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月夜の代行者  作者: うた
第三章
122/330

121 危機

「誰を呼んでんだ。式神でも呼ぼうってか?」

 はははっ、と高らかに笑う椎加に、タエはうつ伏せのまま抵抗する。

「私を怒らせると怖いって、言ってたでしょ!」

「呪いくらいで怖がるかよ。くく。俺には強力な後ろ盾があるんだ。てめぇの呪いなんか、簡単に弾き返してやるよ」

 全く恐れていない。この時代の人間は、占いや幽霊妖怪の類に敏感のはず。目の前の彼はその後ろ盾のおかげで、恐れる心配がないということか。這いつくばっているタエを、無理やり力まかせに仰向けにする。タエは両腕で顔面をガード、両足を曲げて椎加が近付くのを阻止している。


 怖い。


 タエは心の底から思っていた。ここまで怖いと思うのは初めてだ。妖怪を相手にしていたので、ちょっとやそっとの事では恐れないと思っていたが、人間相手にここまで恐怖を感じるとは思わなかった。

「っぐ……」

 両手首を掴まれ、無理やり広げられる。成人男性の力は強い。それでもタエは抵抗をやめなかった。足で椎加の腹を押す。と、椎加の足がタエの足を押さえ付けた。手慣れている。

「誰も来ねえよ」

「!?」

 椎加の鋭い視線が、タエを貫いた。その目を見て、タエはゾッと悪寒が走る。


(この目つき……どこかで……)


 どこかで見たような感じがしたのだ。しかし、タエは今まで多くの妖怪を見てきたので、そういう奴らと似た邪悪な目つきなのだと思い直し、体に力を入れる。


「だれでもいい……たすけ……」

「妖怪にでも助けを請うか? やれるもんならやってみろ!」

 椎加の顔が近付いて来る。タエは顔を背ける事しかできない。

「誰か……誰かああ!!」


「タエ!」

 タエが聞きたかった声が聞こえた。タエが開けられた入口を見ると、御館様、ハナ、藤虎が息を切らしていた。その後ろにも、人影が見える。

「お、御館様……」

「てめ――、なんでここが」

 椎加は動揺した。すると、御館様は見た事がないくらい冷たい表情で、椎加を掴み上げると、迷わず右ストレートを炸裂させた。彼は勢い余って壁に激突する。

「てめぇっ!」

「お前、何をしたのか分かってるのか」

 御館様の声が低く響く。椎加を睨むその顔は、激怒の言葉では言い表せないほどの、激しい怒りの感情だった。タエも初めて見る表情だ。

 御館様はまだ殴り足りないとばかりに、椎加の胸倉を掴み、もう一発お見舞いした。口の端から血が垂れる。

「ちっ、覚えてろよ」

 椎加はそれだけ言うと部屋を出た。

「お父上にも、報告させていただきます」

 藤虎の冷たい言葉が椎加に追い打ちをかける。彼は無視して、廊下をどたどた踏み鳴らしながら行ってしまった。


「タエ、大丈夫!?」

 御館様がゆっくり体を起こしたタエの側に来てくれた。背中に手を添え、起きるのを手伝ってくれる。ハナと藤虎、もう一人の人物も入って来た。御館様の父親と話した時、側に控えていた人だ。

「すいません……」

「何であいつと一緒にいたんだ」

 タエは恥ずかしかった。危ないと分かっていても、着いて行った事が。そして本当に危ない目に遭ったのに、対処出来なかった自分が。

 それでも、御館様達に本当の事を言わなければ。変に隠しては誤解を生んでしまう。そう思ったタエは、ぽつりぽつりと話した。

「竜杏を知ってるから、会わせてくれると言われたんです。……危険な予感はしてました。でも、私ならなんとか出来ると思って。言われた事が本当か確認するだけだって、着いて行ったらこの様で……。すいません……」

 御館様の目が見開かれた。タエは任務を遂行しようとしたのだ。それに付け込まれたのだと理解する。タエは俯いて表情が見えない。妖怪相手では無敵だと思っていたタエが、いとこの暴挙に対応できず、心が傷付いてしまった。椎加の悪意がタエではなく、自分に向けられている事は承知している。今回の事も、タエに手を出したかった事もあったろうが、自分へ向けての悪事なのだ。


(タエを狙うなんて許せない)


 体が怒りで熱い。こんな事は初めてだ。御館様がタエを見れば、爪の間から血が滲む手が震えている。そっと握れば、着物がめくれ、タエの腕が見えた。赤くなり、所々青あざが出来ている。すかさず両腕を確認する。そこには、はっきりと椎加の手形があざとなり残っていたのだ。押し倒すのに、椎加の力の入れようが良く分かる。

