123 墓穴
「ほう。あの色男が失敗とは。タエ殿、おぬしもなかなかやるな」
「いや、こっちは必死ですから」
晴明の屋敷にて。御館様とタエの二人が、彼の前に座っている。ハナと藤虎は留守番だ。まだ日も高いので、二人で大丈夫だろうという事になった。
先日の、渡辺家での出来事を晴明に話した。思い出すのも嫌だったが、話さなければ聞けない事もある。御館様は気遣いながら話してくれたので、しっかりと気持ちを落ち着けて話の補足も出来た。そんな二人を見て、晴明は楽しそうに聞き入っていた。
「強力な後ろ盾、ねぇ」
「間違っても、あんたじゃないでしょ」
御館様は確認する言葉であっても、目が真剣だった。疑っているわけではないが、不安な色を宿している。
(御館様、心配なんだ。晴明さんが関わってないか)
「残念ながら、私じゃない。安心したか?」
「……別に」
にやりと笑う晴明。不安な気持ちを悟られた御館様は、恥ずかしさを隠すように眉を寄せた。しかし、ほっとしてるようだ。タエはふっと笑ってしまった。
「何笑ってんの」
「よかったですね。晴明さんじゃなくて」
「当たり前でしょ。問題は晴明じゃない方の陰陽師」
「あ、そうでした」
晴明はおかしそうに、扇子で口を覆いながら笑っている。
「お前達、ますます息が合っておるな。男女の仲になったのか?」
「は!?」
タエと御館様が同じ反応をしたので、晴明はついに声を出して笑いだした。
「こんな晴明、初めて見る……」
御館様は驚いて、開いた口が塞がらない。
「良いものを見られた。では本題に戻ろうか。そうだな。あの色男の後ろ盾とは、蘆屋道満で間違いないだろう。今日襲って来たという怨念も、奴が放ったものだろうな」
「で? 対策は?」
「簡単ではないか。若の女神が、怨念すらも斬り捨ててくれよう」
「女神って……」
御館様はどう答えればいいのか分からず、渋い顔だ。
晴明の鋭い視線がタエを射抜く。女神などと茶化して言われたが、途端に緊張が走り、背筋もピンと伸びた。
「御館様は守りますけど、あの人が二度と狙って来ないようには出来ないんでしょうか」
タエの問いに、晴明は短く答えた。
「“人を呪わば穴二つ”という言葉を知っているかな?」
「え?」
「!」
御館様は初めて聞いたようだったが、タエの反応は違っていた。
「そなたの時代にも、この言葉があるのだな」
「はい。誰かを呪うなら、その相手と自分用の墓穴を掘っておけって事ですよね」
「ああ。その通りだ」
「墓穴? なんで」
御館様が首を捻るので、晴明が説明してくれる。
「人を呪うという事は、自分の命を賭ける事なのだ。自分の寿命を削ってまで呪い殺したい相手に向ける念は、命そのもの。成功ならばそれで良いが、呪った本人は、死後は地獄へ行く。もし失敗したとすれば、その呪いは自分に返って来る。自分の呪いの力によって、自らが死ぬのだ。その時も、極楽へは行けんだろうな」
「自分用は、失敗した時の為の墓穴って事か……」
「そう言う事」
晴明が厳しい視線で頷いた。
「道満が椎加の恨みを若に向けたのなら、それはもう呪いだ。結界に阻まれ失敗したのだから、道満か椎加の元へ返っておるだろう」
「じゃあ、死んで――」
御館様は最悪の事態を想像していたが、晴明は首を横に振る。
「いや、それくらいで道満が死ぬとは思えん。椎加もまだ利用できると踏んでいるのなら、今日返った呪いは、椎加にも届かず破壊してるだろう。壊した結界は一枚だろう? そこまで強いものではないはずだ」
タエは晴明の言い方に、少し引っかかりを覚えた。
「あの人を、利用ですか? 蘆屋道満て人は、晴明さんの敵なんですよね? 何をしたいんですか?」
「奴はこの京を滅ぼそうとしておる」
「京を!?」
物騒な答えに、タエと御館様が息を飲んだ。
「妖怪と手を組み、帝を亡きものにしようとしている」
「帝を!?」
御館様が声を上げた。
「奴とは、何度か呪術対決をした事がある。敗北から恨みが募り、私に対しても殺意を抱いておるのだ。悪事が露呈し流刑にされたが、密かに戻って来ている事は、幸成の事件の時に言ったな」
「ああ。晴明、ここにいていいの? 帝のお側で護衛しないと」
「護衛は十二神将に任せてある。何かあればすぐに駆けつけるのでな。私は、道満の潜伏場所と同行を探る仕事がある」
安倍晴明の式神で有名な十二神将。彼らが帝を守っているらしい。タエは、本当にあの安倍晴明なのだと改めて実感していた。
「すごい……」
