128 死の間際
タエの思考が一時止まる。
タエとハナも、大蛇を弾き返しながら、御館様を気にしていたのだ。そこに聞こえた予想外の言葉。そして、御館様に起きた事態に目の前が真っ白になる。
「御館様ああぁぁ!!」
彼の全身は椎加の影の刃に斬られ、着物が血で真っ赤に染まっていた。戦う為に動きやすい着物でいたが、武士のように鎧を着ているわけではない。鎧は重く、動きも遅くなるので、御館様はあえて着なかった。影の刃の切れ味ならば、鎧も意味がない。風折烏帽子も吹き飛ばされた。頭頂部で御団子にしていた髪の毛もばっさりと切り取られ、不揃いの髪が肩に垂れている。頭や顔も斬られ、血が流れていた。それでも倒れずに立っているので、気持ちはまだマシだが。
「やっぱり……」
ハナが呟いた。
「お姉ちゃん、今は戦いに集中して! 話は後で聞けばいい!!」
ハナの言葉にはっとする。まだ大蛇は目の前にいるのだ。
「分かった」
「き……さ、ま……」
椎加は左肩から右脇腹まで大きく斬られていた。ごぼりと口から黒い血がしたたる。呪いの力のせいで、血液の色まで変わってしまったらしい。御館様を襲った影の刃は、もう消えていた。
「……心の臓まで、斬ったはずだけど……」
ぜいぜいと肩で息をする御館様も、相当のダメージを受けている。
「だったら……てめぇを道連れにしてやる!!」
椎加が最後の力を振り絞り、刀を振りあげた。
「竜杏!!」
「御館様ぁ!!」
貞光と藤虎が駆け寄るが、間に合わない。御館様自身も、出血が多く立っているのもやっと。かろうじて手にしている刀を、持ちあげる力が出ない。
「っく……」
(ここまでなのか……)
御館様は、椎加の刀を見つめ、思う。死の間際に立つと、目の前で起こる事がスローモーションになるのだろうか。自分に振り下ろされようとしている刃が、ゆっくりに見えていた。
(今までは、いつ死んでもかまわないと思ってた。俺の人生なんて、何も良い事なんてない。こんなものだと……。でも、今は違う)
タエの笑顔が頭に浮かんだ。
ハナに触れたあの毛並みの感触を思い出した。
(二人に会って、人生が変わった……。俺も、人並みに生きて構わないと言ってくれた。いつも側にいてくれる……。まだ、手放したくない。あの笑顔に、触れていたい――)
まだ、死にたくない!
刀を防御の形に持ち上げる。道連れになど、されてたまるか。御館様の瞳には、まだ光が宿っていた。しかし、うまく力が入らず、その手は震え、決死の攻撃を防ぎきれるかは、分からない。
(それでも――)
椎加の黒く穢れた刃が、目の前に迫った。
ぼぅんっ!!
「!!」
御館様の周りに、突然炎が上がる。御館様も何が起こったのか分からず、ただ目の前の光景を見る事しか出来ない。
「あああああああああっっ!!」
その炎は椎加を包み、あっという間に黒焦げにしてしまった。そのまま、椎加は動かなくなった。
炎が収縮し、その中から小さな影が浮かび上がると、姿が現れた。
「お前は――」
御館様が声を上げる。
「これで貸し借りなしだ」
屋敷で寝ているはずの車輪の妖怪だった。まだ包帯を巻いているが、動けるようになったのだろうか。しかし、ふらふらと地面に下りた。それを御館様も、ふらつく体で受け止めようと、膝を着く。しかし、伸ばした手は妖怪の体をすり抜けてしまった。
「竜杏! 無事か!!」
貞光が肩を持ち、支えてくれる。藤虎も駆けつけた。
「この者は、手当てをした妖怪ですね」
「ああ。助けられた」
また気絶をした妖怪。その様子に御館様は表情を緩めた。
「お前も、まだぼろぼろだろうに」
力を使えたのが一度だったのだろう。背負う車輪はばきりと完全に折れていた。
「御館様の為に……」
藤虎も感心している。
「藤虎、変わってくれ。お前も疲労が大きい。後ろは俺と晴明で対処する」
御館様を支える役を代わり、貞光が再び槍を持った。
「鱗固過ぎっっ!」
大蛇はその鱗でタエとハナの攻撃をことごとく弾いていた。神水を使った術まで跳ね返してしまう。
「どうする?」
「方法は一つね」
ハナの言葉に、タエも頷いた。
「やるかぁ! あれ!?」
大蛇の軌道が変わった。まっすぐに御館様の元へと向かう。
「あいつ!!」
タエの目には、うずくまった御館様と側にいて支える藤虎、そして倒れている椎加が見えていた。彼が勝利するも、ケガのせいで動けないのだろう。大蛇は御館様を喰らう気でいる。
「っ! 来る」
藤虎が大蛇の接近に気付いた。空いている右手で刀を構える。タエ達が苦戦している相手に、細い刀一本で防げるとは思わないが、何もしないわけにはいかない。冷や汗が流れる。御館様も目の前を見ている事しか出来ない。体が全く動かないのだ。
ざざざっ!!
