172 晴明の屋敷にて
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翌朝、渡辺家から文が届いた。
出陣が明日に早まった。ぬかりなく準備をせよ。
文は短く、そう書かれていた。
晴明の屋敷に来た竜杏達は、彼の目の前に座っていた。
コンコンコン……。
扇子を床に当てて、ずっと考え込んでいる。側には都の地図を広げていた。
「出陣は明日……か」
竜杏が頷く。晴明は彼の隣に座るタエを見ると、意外に冷静で、いつもの彼女に見えた。それが逆に引っかかる。
「準備が忙しいのではないか?」
「明日の早朝、本家に向かい、鎧を着る。今、藤虎が俺の鎧を本家に運んでいるよ。もう準備はそれだけ」
渡辺家から出ないと、恰好がつかないからだ。綱として出陣しなくてはならない。藤虎は本家に鎧を持って行くと、その足で修練場へ向かい、兵達に訓練をつける。
「そうか。今回の戦いは、通常の戦ではない。死に美学を求めるな。生きて、戻って来なさい」
「そのつもり」
竜杏の剣の腕は知っているので、信じるしかない。
「晴明。一つ、頼みがあるんだ」
「何だ?」
まっすぐ晴明を見つめる。
「ゆきと佐吉の一家の事だ。俺に万一の事があれば、どうか、気にかけてやって欲しい」
「ほう。庶民の中から贔屓しろと言うわけだな?」
「そうだよ」
竜杏は素直に認めた。晴明は彼の言葉を待った。
「俺の我がままだって分かってる。ゆきは聡明で賢い。佐吉も学問を教えれば、伸びると思う。平吉とすみにも、世話になったし。あの一家には恩があるんだ。他の民がどうでもいいわけではないけど、出来る事なら、幸せになってほしいと思う。不幸に、なってほしくない……」
晴明は竜杏をじっと見た。竜杏も晴明をじっと見つめる。その瞳には、竜杏の切実な願いが込められていた。
「元々、ハナ殿と約束をしていたからな。佐吉を見守ると。その延長だ。一家の事も、見ておくよ」
「ありがとう」
竜杏はホッと息をついた。タエ達も笑顔になる。話が終わると晴明は再び、地図に視線を落とした。
「晴明殿、土の球は見つかったの?」
ハナが問うた。首を横に振る晴明。
「やはり知っていたか。都の中央部を見て回ったが、何もなかった。“中央”というのは、帝を表す事がある。大内裏の中も念のため見てみたが、空振りだ」
晴明は眉間に皺を寄せ、ふぅ、とため息をついた。
「それを壊さないと、力は戻らないのか」
「そうだろうな。恐らく、その封印が力の大元だ。麒麟を中心にして、四方の四神と鬼門、裏鬼門へ力を送っていたのだろう。受信地点を破壊しても、戻る力は微々たるものだ」
晴明は手の平を見つめた。今も妖の気配を感じる事くらいしか出来ない。苛立ちを覚え、ぐっと目を瞑るが、疲れは目に見えて明らかだった。いつも世話をしてくれた美鬼がいない事も大きいはず。タエは心配になった。
「大丈夫、ですか? お茶を入れて来ましょうか?」
「気遣いは無用だ。今は、この状況をどう打破するか――」
タエも地図に目をやった。
「あの、その地図を見せてもらってもいいですか?」
晴明は、すっとタエへ地図を滑らせる。
「何か気付いた事があれば、何でも言ってくれ」
「はい」
地図を手に取る。手書きの地図だ。川、山、通り、家が細かく描かれている。タエは竜杏の屋敷から、どの道を通ってここまで来たかを地図で辿ってみた。けっこうしっかり描き込まれている。間違っている所はなさそうだった。
「この丸が、封印の球があった場所?」
地図の東西南北に、四つ丸が描かれていた。晴明はごとり、と回収した割れた球を彼らの目の前に置く。
「そうだ。これに穢れた四神が入っていた」
手に取る竜杏。手の平サイズの石くれと化した球を、しげしげと眺めた。
