173 魂の故郷・戦前夜
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「ねぇ、魂の故郷ってどんな所?」
晴明の屋敷から戻って来て、いつもの縁側に腰を下ろす。タエはお茶を持ってきて、皆で一服した所だ。ほう、と息をついた所で、ぼんやり空を眺めていた竜杏がぽつりと呟いた。
空は青々として、鳥がゆったりと飛んでいる。白い雲が高い所を流れていた。
明日、戦が起きるなど思えないほどの、良い天気だ。
「竜杏……」
タエが不安そうな眼差しを向けた。竜杏は眉を寄せ、苦笑しながらも、ちゃんと説明する。
「二人が何回か言ってたでしょ。どういう所なんだろうって、ずっと思ってたんだ。母上も、そこにいるの? 別に、俺が死ぬ事を考えてるって、わけじゃないから」
タエの頭をなでて、彼女の不安を拭うように笑った。タエも彼の気持ちを理解し、頷く。
「魂の故郷の事は、私も知らないな。行った事があるのは、ハナさんだけやんね。あの森を抜けたし」
「森?」
あぐらをかく竜杏の膝の上に顎を置いていたハナが、視線を向ける。煉はタエの膝の上だ。
「稲荷の狐が見張る、あの世の入り口。私とお姉ちゃんは、その森を抜けたの」
竜杏は驚いて目を見開いた。
「タエも行ったの!?」
「私は手前までしか行けなかった」
ハナはその時の事を話して聞かせた。ハナがこの世を去った日の、明け方の事だ。
森の中の一本道。木が鬱蒼と茂る中を、タエとハナが歩いていた。その道の両脇には狐の石像や灯篭が並んでいた。よく見ると、その上に白い狐が現れ、こちらをじっと見ている。二人を観察する者。威嚇するように睨む者。タエは夢の中だったが、夢ではないと感じていた。嫌な予感しかしなかった。ハナは全てを受け入れる覚悟でいる。
道を抜けると、明るい広場に出た。真ん中に小さい社が一つ。そこから出てきたのは、二つの頭を持った白狐だった。真っ直ぐハナの所へ走って来る。
「ダメっ、ハナさんを連れて行かないで!」
咄嗟に前に出て、両手を広げた。ハナが安らかに逝けるよう願ったが、体が動いていた。ただ見ているだけなど、出来なかった。
「双頭の白狐が私に襲い掛かって来て、私の意識はそこで途切れたの。『お前はまだ来るな』って、言われたみたいだった。目が覚めて、急いでハナさんの所に行ったら、もう意識がほとんどない状態で、家族皆で看取ったの」
「そうだったのか」
「最期に私を見て、にこって笑ってくれた笑顔は、忘れられなかったなぁ」
お茶を飲むタエ。その時は悲しかったが、今は違う。しっかり隣にいるからだ。
「お姉ちゃんのおかげで、安らかに眠って故郷に帰ったわ。それから、高様に代行者の勧誘を受けて、引き受けたってわけ」
「母上も、その入り口を通ったのかな」
「そうね。ちゃんと通って、故郷に帰ったはずよ」
遠くでとんびがピーヒョロロ、と鳴いた。
「お姉ちゃんも、竜杏も、魂の奥底には故郷の記憶があるの。ただ、今は必要のないものだから、表面に出て来ないだけ」
竜杏に体をなでてもらうと、気持ち良さそうにグルグル喉を鳴らした。ふさふさの尻尾も揺らしている。
「私が覚えてるのは、大きな光の球だったわ」
ハナは記憶を手繰るように空を見た。
「光の球は、私に一つ、お姉ちゃんに一つって感じで、それぞれの故郷がある。その閃きが地上に落ちて、生まれる親を決め、お母さんのお腹に宿るのよ」
「光の、閃き?」
竜杏が首を捻った。うまく想像出来ないらしい。タエも何となく、と言う感じ。二人の様子を見て、ハナは言い方を変えた。
「家が魂の故郷とするわ。今、竜杏は家から離れて、地上に勉強に来てるって言ったら、分かる?」
「勉強……」
ハナは頷いた。
「そう。私達は地上で様々な事を学ぶの。学問だけじゃなくて、自信、信頼、誠実、友情。愛だってそう」
ハナはタエと竜杏を見た。
「良い事だけじゃない。悪い事も学びの一つ。人を傷付けて、どう感じて、どう思うか。その気持ちを、先にどう生かすか。それだって、大事な学びよ」
具体的な話になり、竜杏もタエもよく理解できた。
「じゃあ、学びを終えたら、また家に帰るの?」
「うん。それは寿命を全うしたって事。でも、百年足らずの短い一生ではいろいろ学ぶのにも限界がある。だから、また新しく生んだ魂を一つ下界に送るの。それを繰り返してる。それが輪廻転生」
そこで生まれる疑問を、竜杏は素直に問うてみた。
「何人も学ばせて、魂の故郷はどこを目指してるの?」
「魂の質を高めるのよ。たくさんの経験をして、もっと光を強めたいと思ってる。平屋の家から始まって、目指すはお城って感じかな」
「なるほど。罪を犯した者は? 椎加は、地獄に行ったよね」
