130 告白
御館様の体は、都まで耐えられるものではなかった。
石清水八幡宮に到着し、貞光と晴明に追いついたが、そこで御館様は気を失った。ゆっくり馬で進んでいたとしても、失った血液の量が多過ぎたのだ。宮司は先の事件で八幡宮を救ってくれた恩を返したいと、御館様が回復するまで、そこに逗留させてもらえることとなった。もう日は傾き、暗くなってきていたので、助かったのもある。
御館様は一室に寝かされていた。その隣に、車輪の妖怪も眠っている。側にはタエとハナが控えている。貞光、晴明、藤虎は食事をしている所だ。タエは今魂だけの身なので、食事はいらない。宮司と巫女が足りなくなった薬や包帯を持ってきてくれ、藤虎と一緒に手当をした。傷口を神水で洗ったおかげだろうか。化膿しなかった事が救いだ。熱もなく、今は眠っている。
「この時代はまだ、輸血とか、ないもんね。どうすれば血が増えるかな?」
タエは冷静でいようとしているが、心配でしょうがない様子。手が震えている。
「御館様の回復力を信じるしか……」
「今夜の仕事は私やし、高様に私の血をどうにかして御館様に入れられないか、聞いてみる」
「えぇ!?」
「血液型が違っても、高様なら、なんとかなるかも!」
それにはハナも驚いた。タエは既に立ち上がっている。
「ちょっと待って!!」
タエの動向を心配したハナは、今夜は自分が仕事に行くと言い、八幡宮を発った。貞光達も御館様の様子を見に来てくれ、目が覚める様子もないので、今日は早く寝ようと、それぞれ借りた部屋へと戻っていく。
「タエ様、私も休んでよろしいのですか? あなたもお疲れでしょう。私が代わります」
「この状態なら、夜通し起きてても平気なんです。じっとしてるから、体力も疲れも回復出来てるし。藤虎さんもゆっくりして下さい。御館様は、ちゃんと見てます。目が覚めたら、声をかけますから」
そう言われると反論できない。藤虎はありがとうと言い、部屋へと戻った。それを見届け、タエは御館様の手を握る。冷たい。
「どうか、御館様が元の元気な姿に戻りますように……」
祈るように呟いた。
「お姉ちゃん!」
二時間ほど経った頃、ハナが戻って来た。口に紙をくわえている。それをタエが受け取った。
「高様に相談したの。その護符を、御館様の心臓の所に置いて。心臓を中心に、体の機能を活発にして、自然治癒力を高めてくれる。血液量を増やす術も組み込んでもらったから、これで大丈夫やよ!」
タエは嬉しくて泣きそうになった。高龗神がここまでしてくれるなんて。神の加護があれば百人力だ。タエはすぐに言われた通りに、御館様の着物を緩め、心臓の上に護符を置いた。ずれないように着物を元に戻し、体が冷えないよう、布団代わりの着物をかける。たちまち、冷たかった御館様の手が、温かくなった。
「ハナさん、御館様の手が、温かくなってる……」
「効いてる証拠やね。よかった」
「ありがとね……。高様にも、お礼、言わなくちゃ」
タエの目には涙が溜まっていた。ハナはそれを見て、ホッとする。ようやく姉の精神も安定したようだ。
「じゃあ、私は行くね。また朝戻るよ」
「うん。行ってらっしゃい。ありがとう」
ハナを再び見送った。まだ意識は戻らないが、希望の光が見えた。タエは御館様の手を握り、見守り続ける。
空が白んできた。襖の向こうが徐々に明るくなって来たのだ。ずっと手を握り、御館様の顔を見つめ続けて来た。体に温かさが戻り、苦しそうに表情を歪める事もなくなった。穏やかな息遣いが、タエを安心させていた。
(御館様……。目、覚ますやんね……)
状態は良くなっても、意識が戻らなくては意味がない。このまま植物状態は絶対に避けたい所。タエは今、それだけを願っていた。
(お願い、目を覚まして……)
御館様の顔にそっと触れ、前髪を横に分ける。カッコイイ顔が傷だらけだ。額に手をやる。熱も上がっていない。そこで気が付いた。
「顔に触れるの、初めてだ」
とくとく、と鼓動が早くなる。早く声を聞きたい。どんどん外は明るくなって来たので、少し障子を開けようと立ちあがった。朝の風が体に障るかもしれないが、部屋が暗い。御館様の顔色を見たかったのもある。寒ければ、すぐに閉めればいいのだ。
この時代の暦では、秋から冬に変わろうとしていた。だが、九月の下旬は過ごしやすい良い気候。山を見れば、少しずつ紅葉が始まっていた。
