18 炎の使い手
「あなたは、昼間の!」
「覚えてたか」
にやりと笑うその顔は、紛れもなく昼間、ナンパ男達から助けてくれた赤毛の兄ちゃんだった。
ハナがそういう事、と呟いた。
「人でも妖怪でもない気配。神に属する気配だったのね。お姉ちゃん、この人、代行者よ!」
「はっ? だ、代行者!?」
思いがけない言葉に、タエは混乱する。
「え、だって、生身の体やったよ? 皆と喋ってたし、見えてたしっっ」
魂だけの存在が、何故、現世に存在できているのか全く分からない。
「知らんのか? 依り代や。依り代。現世のモンに憑依してたの」
「よ、依り代?」
ハナもそれは知らなかったようで、ぽかんと目の前にいる赤い代行者を見つめていた。
「にしても――」
「へ」
ぎろりと睨まれるタエ。びくりと肩を揺らした。
「何で代行者が妹の方やねんっ! 美人姉ちゃんの方、期待しとったのにぃぃぃ!!」
「悪かったなっ、美人じゃない方でっっ!」
姉とは涼香の事だ。あの時は姉妹寸劇の最中だった。赤毛は大げさに頭を抱えている。
「行っときますけど、あの子は私の親友です。そもそも顔、全然似てへんし」
ぶぅ、と膨れると、赤い代行者は、あははと大笑いした。
「あーすまんすまん。分かっとったよ。代行者があんたやって事は。ちょっとからかってみただけ」
タエは眉間にしわを寄せる。
「すまんかったて。俺は釋。あんたと同じ代行者や。よろしゅう」
釋は、人懐こそうな笑顔で自己紹介した。彼もタエと同じような戦闘服だ。髪の色と同じ赤地に金の刺繍が入っている。炎の鳥。朱雀だろうか。タエの着物の赤よりももっと濃く、鮮やかだ。袂はやはりない、真っ直ぐの袖だ。そして黒の兵児帯を、腰の横でぎゅっと結んで垂らしている。合わせの間から見えた足は、黒のズボンに黒のシンプルな靴。脛当て等の装備はなく、スッキリしたデザインだ。手に持つ彼の相棒は、とても大きい大刀だった。三国志の関羽が持っていたとされる青龍偃月刀のようだ。長身の彼が持つので、武器も相当大きい。その大きな刃に狙われれば、逃げきれないだろうと察する。まるで古の中国の武将のようだとタエは思った。
タエはというと、まだ機嫌が悪い。
「私はタエと言います。この子はハナ。それはそうと、あの人を燃やす事、なかったんじゃないですか? 私が解放してあげるつもりだったのに」
タエの側には黒く燃えた跡だけが残っている。灰は風がさらっていき、川が流して行った。釋は呆れたように見下ろした。
「お前ら、他の管轄での力の行使は御法度って知らんのか?」
「知ってますよ。だからここで――」
タエが答え、ハナが周りを見回した。そして息を飲む。
「桂川と宇治川、木津川が合流してる……。え、ここ淀川になってる!?」
「え? ハナさん、どういう――」
「ここはもう、大阪やっちゅうこっちゃ」
「ええぇ!?」
釋の言葉に二人で驚愕した。侵入していたのは、自分達だったのだ。
「だから、ここは俺の管轄やねん。鬼を煮ようが燃やそうが俺の自由。っていうか、鬼の話を聞いてやってたんか? そんなん一々してたら、仕事なんかできひんで」
「苦しんでたから、気になって。それに、瘴気に阻まれて、刀が届かなかったから……」
「ふうん?」
釋が腕組みをした。タエは拳をぐっと握った。唇を噛む。
「それは、私の力が足りなかったからです」
「せやな」
でも、とタエは続けた。
「話を聞いて、良かったと思いました。あの人、最後は人の心を取り戻したから。人のまま、送ってあげられると、思ったんです」
「鬼の魂は残らんぞ。塵になって消えるだけや」
「それでもっ、魂は救えなくても、心は救えたと――」
「やる事は一緒やろ。お前の自己満足か」
「!」
心臓が痛かった。そうだったのだろうかと自問自答する。あの女性を思いながらも、内心は、そうして誰かの心を救えたと、自分が満足したかっただけなのだろうか。
「ちょっと、そんな言い方ないでしょう!」
ハナが口を挟む。釋はハナを見た。
「代行者の仕事は、妖を斬る事や。相談に乗る事ちゃうやろ。鬼に会ったら迷わず斬れ。油断させて牙をむく作戦かもしれんやろ!」
