140 車輪の妖怪
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シュッ。シュッ。
木の破片が庭に落ちる。ある日、竜杏は縁側に腰かけ、小刀で木片を削っていた。傍らには、タエとハナ、そして車輪の妖怪がいた。小さな彼はタエの膝の上におり、タエの手でがっちり掴まれている。
「逃げねぇって」
「タエ、背中向けて」
「うん」
竜杏の指示通り、タエは妖怪を後ろに向けた。欠けた車輪の部分に削った木片をあてがう。上手くはまるか見ているのだ。
「これでいけるはず」
かし、と木が擦れる音がして、木片がしっかりはまる。車輪は綺麗な輪に、再び戻った。
「どう?」
竜杏が優しく語り掛ける。ちらりと見た妖怪は立ち上がり、車輪の具合を見ようと、体をひねって確かめ、力を入れてみた。
ぼうっ。
車輪が炎に包まれる。木製の車輪が燃えているが、灰にはならない。竜杏の修理した部分も、彼の力の一部となり、馴染んだようだ。ふわりと宙に浮いた。
「車輪と同じ種類の木だし、馴染むのも早かったわね」
「おぉ! 完全復活やね。竜杏、器用!!」
ハナとタエも嬉しそうにしている。竜杏はホッとしていた。
「よかったよ。不具合でも出たら、どうしようかと思った」
「……どうもな」
「ちゃんと、ありがとうって言いなさい」
ハナがぴしゃりと注意した。
「いいんだ、ハナ殿。俺は命を救われた恩があるから、それを返しただけだし」
「……」
妖怪は口をつぐんでいた。何かを考えているような。言いたい事があるのに、言えないような。タエは首を捻っていた。
「もう体は全部治った。好きなようにすればいいよ。無理に引き留めてたのは、こっちだったから」
「……」
竜杏はそう言ったが、妖怪は下を向いて、その場に浮かんだままだった。
(もしかして)
タエは一つの可能性を考え、口を開く。
「ね、どうしたいか、言ってみなよ」
「え……?」
驚いたように妖怪がタエを見た。タエは笑っている。妖怪の気持ちを察したようだ。
「大丈夫。今の気持ち、言ってみて」
もじもじすると、妖怪は覚悟を決めたようで、赤い顔をもっと赤くして、竜杏を見た。
「……名前、付けてくれ」
「え……」
今度は竜杏が驚く番だ。
「名前だよ! お前、代行者になるんだろ? 水属性なんだから、火の属性の奴がいた方が何かと便利だろうが。お前の力になるのも悪くねぇって思ったんだ! 気が変わらねぇ内に、名前で縛っとけよ」
何ともぶっきらぼうなセリフだ。しかし、彼の気持ちは十分に伝わった。竜杏は目を見開いて妖怪を見つめている。タエとハナは顔を見合わせてにやり笑い。お茶を運んで来た藤虎も聞いており、びっくりしている。
「タ、タエ、ハナ殿。名前って、付けていいの?」
一応確認の為に二人に尋ねる。
「妖怪にとって名前は、大変な事だったんじゃ――」
幸成の事件の時に、晴明が妖怪の名前について言っていた事を思い出していた。ハナは頷く。
「そう。妖怪は、名付けた者と絆を結ぶ。主従関係になるの。名付け親の命令は絶対。逆らう事は許されない」
「だから、妖怪は基本、名前を持たないんよね。鞍馬天狗とか、本当に大物の妖怪一族は自分達で名前を決めてるけど」
タエも付け加えた。
「へぇ……。そんな大事なもの、俺が決めていいの?」
妖怪は腕を組んで、まだかと空中であぐらをかいて待っている。
「この子がそう望んだんだから、いいんだよ。竜杏の事、気に入ったんやね」
手当を受けている間、話をして、触れ合って、竜杏の人となりを知った。そうしている内に、この屋敷での生活が心地良くなっていったのかもしれない。
「人間はいけすかねぇが、竜杏なら、良い」
竜杏はうむ、としばらく考えると、持っていた小刀で足元の地面に字を書き、口を開いた。
「“煉”はどうかな。鍛えるとか、火で溶かした金属を質の良いものに変えるって意味があるんだ」
「属性でも、火は金には強いから、ぴったりなんじゃない?」
「煉獄の“煉”よね?」
タエがハナに聞いた。
「うん。カトリック教会の教えで、天国と地獄の間にあって、天国に入る前に、死者の罪を炎によって浄化する場所だったかな。聞いた事がある」
「ハナさん、よく知ってるね」
「天界にいた時に、飼い主がカトリックの信者だった方がいたから。マルチーズよ」
ハナの知識の多さに驚く。竜杏はなるほど、と頷いていた。
「炎で罪を浄化する――か」
「神聖な字やね。かっこいい!」
「決まった。今から君の名前は“煉”だ」
「!」
竜杏がそう告げると、妖怪の体が赤く光り、その光が竜杏の心臓へと延びる。竜杏も同じように赤く光ると、それはすぐに消えた。しかし、煉と名付けられた妖怪は、光り輝いている。力が溢れ、背中に背負った車輪が纏う炎は明るさを増し、炎の純度が高まった。
「絆が生まれて、竜杏の霊力が煉に影響したのかも。相性も良いみたいね」