「しっかり方角の通りに、置いてなかったんですね。なんか、場所がバラバラ……」
「おかしいと思ったぜ。俺は通りの真ん中あたりだったけど、ハナと晴明なんて、通りの端っこだもんな」
「うん。変だなとは思ったわ」
煉が疑問を素直に述べた。西と北は、通り中央から少し離れた位置に丸があるが、南と東は都の角に近い。おかげで、ハナは晴明の戦いに間に合ったのだが。
「鬼門の石はここだ。裏鬼門は、ここ。比叡山と石清水八幡宮を結ぶ線上にあった」
言いながら、晴明は墨で二か所丸を描いた。丸は六個。タエはじっと見る。
「都の中央と、大内裏にはなかった。封印の石が、こことここ――」
タエは指で丸を辿る。南北、東西、鬼門と裏鬼門。そこで声を上げる。
「ん?」
「どうしたの、タエ?」
竜杏が顔を覗き込んだ。タエはじっと地図を見つめている。
「中央……かも」
「中央にはなかったんだろ?」
煉はタエの頭の上に乗る。床に地図を置いて、皆に見えるように指を差した。
「都の中央にはね。もしかしたら、封印の石があった場所の、中央かもしれません」
「どういう事だ?」
晴明もタエの近くに来て、地図を見下ろした。タエの指の動きを辿って行く。
「南北、東西、鬼門同士を線で繋ぐと、一点を通るなぁと思って」
筆を持った晴明。細い線で、タエが言った場所を繋ぐ。一目瞭然となり、晴明も目を瞠った。
「そういう事か。球が不自然な場所にあったのも、納得だ」
珍しく、晴明のテンションが上がっている。
「タエ、なんで分かったの?」
「すげぇ、タエ!」
竜杏も驚いている。煉はタエの頭をなでなで。
「未来によくある謎解きで、こういうのがあるから。この時代には、あまりない考え方なのかな。だったら、道満の思考回路は、私と近いものがあるのかもしれないね」
「悔しいが、一本取られた」
晴明は、帯刀して立ち上がる。
「今から行ってくる。場所は民家の中の広場の辺り。寺を建てるか話し合われている所だ」
「じゃあ、俺達も――」
「いや、私一人で十分だ」
一緒に行くと言おうとした竜杏を、晴明は止めた。
「明日の為に、今日は英気を養え。夫婦の時間も、必要だ」
「……分かった」
晴明は、竜杏の肩に手を置いた。
「……大きくなったな」
「晴明」
「幼い頃から見てきたから、当然か。今の竜杏を見れば、母君も、御喜びになるだろう」
「……だったら、いいな」
「自信を持て。私にとっても、そなたは自慢の教え子だ」
「ありがとう」
ぽんと肩を叩き、晴明はタエの前に来た。
「助言、感謝しているぞ」
「いえいえ。最後の球があればいいですね」
「ああ」
笑顔で頷くと、タエにハグをする。
「せっ!?」
竜杏は思わず声が漏れた。ハナは驚き背中の毛と尻尾がぴんと立つ。煉は「おぉっ」と声を上げた。
「晴明さん!?」
タエもあたふたしている。
「大丈夫か?」
「っ――」
晴明は、必死に平静を保っているタエを見抜いていた。戦いに夫を送り出すのだ。平常心ではいられないと分かっている。
「戦は何があるか分からん。私でも、読み切れん事が起こり得る場所だ。何があっても、自分を見失うな。何が大事で、何をすべきかを、冷静に見極めなさい。……そなたらに会えて、よかった」
タエは目を見開いた。竜杏達も、黙って聞いている。
(そんな言い方……。もう会えないみたいな――)
「言える時に、言っておこうと思っただけだ。戻って来たら、また酒を注いでもらおう」
タエの思考を読んだ晴明。力が弱くても、触れていれば、心が読めるらしい。タエは笑顔で頷いた。
「はい、もちろんです!」
ハナと煉の頭もなでて、晴明は最後の封印の球を探して屋敷を出て行った。
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