タエは何も言い返せなかった。その可能性ももちろん考えた。それでも手を伸ばす事を選んだのだ。
「昔、お前みたいに、苦しむ鬼の話を聞こうと近付いて、頭から喰われた奴がいた」
「え……」
見上げて視線を合わせた釋の顔は、悔しさを滲ませていた。
「俺のダチやった奴や。妖は人を騙す。お前も、喰われたくなかったら、表面だけ見て判断すなよ。相手の行動の裏を読め」
「はい」
馬鹿にされているわけでも、怒られているわけでもないと、ようやく分かった。タエが代行者としてやっていけるよう、助言してくれたのだ。
「でもまぁ、あの鬼女は確かに攻撃性がなかった。あんたは甘い所があるんかもしれんけど、その甘さに鬼の牙も抜けたんかな」
タエの頭にぽんと手を置く。ぽんぽんと撫でられた。タエが驚いて見れば、釋は優しく笑っていた。
「タエ、代行者になってどれくらい経つ?」
「えっと、二か月くらいです」
「二か月で刀抜かずに鬼と対峙するなんて、なかなかやるなぁ! 女の子でわんこと一緒に代行者してるってのも、珍しいし」
タエとハナは目を合わせた。初めて倒した鬼にも同じような事を言われた事を思い出す。
「あの、代行者が女って、そんなに珍しいんですか?」
「そりゃそうやで! 命がけの戦いは普通男やろ? それに、大体、代行者は死んだ人間の魂から一人選別される。せやのに生きてる人間で女の子やし。わんこも契約して、代行者が二人なんて、京都だけや」
「そ、そうなの……?」
ハナも他の代行者と話をする事がなかったので、初耳に驚く事ばかりだ。
「高龗神殿は型破りの神様やしな! うちの上司も、京都が変わった契約をしたって騒いどったわ。ははは!」
高龗神はやはり、どこか飛びぬけているらしい。
「上司?」
タエが疑問符を飛ばした。釋がにっと笑った。
「俺が仕えてる神様。愛宕神社の火之迦具土神。せやから、俺の属性は火や」
だから炎が上がったのか。タエは納得した。
「せっかく知り合ったんやし、共闘とかもええな。手こずる相手の時は、いつでも呼んだらええで。俺も困った時は呼ぶわ」
「はい。よろしくお願いします。釋さん」
「そんな、かしこまらんでええよ。敬語はいらんし、釋でええから。ハナもな」
「はい。あっと、う、うん」
よしよし、とまた頭を撫でられる。ハナは、毛並みがふさふさなので、思い切り撫で回されていた。
「あ、あの。釋はどのくらい代行者を務めているの?」
ハナが質問する。釋はハナのほっぺたをむにーと伸ばす。さすがに彼女の眉間にしわが刻まれた。
「んーと、百三十年くらいかなぁ」
「ひっ、百三十!?」
とんでもなく大先輩だった。敬語を外して本当に大丈夫か心配になる。
「まぁ、長くやってるとは思うけど、京都には最強の代行者がいたやんか」
「最強の代行者?」
タエとハナは首を傾げる。釋は信じられないという表情だ。
「知らんのか!? 約八百年代行者を務め上げた、伝説の代行者。一目会うてみたかったわぁ」
どうやらファンらしい。憧れに目を輝かせている。タエはまだまだいろんな事を知らずにいる。たくさん学んでいかなければと、目の前にいる大先輩に会って、改めて思った。
「今夜は、会えてよかったです。ありがとう、釋」
「ああ。俺もや。また会いに行くわ」
「あは。また会えたら、会おうね」
タエは笑顔で答え、そろそろ自分の管轄へと戻ろうと、ハナの背に乗った。それを見送る釋が声をかける。
「タエ」
「はい?」
「タエも十分可愛いで。自信持ちや」
「はいぃ!?」
顔を真っ赤にするタエ。ハナは笑っていたが、彼に釘を刺した。
「大事な姉に、ナンパはやめてよね」
「本気になったら、口説きにかかるわ」
「ならへんでしょっ! ハナさん、行こう。それじゃあ!」
ハナがふわりと宙に浮く。そして京都の上空へと飛び、見えなくなった。釋はタエとハナを思い出し、口の端を上げる。
「ほんまに面白い子らやったな。気に入ったわ」
釋も仕事に戻ろうと、きらめく夜空の中、高く跳躍した。
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