(男が本気で力を入れるほど、タエは抵抗したのか……)

 タエの強さはよく分かっている。手に晶華を持っていなくても、しっかり自分を守っていた事が救いだった。

「何もされてない?」

 着物も髪の毛も乱れているが、はだけているわけではない。御館様が気遣うように尋ねると、タエは首を縦に振った。

「大丈夫です。ずっと抵抗してたんで」

 表情が固い。それでも、ケガはしたがタエの体が傷付かなかった事、心が崩壊する事がなかった事に安堵し、御館様はタエを抱きしめた。考えるよりも、体が勝手に動いた。

「おやか――」

「ごめん。謝るのは俺の方だ……。怖い思いをさせて、ごめん」

 タエは抱きしめられた驚きで体が強張ったが、御館様の言葉に力が抜け、ホッとした事で、涙腺も緩んだ。

「こわかった……っうぅ」

「うん。ごめん」

 タエの頭を優しくなで、御館様はずっと抱きしめてくれる。


「若、この事を御館様に報告してきます」

「頼む」

 短く返事をすると、御館様の父親付きの護衛が部屋を出た。藤虎がそれを見送る。

「今回は、報告なさるんですね。椎加殿に受けていた嫌がらせは、ずっと黙認されていたのに」

 ずっと彼はいじめられていたのだ。この屋敷に来る度に、何か嫌がらせを受けていた。しかし、そのお返しとばかりに、妖怪を呼ぶ才能をフル活用していたのが事実だが。

「タエを傷付けたんだ。もう黙ってはいられない。今回は完全にあいつに非がある。せいぜい罰を受ければいいさ。父上はタエを認めたんだからな」

 御館様の黒い笑み。タエは冷や冷やした。

「そ、そんな事して、あの人が御館様に攻撃してきたら――」

「あんな奴に俺が負けると思ってんの? タエ、落ち着いた?」

 御館様がいつになく表情豊かだ。優しい眼差しで見られると、心臓がばくばくうるさい。しかも近距離だ。涙を親指で拭かれて、タエの顔が真っ赤になった。

「は、はいっ! す、すいませんっ」

「謝らない」

「すいま……」

 また謝りそうになり、タエが口をつぐんだ。御館様もいつものタエに戻ったようで、ホッとする。体を離した。互いに寂しさを感じる。

「お姉ちゃん、よく抵抗したね」

「ハナさん。ちゃんと声、届いてたんやね。ありがとう」

「まさかお姉ちゃんがって、びっくりしたけどね」




 父親との話が終わり、御館様が部屋を出ようとした所で、タエの声が聞こえたのだと説明してくれた。


――ハナさん、ハナさん!!――


「! この声」

「お姉ちゃん!?」

 御館様の父親は、声が聞こえないので、眉をひそめた。


――ハナさん、御館様……。助けて……助けてぇ!!――


「タエに何かあったのか。ハナ殿、場所は?」

「分かるよ!」

「何があったのだ」

 息子達がいきなり騒ぎだしたので、父親が問うた。

「タエに何かありました。急ぎますので」

 手短に告げると、ハナを先頭に、御館様達が廊下を駆けだす。それを見て、自分の護衛にも着いて行くよう指示をした。

 そうして、間一髪、タエが押し倒され、危ない所に間に合ったというわけだ。

 御館様は、鏡から聞こえるタエの悲鳴の後ろで、高らかに笑う男の声が聞こえた時は、全身の毛が逆立つ感覚に襲われた。聞き覚えのある、嫌いな声。そして、タエがいとこに襲われそうになっている場面を見て、自分の中の張りつめていた糸がぷつりと切れた。




「若、もう一度、御館様の部屋に来るようにとの事です。巫女様も共に」

 父親に報告を終えた護衛が、部屋に戻って来た。

「タエ、行ける?」

「は、はい」

 御館様が立ちあがる。タエは乱れた着物を直し、抵抗してぼさぼさになった髪の毛も直そうとゴムに手をかけるが、はっとした。

(御館様に結んでもらった和紙……)

 外したくない。素直にそう思った。御館様は和紙があるせいで髪の毛を直せないと思ったので、タエの後ろに回り、和紙をそっと外した。

「また結ぶから、直して良いよ」

「はい」

 御神体の鏡を見ながら、素早く手櫛で直す。ゴムで結ぶと、御館様がもう一度和紙を結び直してくれた。彼の指がタエに触れる度、心が落ち着きを取り戻していった。

「ありがとうございます」

「いや。行くよ」

 そう言って、御館様はタエの手を握って歩きだした。タエは一瞬、何が起こったのか分からなかったが、手から伝わる御館様の体温を実感し、顔が熱くなる。

(安心する……。私、やっぱり好きなんだ……御館様が)



