪、全てを吹き飛ばした。
「うわああぁっ!!」
森の中にも嵐は届き、都へ向かっていた兵と村人は、木の間を通り圧縮された風に巻き込まれ、皆、木や岩に激突して負傷した。
「いってぇ……」
「ほ、骨が――」
「おい、大丈夫か!?」
皆が痛みで呻いている。気を失っている者もいる。頭を打ち、額から血が流れる壮六。なんとか痺れる体を起こし、悪態をついた。
「くそっ、なんでこんな――。源太? 源太……源太!」
壮六の傍らで倒れている仲間を呼んだ。頭から出血している。体を揺すっても動かない。森の中にも大きな岩が点在している。側の岩を見れば、血がべっとりと付着していた。
「うそだろ……」
幼い頃から一緒に育って来た、家族同然の仲間であり幼馴染。こんな最期など、誰が考えられただろうか。他の村の仲間達も、体が痛みうずくまっている。涙が溢れた。
「なんで、なんでだよ! 俺達はただ逃げて来ただけなのに!!」
「こんな所に来なければ、自分も仲間も、こんな目に遭わなかったのになぁ……」
まただ。また、近くから声が聞こえた。だが、それももう不思議には思わない。不思議で奇妙な事や恐ろしい事は、散々体験した。
「ああ、ああそうだよ! 保護してもらったけど、これはひどすぎる!」
「教えてやろうか? この状況の、全ての元凶を」
「え……?」
壮六の体が、ぶるりと震えた。
「あっぐ!」
ハナは兵達がいた岩の所まで飛ばされ、背中を思い切り打ち付けた。現世に干渉していたつもりはなかったのだが、妖気に満ちた平原は、あの世とこの世の境が曖昧になっている。鬼の瘴気と凄まじい風に当てられ、岩に触れられる状態になっていたのだ。
(背骨が……。おね、ちゃ……、りゅうあ――)
ごうごうと土や石も巻き上げ、視界を塞ぐ嵐。頭も打ち、意識が朦朧となる。
「っく……」
竜杏は、綱と幸成と共に吹き飛ばされていた。幸成の体をかばうように覆いかぶさり、綱とは手を繋いでいたが、風圧に押され、手が離れてしまった。
「竜!」
「つ――!」
砂嵐のせいで綱の姿が見えなくなった。竜杏と幸成はうずくまって耐えていたが、それも限界に近い。
(嵐もいつかは止む。幸成を逃がして、俺がここから離れないと。タエとハナ殿と合流出来れば――)
「私は、最期まで御館様と共にいます」
「え!?」
嵐の轟音が聞こえない。竜杏は驚いて目を開けると、辺りはぼんやりと青白く光り、さらさらと水の流れる音が聞こえてくる。心が落ち着く音だ。目の前に幸成がいるだけで、何もない。
「あれ、嵐は……」
「ここは御館様の精神の世界です。私は鬼。人の心に干渉する事が出来ますから」
幸成が失った右腕を押さえて、体を起こした。もう痛みに顔を歪めてはいない。
「俺の――。幸成、俺の側にいる事はない。もう十分だ。千草の所に帰れ!」
「言ったでしょう。私の残りわずかな命は、あなた達の為に使うと」
「残りわずかって……」
竜杏が眉を寄せると、ぱきっと小さな音が聞こえた。見れば、幸成の頬がひび割れている。
「その頬は!」
「もう体の崩壊が始まっているのです。千草も知っています。支配されていた時に削れた寿命は、思った以上に多かったですが、今、少しでも御館様の力になれているので満足です」
「しかし――」
穏やかな最期を迎えるのも、選択の一つだろうに。竜杏はそう言おうとしたが、察した幸成はゆるりと笑みを浮かべた。
「あなたは妖怪にとって、極上の食材です。しかし、私は御館様達に救われました。力を貸す事は当然でしょう」
「俺は……最初、弱ってる千草を見捨てようとした。俺は出来た男じゃない。構わず逃げていいんだ。幸成が思うほど、命を賭してまで守る価値はないよ……」