「今回は、若達のおかげで、奴の居場所を突き止められるかもしれん。呪いを返し続けて、椎加の寿命が尽きるのが先か、直接斬り合うか。向こうの出方次第だが、生きる為にしっかり戦いなさい」
「避ける事は、できないのか……」
御館様が呟いた。椎加の命を取る事までは避けたかったのだ。
「向こうが先に仕掛けてきたのだ。もう止める事は出来ない。情けをかけようものなら、一瞬で若の魂は奪われる事になる。心を決めよ。迷えば、呪いがその隙をついてくるぞ」
晴明の言う事は正しかった。タエにも良く分かる。迷いが命取りになる事を。タエは御館様を見た。彼は、晴明に言われた事を自分の中で消化し、納得したようだった。
「分かった。話ができて良かった。感謝する」
「礼には及ばん」
こうして二人は、晴明の屋敷を出る。まだ太陽は照り付け、日没まで時間がある。日が暮れる前に屋敷に戻れそうだ。
タエは御館様の前で、馬に揺られていた。二人ともしゃべらない。今度は人間を相手に、命のやりとりをする。しかも、付き合いは最悪だが彼にとっては血縁者だ。タエもどう言葉をかければいいのか分からず、口を閉ざしていた。
「タエは、人を斬った事はないんだったっけ?」
御館様が静かに聞いて来た。タエは首を縦に振る。
「はい。私は妖怪を相手にするので。生きてる人の命に干渉する事は、許されてないんです。でも……、鬼になった人は別です。それなら、斬った事はあります」
「そうか」
「御館様は、あるんですか?」
タエがおずおずと質問する。御館様は、さして表情を変えずに淡々と話をした。
「ある。俺も命令があれば戦に出るから。何人も、人の命を奪ってる」
この時代はまだ戦があるのだ。今までの彼の生活を見てきて、戦とは縁のない人だと思っていたタエは、少なからず驚いた。
「そうですか」
「……俺が怖い?」
御館様は静かに問うた。タエは彼を見、また首を振る。
「この時代では、戦があるんですもんね。それは仕方がない事だって、分かります。前に、共闘した時の御館様の戦いぶりを見て、慣れてると思いました。だからって、怖いとは思いません。斬らないと、生きられない時代なんですよね」
「ああ」
タエは御館様に笑いかけた。
「御館様は優しい人だって、知ってますからね」
「え……」
タエは御館様を元気付けるように笑っていた。
「今回の事も、私とハナさんがちゃんと守るんで! ケンカを売って来たのはあっちなんですから、呪いなんて、全部返してやりますよ! それであっちがどうなろうと、自業自得です。御館様に責任なんてないですからね」
タエは椎加を相手にする覚悟がある。御館様を守れるのが自分達だけなら、ちゃんと役目を全うしようとしている。この戦いの結果、椎加が命を落とそうと、御館様は悪くないのだと、心まで守ろうとしてくれている。残酷な現実も、タエはしっかりと受け入れていた。
(どこまで強いんだ。この子は……)
「あいつの為に死んでやる義理はないし。俺もしっかり戦うよ。当然でしょ。あんた達だけにこんな面倒な事、押しつけたりしないよ」
タエは少し安心した。晴明と話しても、拭いきれない迷いはある。屋敷にいる時よりも、今の方が、顔つきがしっかりした。タエは、御館様が自分達と一緒に戦ってくれるという事が、嬉しかった。
「はぁ~。いろいろ体力を消耗して、眠くなって来ました。ふぁ~」
ホッとしたのと、馬に揺られているので、眠気に襲われるタエ。
「落ちないでよ」
こっくりこっくりと、船をこぎだしたタエに、御館様は肩をすくめた。
(確かに、結界も強力なものにしてくれたし、鍛錬もして、休みなしで晴明の所に行ったからな)
「屋敷に着くまで時間があるし、ちょっと寝てれば」
「はい……。すいませ……」
ぽて、と御館様の体に体重をかける。彼の心地よい香りと体温に安心して、タエはあっという間に眠りに落ちてしまった。御館様は、タエの体温をしっかり感じ取る。少し緊張したが、タエが落ちないように左腕でタエの体を支えた。馬は右手だけでも操れるので問題ない。
タエは熟睡していた。相当疲れていたようだ。御館様はふっと笑った。
(タエがいれば、戦う決心も簡単に出来るんだな……)
椎加は嫌いだが、命を奪い合う事になるとは思わなかった。避けられない戦いだと実感したが、迷いがあった。しかし、タエが、自分がなんとかすると言ったのだ。
(今回は、タエに守られるだけじゃ、ダメだ)
タエを支える腕に力が入る。タエを自分に引き寄せ、しっかりと抱きしめた。
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