119 渡辺家
「え? あの家から文?」
タエとハナが平安時代に来てから、そろそろ二か月が過ぎようとしていた。
今までにない、平穏な日々を送っていた御館様の表情が曇った。頷く藤虎。
「はい。一度顔を出すようにとの事です。その……タエ様も連れて来るようにと」
「耳に入ったのか」
「ここに出入りしていた奉公人から聞いたのでしょう。いかがされますか。話しておられないんですよね」
「ああ……」
御館様はしばらく考え、諦めたように肩を落とす。
「無視すれば、余計面倒な事になるか。仕方ない。行くしかないが、手早く済ませてさっさと帰る」
「は」
御館様は、膝の上に乗せた手を、固く握った。
「実家に行く?」
数日後、朝餉の時にいきなり告げられた本日の予定に、タエは目を丸くした。
「父親が、あんたを見てみたいんだって」
“父親”という、よそよそしい言葉で話すので、親子の距離が遠いのだと実感した。御館様から父親の話は聞いた事がない。
「私を、ですか」
「うちに来た奉公人から聞いたんでしょ。この屋敷に女がいるって」
「いろいろ話した方がいいんですか?」
御館様の父親なのだから、正直に経緯を話すべきなのか、タエは迷った。だが、彼は即否定した。
「面倒だから話さなくていいよ。奉公人には、タエは晴明の親戚で、俺を守る為に派遣された巫女って言ってある。俺が話をするから、タエは座ってるだけでいい」
「はあ……」
それで大丈夫なのだろうか。心配は拭えない。
「基本的に、女人に発言は許されておりません。何か問われれば話せますが、御館様が上手にやってくださいます。私も側におりますので」
安心させるように、藤虎も説明してくれた。二人が一緒なら、大丈夫な気がしてきた。
「分かりました」
「巫女の着物って、白の着物と赤の袴じゃ、ありませんでした?」
タエは自分が着ている着物を見て、違和感しかなかった。
「これ、十二単ですよね……。めちゃくちゃ重いんですけど」
着物が十二枚も重なっていれば重いはずだ。
「秋だけど、まだ暑いから五枚だよ。この時代の巫女も十二単を着る。未来じゃ違うの?」
着付けを手伝ってくれたのは御館様と藤虎だ。男性に手伝ってもらう気恥ずかしさもあったが、この屋敷には男性しかいない。十二単は一人では着られないのだ。これは実家に行くと決めてから、御館様が晴明に相談し、準備したものらしい。
「十二単を脱いだ小袖と袴姿です。白と赤で清楚な印象で、一回着てみたいって言う、憧れはありますね」
まさか、平安時代の巫女衣装を着る事になるとは、夢にも思わなかった。
「こんだけ重けりゃ、そりゃ貴族の皆さん、動かんはずだわ」
「タエ様は、薄着ですからねぇ」
Tシャツ、ジーパン。普段人前に出る着物にしても、洋服の上から外側の着物を一枚重ねているだけだ。いつでも戦えるようにしているので、御館様達も納得している。
しかし、今回はそうはいかない。しっかりとした服装で、御館様にも失礼のないよう振る舞わなければいけないのだ。
「おかしく、ないですか?」
自分に似合っているのか、よく分からない。全身を写す鏡もないので、客観的に見られないのだ。
「別に。変じゃない」
御館様が答えた所で、タエはひらめいた。着物をずるずる引きずって、スマホを取りだす。
「写真、撮って下さい!」
「え?」
シャッターを押すだけの状態にして、御館様と距離を取り、全身が入るように調整し、タエが試しにパシャリと撮影する。こんな感じと見せた。
「ここを押したら撮れますから。記念にもなりますし」
戸惑い気味に、タエに言われた通りに画面全体にタエの全身が入るよう調整し、言われたボタンを押す。カシャッとシャッター音が鳴った。
「これでいいの?」
眉を寄せながらスマホを返す。タエが確認すると、目が輝いた。
「バッチリですっ! ありがとうございます」
我ながら、着物の着こなしは良い感じだ。
「でも、髪の毛が短いから、ちょっと違和感がありますね。髪を伸ばす理由が分かった気がします」
髪の毛が長い方が、長い着物にも似合うのだろう。タエが自分の髪の毛を、ちょいとつまんだ。くせ毛でうねる、自分の髪の毛があまり好きではない。平安の絵巻物に描かれている女性の後ろ姿は、みんなキレイなストレート。羨ましい。
「あんたはあんたでしょ。周りを気にする事ないよ」
いつの間に後ろにいたのか、御館様はタエが髪の毛をくくっているゴムの上に和紙を結んだ。代行者モードの時と同じ感じだ。御館様が自分の頭や髪の毛に触れるので、心臓が痛いくらいに跳ね上がる。
「ちゃんと前、向いて」
「は、はい」
(き、緊張する!)