椎加の最期を思い出した。マグマのような手が、彼を地の底に引きずり込むのを、この目で見ている。
「罪を反省しない者は、地獄に送られ、罪を償う」
「故郷に帰れない?」
「償いを終えたら、故郷に帰れるよ。いつになるかは、分からないけど」
「そう。ねぇ、一つの魂の家から出て、地上で生まれたら、個々の人格が出来上がるでしょ? ハナ殿の前に学びに行ってた別のハナ殿も、魂の家の中に存在してるの?」
「いるよ。皆が兄弟みたいなものだから。人だけじゃなくて虫も、動物も、植物もいて、賑やかやよー。外に出て、他の家の魂と井戸端会議したりも出来るし」
「あ、だから知り合いのワンちゃんが多いんだ」
「まぁね。代行者になったから、なかなか天界に行く事は出来ないけど」
「へえ」
「ハナ殿とタエは? もう帰れないんでしょ?」
竜杏の言葉に頷くハナ。
「私達は、故郷から完全に切り離された。お嫁に行ったと思えば良いわ。だから魂の故郷は、また新しい私達を地上に落として、学びを再開させるのよ。竜杏も、そうなるわ」
「そうか……。なんか、安心した」
また別の自分が、また地上に生まれるのだと知り、どこかホッとした。竜杏の魂はもう戻らないが、故郷は消える事無く続いて行く。
「ありがとう。あの世の仕組みが分かったよ。代行者の講義になったね」
「ほんとだ」
涼しい風が吹いていく。ゆったり過ぎていく時間が、皆にとって、かけがえのないものになった。
夜。今夜はハナと煉が行ってくれた。もう呪符もあらかた探し終えたので、二人の時間を尊重してくれたのだ。今、竜杏とタエは、お気に入りの縁側にいた。竜杏の足の間にタエが座り、後ろから抱きしめられる形だ。
昼間は、あの世についての講義の後、タエと手合わせをして、戦いへの最終調整をした。
「タエ」
「ん?」
夜の風は冷たくなっているが、竜杏に包まれているので、タエは温かい。
「今だから聞いておこうと思うんだけど、いつか、俺の魂が高龗神様の所へ行く時、持って行きたい物があるんだ……。やっぱり、ダメかな」
「何を持って行きたいの?」
タエの肩から前に出していた腕を伸ばし、手をかざした。
「指輪と、タエからもらった写真」
竜杏の手に自分の手を重ねる。タエは嬉しくて、心臓が高鳴った。
「それと、俺の刀。ずっと一緒に戦ってきたから。代行者になっても、あの刀がいいなって思うんだ」
「高様に聞いてみようか?」
「いいの?」
タエは側に置いてあった巾着を取った。小さい貴船の御神体の鏡を取り出す。
「こればっかりは聞いてみないとね。高様」
「どうした?」
高龗神は、すぐに応えてくれた。タエは、竜杏の質問をそのまま問うた。変に言い訳がましく言っても、神様には全てお見通し。ストレートに聞く事が一番だとよく分かっている。
「いいぞ。それくらいなら問題ないじゃろ」
高龗神は、あっさり答えてくれた。
「いいんですか?」
びっくりしたのは竜杏だ。ダメだと言われると思っていたからだ。
「宝石など、現世に未練があるような物は許可せんがな。指輪も“しゃしん”とやらも、タエとの繋がりの物。気にする事ではない。ずっと共にあった獲物も、絆が強いからな。そなたの愛刀も、使えるようにしてやるよ。タエ、竜杏の刀も忘れずに持って来るんじゃぞ」
「はい。ありがとうございます」
「ありがとうございます」
タエと竜杏は礼を言った。
「竜杏。刀の名前を考えておくんじゃぞ」
「名前?」
高龗神は、それだけ言うと通信を切った。二人の時間を邪魔しない配慮だった。
「私の刀の名前は“晶華”。名前を付けると、絆がもっと強くなって、刀と気持ちを通じ合えるようになるよ。念じれば、動いてくれるようにもなる」
「へぇ。名前って、刀にとっても重要なんだね」
タエは頷き、手に持っていた鏡を竜杏に差し出した。
「これ、明日持って行って」
「え、何で?」
竜杏の手に握らせた。
「この鏡は、妖怪を寄せ付けない。竜杏には、必要だと思うから」
御神体の鏡。彼を守る、これ以上のお守りはないはずだと、タエは考えていたのだ。
「これは神様の鏡だ。まだ普通の人間の俺が、持って良いものじゃないよ。もし、傷付けてしまったら、申し訳ない」
「いいの! そんなの気にしないで。お願い、持って行って!」
タエの真剣な眼差しを受け、竜杏は鏡をきゅっと握ると、タエを後ろから抱きしめた。
「分かった。必ず、ここに戻って来よう」
「うん。またこの縁側で、お茶を飲もう。皆で一緒に」
「ああ」
夜はこのまま更けていく。
戦前夜。
運命の日が、訪れようとしていた。
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