ハナは満足そうだ。煉も嬉しそうにニコニコしている。
「煉、これからよろしく。友人や仲間、家族としてね」
「おう!」
二人は拳をコツンと合わせる。竜杏に、頼もしい新たな仲間が加わった。
タエは、二人の様子を見て、思い出した。叉濁丸と戦った時、煉が言った言葉だ。
――ここにいる奴らは、あの時、大事な奴を亡くしてる――
悔しそうな顔を覚えている。
(煉ちゃんがあの時言ってた、亡くした大事な奴って……竜杏の事だったんだ……)
その事実を今になって知り、タエは胸が苦しくなった。煉は全てを見ていたのだ。だからこそ、光の矢の完成形を知っていた。その情報が、どれだけ役に立ったか。タエと煉が大怪我を負ったが、回復する時間を稼げたのは、彼のおかげだ。煉を抱きしめたい気持ちになるが、今は驚くだけなので、ぐっとこらえる。
「タエ、どうしたの?」
竜杏が心配そうにタエの顔を覗き込んだ。タエの目には、いつの間にか涙が溜まっていた。
「何でもない。風で目に砂が入っちゃった」
涙を拭い、笑って誤魔化した。
夜。縁側にて。
「今夜は高様に報告して、私達が竜杏に代行者の事を教えてもいいか、確認を取ってくる。大丈夫だろうけど、一応ね。本格的に授業をするのはそれからね」
「了解!」
タエが敬礼してハナが仕事に行くのを見送る。隣には、竜杏ももちろん一緒だ。煉は竜杏の部屋で寝ている。
「ハナ殿、よろしく頼む」
「はーい。行ってきます」
いつものように、ハナは明るい月夜の中、空へと消えていった。
「えっと……」
なんだか緊張してきた。ドキドキしてきた。
(毎晩変わらないのに、竜杏の距離……心臓がっ)
肩が触れている。擦れる着物の音が大きく聞こえる。彼氏彼女になってから、竜杏はタエとの距離が近くなった。触れられる距離。タエはいつもドキドキしっぱなしだ。
「竜杏はお仕事?」
「ん? もう終わったけど」
「そうなん!? じゃあ……」
(何しよう?)
タエは考える。
「とりあえず、座ろうか」
「うん。あ、ちょっと待って」
竜杏の言葉に頷くが、タエは部屋へ入り、少しすると何かを手に戻ってきた。
「はいっ」
「!」
ぱさり。座った竜杏の左隣に座ると、持ってきた竜杏の着物を二人の膝にかけた。布団代わりに使わせてもらっている着物だ。
「ちょっと夜、寒くなってきたので」
着物でこんな使い方をするなんて。竜杏は少し驚いていたが、体をぐらりと傾けると、頭をタエの膝に乗せた。
「りっ!?」
いきなりな事に、タエは声を上げた。下から見上げる竜杏の顔は、月に照らされて優しく笑っていた。
(ものすごく、かっこいい)
この顔も写真に撮っておきたいと思ってしまう。髪を切った姿は、屋敷に戻ってすぐに撮影した。他にも暇になれば、いろいろ撮っている。
「こういうのも、いいもんだね」
夜の風が、竜杏の髪を揺らした。タエは彼の頭をそっとなでる。
「膝枕、初めてだからちょっと恥ずかしい」
「大人になって、頭をなでられるのも初めてだよ。悪くない」
タエは、竜杏の体に持って来た着物を掛け直してあげた。彼氏彼女としての、甘いひと時。これからは代行者の授業になるので、この時間は貴重だ。
「私、竜杏にちゃんと教えられるかなぁ」
「頼んだよ。師匠」
「がんばります」
ふっと笑うと、タエの頬に触れる。それだけでタエの心臓はどくんと跳ね上がり、顔が赤くなった。
「温かい」
触れているタエの部分。頬、膝、太もも、お腹。タエの温もりが、竜杏の心を穏やかにしていた。ここまで棘のない精神状態でいられるなど、今までの自分にはなかったことだ。誰かを好きになるという事が、これほどまでの変化をもたらすとは、竜杏自身、驚いている。
「ずっとこのままでいたくなる」
「ふっ。私も」
タエに頭を撫で続けられている。髪に触れられる指の感覚が、この上なく気持ちいい。竜杏は、タエを押し倒してしまいたくなる衝動に駆られていた。全てを自分のものにしたい。男なら、当然の感情のはず。
(でも、タエを傷付けるわけには……)
タエは未来に帰る。過去の自分が、タエの体に傷を付けていいはずがない。彼女のこれからを考えれば、一生添い遂げられる男に抱かれるのが一番だろう。
ずきり。
少し、胸が痛んだ。
しかし、ずっと考えていた事が一つあった。可能性は限りなくゼロだ。それでも、話を聞くだけ聞いてもいいかもしれない。
「竜杏?」
「ん?」
「ずっと黙ってるけど、やっぱり不安?」
タエが心配そうに覗き込む。竜杏は首を横に振ると、タエに触れていた手を伸ばし、後頭部に触れると、タエの上半身を前にかがませる。
「大丈夫。やってみせるよ。タエと、ハナ殿がいるからね」
「うん」
近付いた二人の距離。そしてすぐに触れ合った二つの影。少し肌寒い風が吹き抜けるも、二人が纏う空気は温かった。
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