167 兄と弟
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「なんっでこんな時に!!」
貞光が叫ぶ。頼光は、はぁ、とため息をついた。
「都の南で妖怪が群れ、村を襲っているならば、行くしかあるまい」
瘴気の影響か、昼間から妖怪が現れ、村を襲撃していると報告が入った。その討伐に、頼光四天王が要請を受けたのだ。高龗神の式神が昼間は妖怪の対応に当たっているが、この村は大和の国にある。現在の奈良県に入っているので、高龗神の管轄ではなかった。大和の国の代行者が対応できるかは分からない。
「竜は都の北西です。距離がありすぎる。あっちの方が危険なんですよ。俺も竜と行かせて下さい」
貞光は、必死に頼光を説得するが、首を縦には振らなかった。
「こっちは四人。竜杏の隊は小隊でも人数がいる。タエ殿もいるんだ。信じるしかない。こちらの人数を減らすわけにはいかんのだ」
頼光は目の前にいる、信頼できる部下達を見つめた。怪力自慢の坂田金時、頭脳派の弓の名手である卜部季武、そしてこの時代では長身で情に厚い槍の名手、碓井貞光。あと一人、いつも共にいる四天王には綱がいるが、ここにはいない。
「こちらの仕事を早く済ませられれば、竜杏に追いつけるだろう。ここで揉めるより、進んだ方が良い」
卜部が尤もな事を言った。貞光はぐっと奥歯を噛み締める。
「そうだぜ貞光。俺達も共に行く。綱の大事な弟だ。あいつも、俺達の仲間だもんな!」
坂田がにっと笑った。秘密を共有しているが故の心強さは、貞光の救いにもなる。
「了解した。さっさと妖怪倒して、竜に追いつく!」
頼光達は、馬を走らせ、問題の村へと急いだ。
「ここから出せ!」
「ど、どうか、お静かに!!」
竜杏とタエは予定を終え、綱に会えないかと屋敷へ向かっていた。そこへ聞き覚えのある声が聞こえた。
「この声……」
「おらぁっ!」
ばりぃ!
「ひぃっ」
タエと竜杏が声のする方へ向かうと、障子紙を突き破り、格子の間から拳が飛び出ていた。外の廊下にいた奉公人は、涙目で怯えながらも障子を開けられまいと、必死に押さえている。
「こんな障子、簡単に壊せるんだぞ。さっさと開けろ」
「御館様から、決して出すなと言われております。どうか、どうか!」
「綱っ」
竜杏が駆け寄った。障子の穴から見えたその人は、竜杏の兄、綱だったのだ。
「ひっ」
奉公人は、妖怪を呼ぶ竜杏を見て、血相を変える。竜杏はその反応を無視して、支持を出した。
「少し綱と話がしたい。終わるまで離れた所にいて」
「わ、分かりました」
頭を下げ、そそくさと立ち去る。タエは眉を寄せていたが、文句を言うのを我慢した。
草履を脱いで、廊下に立つ。
「竜!」
綱が障子を開け、出て来ようとした。が、竜杏がそれを止める。
「部屋から出ちゃダメなんでしょ。姿を見られても厄介だ。ここで話そう。障子、閉めるよ」
竜杏は廊下に胡坐をかいて座り、障子を閉める。綱はイライラしていたが、目線の先にある邪魔な障子紙をばりっと破り、互いの顔だけ見えるようにした。タエは庭に立って二人を見守っている。
「いつも冷静なのに、珍しいな」
苦笑する。綱は障子の格子をがり、と持った。
「聞いたぞ。道満がまたお前を狙ってるって。軍行してるのは死霊なんだろ? 父上は、それを承知でお前を出陣させる。今までの、俺の代わりに出る戦とは違う。妖刀を持たない兵士達は、犬死する」
「ああ。分かってるよ。俺が出るから、この部屋に監禁されてるの? よく情報を掴んでるね」
「あの奉公人を耳にしてる。竜、お前は行くな。俺が行く」
綱の真剣な目が、竜杏を映した。
「祝言を挙げたばかりだろう。タエの為にも、お前は屋敷にこもってろ」
竜杏は、ふっと笑った。
「それはこっちの言葉だよ。お前の方こそ、奥方を悲しませるな。椿殿は、今もお前に会えず不安だろう」
椿というのは綱の奥さんの名だ。竜杏に出陣を任命した父・宛は、跡取りを守る為、本物の綱を屋敷に閉じ込めた。人が来る事のない隅の部屋だ。そんな彼に不用意に会って、影武者がいる事が外にバレるのを恐れ、椿にも綱に会う事を禁じているのだ。
「竜は俺になりすますのに、この屋敷には泊めないんだな。それこそバレるだろうに」
綱は父に怒っていた。
「兵士達の目に触れないように、裏口から入るように言われた。綱は忙しいから、兵士は保昌に任せたって。相談があるなら、毎日様子を見に行くから、その時にするようにってさ」
「バカバカしい……」
綱が吐き捨てるように言った。
「綱を守りたいんだよ」
「あいつが守りたいのは、この家だろ。名前だろ」
「ああ。そうだな」
捨て駒にされそうになっているのに、竜杏は穏やかだった。父親の大事な家、名前を守る為に、血を分けたはずの息子である自分は、戦に送られる。宛は、都に一匹も落ち武者を入れるなと言った。「生きて戻れ」とは、言わなかった。それは、影武者である竜杏を、切り離したも同然だった。
「なんでそんなに冷静なんだよ。怒っていいだろう!」
「綱が怒ってるからだよ」
「は?」
竜杏は穏やかに笑っていた。
「貞光さんも、一緒に行くって言ってくれたよ。難しいだろうけどね。俺は、兄弟や仲間に恵まれてるなと思って」
「そんなの、当たり前だろ」
みし。握った障子の格子に、ひびが入った。
「お前は、俺のたった一人の弟なんだぞ……」
「ありがとう、兄さん」
にこりと笑う竜杏。幼い頃を思い出させる顔だと、綱は感じた。
「ただやられるだけじゃないよ。タエが、妖刀じゃない刀でも、妖怪を斬れるようにしてくれた。対妖怪の戦術も訓練中だ。おかげで皆の士気も上がって来てる。犬死はしないと思うから、安心して」
「! タエが?」
竜杏の後ろに立つ、タエを見た。
「こっちには神の使いのタエとハナ殿、それに頼もしい煉がいる。一緒に戦うから、綱はここにいればいい」
「竜……」
「俺は生きる為に戦うよ。それと、綱の為に」
「俺の、為?」
竜杏は頷いた。
「綱は、この家をもっと良くしてくれると信じてる。父上のようなやり方は間違ってるって、よく分かってるから。俺達みたいな人間は、もう出したくないでしょ」
兄弟が引き裂かれて、兄の影として生きる弟。一緒に遊ぶ事すら出来なかった。その寂しさや悲しさ、悔しさは、身に染みている。
「当たり前だ。渡辺家の者を、絶対に不幸になどするか」
「それでいい。じゃあ、頼んだからね」
「なんだよそれ。まるで――」
(遺言みたいじゃないか……)
話は済んだと、竜杏は立ち上がる。綱は、大声は出せないので、小声だが、声を張った。
「竜! 生きて戻って来いよ!」
「ああ。そのつもり」
草履を履いて、振り向きざま、頷いた。
「タエ、竜を頼む」
「はい!」
綱を見据え、しっかり答えた。
「障子、直しなよ」
そう告げると、竜杏はタエを連れて歩き出した。
砂利を踏む音が遠ざかる。その音を聞きながら、綱は切に願った。
「絶対……戻って来い……」
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