「あなたは人間だ。鬼を遠ざけるのも理解できます。それでも、救ってくれた事実は変わりません。タエ様、ハナ様、藤虎殿、他のお仲間や妖怪達も、皆があなたを守る為に、必死に戦っている。それが全てを語っているではありませんか」
「え……」
竜杏は幸成の顔を見た。彼の表情は穏やかだ。
「タエ様は、自分の価値は他人が決める事ではないと仰っていましたが、これだけは言えます」
竜杏にも覚えがある。自分で自分の価値を認め、自分を好きになってあげないと可哀想だと言っていた。
「御館様は、命を賭けて守るに足る価値があります。あなたに自覚はなくとも、私にはそうです。他の妖怪達もそうでしょう。だから、ここへ駆け付けた。我々にとって、あなたの命は、それだけの価値があるのです」
幸成は竜杏の肩に左手を置いた。
「これは、妖怪達が自分の思う通りに動いての事。誰が命を落としても、御館様が責任を感じる事はありません」
「幸成……」
空間がぐにゃりと歪んだ。竜杏の目の前から、幸成の姿が消えていく。手を伸ばしても、彼を掴む事は出来なかった。
「はっ!」
竜杏は気が付くと、嵐の勢いが治まって来た。先ほどの会話は、ほんの一瞬の出来事だったようだ。全身が砂まみれ。太陽の光は大分戻り、明るくなってきた。よく見れば、元いた場所からだいぶ動いていた。離れた場所に、藤虎や綱、貞光、妖怪達の姿も小さく見えた。全員吹き飛ばされて倒れている。
「う、御館様……」
藤虎は先に馬を逃がし、煉を抱いていた。急いで体を起き上がらせると、鎧から砂が流れ落ちる。煉もなんとか生きていた。
「御館様!」
もつれる足を動かし、走り出す。
「綱っ」
「貞光……」
貞光が綱に駆け寄り、起き上がるのに手を貸した。貞光の馬も、嵐で森に逃げている。
「急ぐぞ!」
「ああ」
「げほっ、げほっ」
砂を頭からかぶり、タエは頭を振りながら起き上がる。自分がどこにいるのか平原を見回すと、森の手前にいた。竜杏が小さく見える。走り出した。
「まずい、竜杏! ハナさん、起きて!!」
「うぅ……」
ハナを大声で呼ぶと、彼女も身をよじるが、背中が痛くてうまく体が動かない。
「代行者……」
ハナが目を開け、声がした方へ向くと、緑の小鬼が側にいた。左肩から先がない。左足も膝から下がなくなっている。右の腕と足で、必死にハナの所まで這いずって来たのだ。嵐で吹き飛んだ衝撃か、妖怪との戦いでそうなったのかは、ハナには分からなかった。
「小鬼っ……」
「頼む……。御館様を、助けてくれ……。俺は……もう、無理だから……。あの人は……まだ、生きなきゃ――」
骨ばった細い右手を伸ばし、ハナに触れた。感覚がもうないのかもしれない。その手は震えている。ハナは叫んだ。
「あかんよ。小鬼! また……、またあの屋敷で日向ぼっこするんでしょ!? 皆と一緒に――」
小鬼を見れば、虚ろな瞳は瞳孔が開き、動かなくなっていた。
「……ぁあああああっ!!」
ハナは気合で起き上がり、走り出した。涙で視界が滲む。それを振り払い、タエの元へ真っ直ぐ進んだ。
竜杏の側には幸成がいる。彼も体を起こして辺りを見回した。
「タエ、ハナ殿は――」
「御館様、奴が来る!」
幸成の声に身構える。そして気付いた。ずっと持っていた刀がないのだ。慌てて左右を見ると、少し離れた所に刀が地面に刺さっている。手を伸ばし、柄を掴んだ時だった。
竜杏の上に影が落ちた。
「はっ」
彼が上を見た時には、道満の鬼が真正面におり、右腕を上げ、肘を曲げて後ろへ引き、指先をぴんと伸ばしていた。
ひゅどっ!
刀を引き抜く間もなく、鬼の右腕が竜杏へと突くように伸びた。
読んでいただき、ありがとうございました!
あぁ、小鬼ちゃん……。この子、けっこう気に入ってました。