朝日が部屋に差し込んだ。夜から朝に変わる。太陽の赤い光が空に映り、美しい。外の風は暑くもなく寒くもなく。少し開けていても大丈夫そうだ。室内の空気の入れ替えも兼ねて、障子を少し大き目に開けた。
光が御館様の所まで伸びる。タエは彼の側に座り、顔色を見た。
「血色、良くなってる」
大量の血液を失い、青白い顔をしていた彼は、大分いつもの血色を取り戻していた。これも、高龗神の護符のおかげ。タエは本当に感謝していた。手を握ると、温かい。右手で、御館様の頬に触れた。温もりを感じる。
「よかった……」
ホッと声が漏れた。額や反対の頬にも触れて、彼がちゃんと生きている事を確認する。目が覚めていないからこそできる事だ。顔の傷も、だいぶ治ってきていた。
(今なら、言っても大丈夫かな)
「御館様、好きです」
起きていない事を良い事に、タエは本心を語った。
「御館様は、こんな私の事なんて、何とも思ってないだろうけど。私は、御館様と一緒にいると楽しいし、守れる事が、何より嬉しいって思ってるんですよ」
でも、と彼の手を握る手に、力が少し入った。
「傷だらけにしちゃった……。命を危険に晒して、ごめんなさい。私……御館様を好きでいる資格、ないですね」
自嘲気味に笑う。
「御館様の生活に、私の気持ちは迷惑ですよね。だから、これは未来に持って帰ります。本人は聞いてないけど、口に出したら、ちょっと楽になったかな」
タエにとっての精一杯の告白。返事は返ってこないが、少し心は軽くなった。御館様の前髪を横に払う。額も丸出しになり、顔全体がはっきりと見える。
(今の内に良く見て、ちゃんと触れとこ)
こんなに間近で顔を見られ、触れられる事などない。好きな人に触れる事が、こんなに嬉しい事だと思わなかった。タエだけの幸せなひと時。
きっと、これが御館様の顔に触れられる、最初で最後の時だ。
そう思うと心がずきりと軋んだ。
「ずっと触られてると、恥ずかしいんだけど……」
「!?」
タエの手がびくりと離れた。突然聞こえた声に、タエは全身の毛穴が開く。
「お、お、おぉ……おやかた……さま?」
驚きが先にあったせいで、ちゃんと呼べない。呼ばれた御館様は、ゆっくりと目を開けた。タエを見て、困ったような、呆れたような表情で、眉を寄せて笑う。
「俺の声、忘れたの?」
若干掠れているが、間違いなく御館様はタエを見て、話してくれている。タエはずっと握っていた手を離していなかったので、両手でぎゅっと握る。その手は震えていた。
今度は、喜びからだ。
御館様は右手を握られていたと初めて気付いたらしく、手を見て驚き、タエを見て、また驚いた。
「御館様が……起きたぁ……」
タエの目には、涙が溜まり、大粒の涙がぼろぼろ零れていた。その雫が手に落ち、御館様の手にも伝い落ちる。それはとても温かかった。良かった、良かったと泣き崩れるタエの頭を、左手で優しくなでる。腕を持ち上げると、まだ痛みがあるが、我慢できないものではない。
「また、泣かせたな……」
ふるふると首を横に振るタエは、まだ大泣きして嗚咽を漏らしている。よほど心配してくれたのだろうか。自分が目覚めただけで、これほど喜んでもらえるとは思っていなかった御館様。その事実だけで胸が熱くなる。
「タエ」
御館様が優しく呼んでくれた。タエの心臓は痛い程跳ね上がる。ひとしきり泣くと、頭が冷静になってくる。そこでタエは、はっと気付いた。涙と鼻水を拭き、がばりと顔を上げる。その顔は、これ以上にないほど真っ赤だった。
「あぁ、あのっっ……、いつから意識が戻ってました?」
まだ涙が溜まる瞳で見つめられると、心臓がざわつく。御館様はなんとか平静を装った。
「いつって……」
「何か、変な私の独り言――聞いてません、よね?」
「……俺の悪口言ってたの?」
「そっ、そんな事言いませんよっっ! 気にしないで下さい。皆さんを呼んできます!!」
「あ……」
真っ赤な顔をしたタエが、どたどたと部屋を走っていく。御館様は、開け放たれた障子をしばらく見つめ、視線を天井に戻すと、ずっと握られていた右手で顔を覆った。彼もある意味限界だったのだ。顔が熱を持つ。
「いや、気にするだろ……。あんな事、言われたら……」
言葉を発する前に、意識は徐々に取り戻していた。目はまだ開けられないにしても、耳の感覚は戻り、自分が眠っていたと気付いた直後、最初に聞いた音がタエの声だったのだ。
タエの告白は、しっかり本人に届いていた。
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