とても優しく触れてくれるので、くすぐったい。御館様の手のぬくもりが伝わって来て、よけいにドキドキした。
「これでよし」
御館様が一歩離れる。タエの強張っていた肩の力が少し抜けた。藤虎とハナも部屋に戻って来た。移動の用意があったのだという。ハナも、二人きりにしてあげようと空気を読み、藤虎に着いていたのだ。
「お、キレイですなぁ!」
「これが巫女の衣装? 現代と違うんやね」
藤虎は正直に感想を言ってくれ、ハナはタエと同じ反応をした。
「迎えが来ています」
「それじゃあ、行くか」
御館様の表情も固くなる。タエも腹をくくり、彼に続く。
「牛車!?」
門まで来て、タエが声を上げた。
「十二単で馬には乗れないでしょ。向こうの家からの迎えだ。遠慮せずに乗って」
御館様に乗り方を教わり、ハナも一緒に乗りこんだ。
「中って、意外と広いんやね」
座ってみれば、狭さは感じない。御簾で隠されたので、外を見る事は出来ないが、苦ではない。それでもこれからの事を考えると、ただ楽しんではいられない。ぎゅっと拳を握る。それを見たハナがタエの側に寄り添った。
「御館様と藤虎殿がいるから、大丈夫よ」
「ハナさんもいるしね」
微笑み合う。自分は一人ではない。その事実が、タエの心を穏やかにさせた。
「久しぶりだな」
「父上もお元気そうで、何よりです」
渡辺家に到着し、御館様達は客室に案内された。周りの奉公人や女房達は、御館様の姿を見て怯えていたが、もうその反応にはタエも慣れっこ。ぎろりと彼らを睨むだけに抑えた。
客室に着くと、御館様が中心に座り、その斜め後ろにタエ、左にはハナ、そして右側に藤虎が座る。父親の足音が聞こえると、頭を下げ、その姿勢を維持。頭を上げる指示が出るまで、決して上げてはいけないと、藤虎に教わった。
父親が着席し、御館様に話しかける。父親の名前は、源宛と聞いた。正式な名は、源の姓らしい。
彼は頭を上げ、社交辞令を真顔で返すが、タエ達はまだ頭を下げたままだ。
「その者が、お前の護衛か」
父親の視線が、彼の後ろへ向けられる。
「はい」
御館様が短く答えた。
「表を上げよ」
タエは隣の藤虎をちらりと見れば、頷いてくれたので、ゆっくりと頭を上げる。タエが見た御館様の父親は、眉間の皺が深く刻まれていて、強い眼光、背筋が伸びて、一族の主たる気配を漂わせていた。逆らってはいけない。本能がそう叫んでいる。
(この人が、小さかった御館様を藤虎さんと一緒に、あの屋敷に住まわせた……。この家から、追い出したのか……)
その事実を思うだけで、胸が痛む。
「名は」
御館様が視線をタエへ投げた。答えていいということか。彼が何も言わないので、タエが口を開く。
「タ、タエと言います……」
声が震えた。事前に、御館様から名前を聞かれたら、苗字は言うなと言われていた。晴明の親戚という事になっているので、花村の苗字は明らかにおかしいからだ。言い付け通りに言えてホッとした気持ちもあるが、緊張と、見据えられる迫力に、怯えてしまう。
「目的は何だ」
「……目的?」
タエは何を言われたのか理解できずにいた。
「父上、恐れながら。タエは晴明の親類です。彼の意向で、護衛の任を引き受けてくれたのです」
「何も要求されていないのか」
御館様は目つきを厳しくした。
「ありません」
きっぱりと言いきる。タエは二人の間にある張りつめた緊張感に、ハラハラしながら、成り行きを見守る事しかできない。
「まぁ良い。こうしている間にも、何事も起こっていない事が、その娘の力を証明している」
確かに。御館様はその場にいるだけで妖怪を呼び、騒ぎを起こしてしまう。それがなく静かなのだから、タエの力を嫌でも認めざるを得ないのだ。父親は、タエを見た。
「タエと申したか。失礼な物言いをしたな。これからも護衛を頼む。こやつは、大事な役目を負っておるのだ」
(大事な、役目……)
以前、御館様から聞いた、源頼光を支える仕事の事だろうとタエは思った。
父として、息子を心配しているのか、タエは彼の気迫が少し穏やかになったような気がしたので、力強く頷いた。
「妖怪達の手から、必ずお守りします」
それを聞いて、満足そうに頷いた。
「ならば、もう行ってよい。客室を用意させてある。そこで待つといい。こやつとはまだ話があるのでな」
タエはホッと息をつき、もう一度頭を下げ、藤虎に連れられながら部屋を出た。御館様の側には、まだハナがいる。念の為だ。
「お疲れ様でした」
「き、緊張した……」
「でしょうね」
足がガクガクしている。タエはどっと疲れていた。
「でもあの人が、御館様と藤虎さんを、あの屋敷に住まわせたんだって思うと、文句の一つも言いたくなります……」
「ふっ」
藤虎は微笑んでいた。タエの気持ちを知り、正直に嬉しかった。用意された部屋に入る。
「私は御館様の部屋の前で控えねばならないので、行きます。休憩しておいてください。話が終わり次第、すぐに帰りますので」
「分かりました」
タエが笑顔で応えると、藤虎も戻って行った。
やることがない。
タエは座って御館様達を待つ。正座をしっぱなしで足がしびれた。両足を投げ出し、マッサージ。楽になったので、一安心だ。
「大丈夫かな。御館様」
呟いた所で、いきなり部屋の襖が開かれた。勢いが強くてびっくりした。
「へーえ。君があいつの護衛?」
見ず知らずの男性が、顔を覗かせた。
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