タエ達は御館様と藤虎、そして倒れている椎加の前に躍り出た。タエがハナから降り、ぐっと身をかがめる。
大蛇は大口を開けて迫ってくる。そこにタエは、迷う事なく突っ込んでいった。
「!?」
御館様と藤虎は目を見開いて、驚愕の表情になる。
ばくんと大蛇が口を閉じる。そして地面を割りながら前進してくるので、ハナが術を発動した。
「龍登滝!」
水龍が大蛇を受け止め足止めし、水の勢いのままに、空高く押し上げる。大蛇が全身をくねらせると、その風が激しく巻き上がった。
「タエぇぇ!」
御館様が声を上げた。まさか喰われるとは。目の前の光景に愕然とする。藤虎も目を見開き、何も言えなくなっていた。
「タエ!」
「御館様! 動いてはなりませぬ!!」
なんとか立ち上がろうと腕を着くが、血が足りない。足に力が入らずぐらつく。それでも。
(動け、動け!!)
「この妖怪を……、この者を頼む……」
「御館様っ!!」
妖怪に蹴躓かないように、もがく彼を必死に押さえる。大けがのはずなのに、力が強い。藤虎も刀を離し、両腕で押さえるので精一杯だ。
びくんっ!
「御館様、心配はいらない」
彼の側まで来たハナが告げた。御館様が、ハナを見る。ハナが上を見たので、同じく見上げると、大蛇の動きがおかしい。
突然、大蛇の横っ腹が吹き飛んだ。腹に開いた穴から、大きな刃が突き出ている。断末魔の声が響く。そして、頭から尻尾まで、全身があっという間に細切れにされた。
地面に崩れ落ちる大蛇の亡骸。その中から飛び出した影があった。
「っく……。これほどまでとは」
道満が苦々しく顔を歪める。
「御館様!」
大蛇の腹から見えたのは、大きくなった晶華の刃だった。無事に着地したタエが、愛刀を元の大きさに戻し、一直線に御館様に駆け寄る。彼の傷だらけの顔や体、切られた髪の毛を見て、タエは泣きそうになった。御館様は痛む右腕を持ち上げ、タエの頬に触れようとした。が、すり抜ける。
「俺は……触れられないのか……」
辛そうな表情。彼のそんな顔など初めて見たので、タエは胸が締め付けられる感覚だった。しかし、まだ戦いは終わっていない。
「もう少し、待っていてください。全部、終わらせます」
タエとハナはすぐに晴明と貞光の所へ駆け付け、瞬く間に妖怪を蹴散らした。まだざわざわと妖怪の気配がしていたので、ハナが威嚇し、タエは声を張り上げる。
「見ただろう! 我らに牙を向くなら塵に還す! 斬られたい奴だけ挑んで来い!!」
さあっと妖気が引いて行く。タエはホッと息をつくと、ハナと目を合わせ、頷き合う。
戦いは、終わったのだ。
「タエちゃん、ハナ殿。ありがとうな」
貞光が礼を言った。タエは首を振る。
「助かったのはこっちです。お二人が来てくれて、本当によかった。ありがとうございました」
晴明も、タエ達の所へ来た。着物の乱れを直して、いつものクールな晴明に戻っている。ふぅ、と呼吸を整え、次の指示を出す。
「さて、道満を都に連れて行く準備をしよう。貞光、護衛を頼めるか?」
「了解した」
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