 もう一度対面した部屋に戻り、御館様の父親と向かい合った。彼はとても険しい顔をしている。

「タエ、と申したね?」

「は、はい」

 声をかけられ背筋が伸びる。

「先程の椎加の件、話を聞いた。恥知らずの甥ですまない」

 この屋敷の主からの謝罪は、とんでもない事件だとタエは感じた。タエは頭を下げる。

「い、いえ! 怖かったですけど、何もなかったので――」

「何もない訳ないでしょ。両手と腕、血が出てるし、赤く腫れて青あざだらけになってるのに」

「う……」

 無意識に腕をさする。確かに、じんじん痛みはある。我慢できない事はないのだが、御館様は許していない。

「厳正な処分をお願します」

「ああ」

 それを聞き、御館様が暇を告げた。




 帰りも牛車に揺られ、屋敷に戻ってくると、ホッと安心する。やはり御館様の屋敷が、一番居心地が良い。



 夜。今夜の代行者の仕事はタエの番だったが、ハナが疲れているだろうからと代わってくれた。タエはハナを見送り、そのまま縁側に腰かけ、夜空を見ている。月は欠けているが、明るく光っていてキレイだ。

 手首を見る。両手の先は細い包帯が、腕には太い包帯が巻かれていた。うっ血し、腫れていたので、御館様特製の薬を塗ってもらったのだ。包帯にそっと触れ、笑みをこぼす。

「治療してもらってばっかりだな」


「まだ寝てないの」


 声をかけられ、タエは廊下を歩いてくる御館様を見上げた。彼は馬の様子を見に行っていたのだ。早く寝るようにと言われたが、本音を言えば、彼を待っていた。顔が見たかったのだ。

「まだ、眠くなくて」

 御館様はふぅ、と息をつくと、タエの隣に座った。

「今日は、災難だったね。俺のせいで」

「御館様のせいじゃないです。気にしないでください。でも私、今回の事でよく分かりました。私は、まだまだ弱いんだって」

 御館様がタエを見た。

「晶華がないと、何も出来ないんだって」

 考え込むタエを横目に、御館様が口を開いた。

「こんな事を言ったら、怒るかもしれないけど……。俺はタエもやっぱり女人なんだって、再確認したよ。あんたの強い姿しか、見てなかったから」

 手合わせもして、互角に戦う姿を見ていた。しかし、タエの泣き顔は初めて見た。無性に心がざわついた事を覚えている。

「弱い姿を見せちゃって、恥ずかしいです」

「完璧な人間なんていない。弱い部分もあって、当たり前だ」

 彼の言葉に、タエは全てを認めてもらえた気がして、嬉しさが込み上げる。今までは、彼を守る強さだけを見せてきたからだ。気を張っていたのだと、今更ながら自覚する。肩の力が抜けた気がした。

「それでも、私はもっと強くなりたいです」

 両拳をぎゅっと握る。

「晶華がなくても、襲って来た奴をボッコボコにしてやれるくらいに!」

 右ストレートとばかりに右手でエアパンチ。それを見た御館様はふっと笑う。

「戦いの型は体が覚えてるんだから、筋力を上げたら? 力が付けば、威力も上がる。力が技術に追いつくんじゃない?」

「筋トレですか」

 御館様の的確なアドバイス。タエは目から鱗が落ちるようだった。

「ありがとうございます! 私、頑張ってみます!!」

 眩しいタエの笑顔。この表情を奪われずに済んで、心の底から安心した。

「まぁ、がんばってみれば。でも――」

 御館様が勇気を振り絞り、タエの頭に手を置いた。そして、口ごもりながら言葉を紡ぐ。

「ここにいる間は、俺が守るよ」

「え……」

 タエは目を見張った。何を言われた? タエは頭の中で反復する。御館様は照れくさそうに、顔を正面に向けた。

「妖怪はタエとハナ殿に任せるしかないけど、一番怖いのは生きてる人間だと思う。それなら俺でも力になれるし……。あんたを守るよ」

 頭をぽんぽんと撫でられる。タエは全身が熱くなる感覚に襲われた。喜びで沸騰してしまいそうだ。

「ありがとうございます。嬉しいです。御館様」

 御館様が見たタエは、頬を染めて、女性らしく微笑む顔だった。月明かりでもよく分かる。むしろ、月明かりのせいもあって、より女性らしく見えるのかもしれないと思った。

 瞳がキラキラと揺れている。涙ぐんでいるのだろうか。


(タエって、こんなにキレイだったのか……)


 思わず引き寄せてしまいそうになる衝動をぐっと押さえ、頭に触れていた左手をぎゅっと握りしめた。


読んでいただき、ありがとうございます!

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