132 穏やかな時間
ブックマーク、評価、感想、ありがとうございます。
励みになります!
昼過ぎ、都から兵士が石清水八幡宮に到着した。晴明は自分の式神も数体呼んでいて、檻を監視させている。
「じゃあ、俺達は一足早く、都に帰るわ。無理せずゆっくり帰って来いよ」
貞光が人の良い笑顔を見せながら、挨拶に来てくれた。彼も道満の監視に着くと言う。
「タエの体はしっかり守るから、焦らず戻りなさい。竜杏、ではまた都でな」
「ああ。見送れず、すまない。気を付けて」
晴明は、御館様を“若”ではなく、“竜杏”と呼んだ。これが通常の呼び方だったのだろう。タエとハナの前だったので、“若”と呼んでいた。
御館様は、まだ一日はじっとしているよう晴明に言われている。術で回復出来たとはいえ、その回復スピードに、体がまだ対応しきれていないという。専門家である晴明の言葉を素直に聞いた。
藤虎、ハナ、タエは彼らを見送ろうと、廊下に出る。すると、タエは貞光に止められた。
「タエちゃんは、竜杏に着いててやってくれな」
「え?」
「あいつ、一人じゃ寂しいみたいだし」
「何言ってんですか。子供じゃあるまいし」
御館様が眉を寄せて、じとりと睨んだ。
「見送りは藤虎とハナ殿で十分だ。積もる話もあるだろう。ここにいればいい。道満の捕縛に協力してくれて、礼を言う」
タエは言う通りにするしかないと察し、二人に頭を下げた。
「お二人とも、御気を付けて帰って下さい」
「ああ」
晴明が、穏やかに微笑んでくれた。貞光は、タエの頭に手をぽんと置いた。
「また遊びに行くから、元気でな。タエちゃん、あいつの為に泣いてくれて、ありがとう」
彼の温かい眼差しに、また泣きそうになったが、タエは笑って答えた。
「御館様、体は大丈夫ですか? 痛い所はないですか?」
部屋に二人きり。今まで何度もあったはずなのに、ものすごく緊張する。タエはそんな気持ちを隠すように、明るく振る舞った。御館様の側に座る。護符は包帯で固定しているので、まだ効果を発揮していた。
「大丈夫。貴船の神の力はすごいな」
「そりゃそうです! トップクラスの力を誇る神様ですからっ」
タエは、えっへんと胸を張った。
「とっぷくらす?」
聞いた事のない言葉に、疑問符が飛ぶ。タエはしまったと眉を寄せた。
「一番上って事です。力の強い神様は何人もいますけど、その中でも頂点にいる神様の中に入る方なんですよ」
「そうか」
御館様の表情が穏やかだ。タエはここまで柔らかい雰囲気の彼を見た事がなかったので、ドキドキしていた。しかし、心臓をぎゅっと掴まれるほどの痛みもある。タエは口を開いた。
「あの……」
「ん?」
タエが俯いたので、どうしたのかと訝った。タエは膝の上に置いた両手をぎゅっと握っている。
「すいませんでした……」
突然の謝罪に、御館様は片眉を上げた。
「謝られる事、あった?」
「御館様の事、しっかり守るって言っときながら……大怪我をさせて、すいませんでした。恥ずかしいです。それに、親戚をこ……討たせてしまいました……」
御館様にタエの表情は見えない。俯いているから頭頂部しか映っていないのだ。
「そんな事か。今回は仕方なかっただろ。椎加との一騎打ちだったから。男同士の真剣勝負を邪魔されたら、タエでも怒るよ」
「でも――」
「あの大蛇から守ってくれたし、それで十分だよ。それに――俺の事を、信じてくれてただろ」
「え……」
「『私の大切な人は、あんな奴に絶対負けない』、だったっけ?」
「……っ!!」
一気にタエの顔が真っ赤に染まった。全身の毛穴が開く。髪の毛も逆立ちそうだ。
「き、き、聞いてたんですかっっ!?」
「聞こえた。道満と離れた距離で話してれば、大声になるでしょ」
「うそおぉぉぉ~~~~!!」
両手で口を覆う。真っ赤な顔は隠れていない。今日は、タエが真っ赤になる姿をよく見る。
「あいつを討った事も、後悔はしてない。覚悟はしてたから。確かに心は痛むけど、あいつがした事を、俺は絶対に許さなかったし」
「長年のいじめは、やっぱり許せないですよね」
御館様の目が一瞬丸くなる。すると、はぁ、と息を吐き出し、手を伸ばした。タエの頭をなでる。
「違う。タエを襲った事」
「え……」
優しい手つきで頭をなでられる。心地よくて、恥ずかしくて、頬が熱を持ち出した。
「俺が受けた仕打ちなんて、タエが受けた事に比べればどうでもいい事だよ。……あんたが椎加に押し倒されてる姿を見た時、理性が吹っ飛びそうだった」
辛そうに眉が寄せられる。思い出したのだろう。
「何もなかったから良かったけど、刀を本気で抜きそうになった。抜いたら確実にあいつを斬ってた……。あんたの前だからって、なんとか抑えたんだ」
タエの目の前で人を斬る姿を見せたくなくて、必死に刀に向かう手を拳に変えて、椎加の頬を殴ったのだ。その事実を初めて知り、タエは心臓がどくどくと痛い程脈打つ。
(ダメだ……。気持ちが溢れそう……)
タエは波のように押し寄せる、御館様への想いを必死に押しとどめていた。
「ありがとう、ございます。私の事を考えてくれてたなんて……嬉しいです。その気持ちで、十分……私は幸せです」
「ダメだ」
「え?」
タエは何を言われたのか、よく分からなかった。御館様を見れば、どこか焦っているような、切羽詰まっているような表情をしていた。
「……あんたは、元の時代に帰るから……、絶対に言っちゃいけないと思ってた」
その先を聞きたいが、聞いてはいけないような気がして、タエは声を上げる。
「お、御館さ――っ!」
頭を撫でていた手が、タエの頬にきた。タエは言葉を失い、体が固まる。
「……本当は、聞いた。あんたの独り言……」
「……へ!?」
今度は冷や汗が出る。タエの体は熱くなったり寒くなったり、とても忙しい。
「どど、どこから……?」
御館様の耳が、少し赤くなった。
「……『御館様、好きです』から」
(最初かーーーーい!!)
「ああああああ、あのっっ!! 忘れてくださいっ! すいません!! バカな事言いました!! きっと御館様の空耳で――」
タエが慌てて後ずさりをしだしたので、御館様は素早くタエの腕を掴んだ。
「逃げないで。干渉も解かないで」
腕を掴まれる事とそのセリフ。前にもあったなと、タエの頭の片隅にある冷静な部分が思ったりもしたが、それどころではない。掴まれた右腕が熱い。タエは左手で顔を隠し、俯いた。
「本当に、忘れてください。わ、私は、いつも通りにしますから。嫌だったら、ハナさんだけ側に置いて、私は離れた所にいますから――」
「それは困る」
タエは視界の端で、彼が掛け布団代わりの着物をどけ、ベッド畳から動いた事を捕えた。タエはダメだと思考が戻り、注意しようと顔を上げる。
「動いちゃ――」
「俺も、タエが好きだから」
読んでいただき、ありがとうございます!