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月夜の代行者  作者: うた
第三章
117/330

116 仲直り

「ハナさん……」

「何?」

「私、御館様に嫌われる事、したかな……」

 タエは縁側に座ってぼーっと外を眺めていた。帰ってからも、御館様はタエに話しかける事もなく、今も部屋に閉じこもっている。仕事があるから邪魔してほしくないと言って、ぴしゃりと障子を閉められた。

「はぁ……」

 ため息が出る。

「一個、幸せが逃げちゃったな」

「お姉ちゃん……」

 タエがこんなに落ち込む姿を見たのは初めてだった。膝を抱えて三角座りをしている姉を見て、ハナは確認してみた。

「お姉ちゃんは、御館様が好きなの?」

「!?」

 みるみる顔が赤くなる。その反応だけで、答えは分かった。

「御館様には、御館様の考えがあるんやよ。晴明殿の所で、ちょっと嫌な事があったのかも。今はそっとしといたら? 気持ちが落ち着いたら、機嫌も直るよ」

「……うん」

 タエは小さく頷いた。心がずっしりと重い。いつも素っ気ないが、今日は冷たい印象だった。下手に動いて、余計に嫌われるより、ハナの言う通り、じっとしている方が良いのかもしれない。

「私、ちょっと離れとくね。ハナさんはここにいて、御館様の護衛お願いしていい?」

「うん。離れるって?」

 タエはカバンをごそごそして、雑誌を持って来た。宿題はまだ少し残っているが、今は勉強など手に着かない。

「屋根の上にいるね。天気もいいし、雑誌でも読んでるよ」

 無理に笑顔を作って、晶華を発動させ、屋根までジャンプした。生身の体のジャンプ力では、一っ跳びとはいかないので、瓦に手をかけ体を持ち上げる。空は青く、日差しも眩しく照ってはいるが、日傘無しでも十分過ごせる。現代ほどギラついていないのが救いだ。

 タエの心はまだ重かったが、気持ちを切り替えて、屋根に腰かけ雑誌を開いた。



 御館様は、さっきから全然筆が進んでいなかった。仕事の書面を書かなくてはいけないのに、仕事の事を考えられない。

(タエに冷たくしすぎたな……。あんな事、言うつもりなかったのに……)

 さっきからこの事ばかり頭の中を巡っている。帰りの馬上で、うるさいから黙ってろと言い捨てた事、邪魔だから部屋に入って来るなと言ってしまった事だ。傷付けてしまった。今更、後悔している。

「はぁ……」

 何度目のため息だろうか。御館様は筆を置いて、懐に手を入れた。



 気分転換が必要だと、御館様は障子を開けた。廊下にはハナしかいない。タエもいるだろうと、若干の気まずさを感じながら開けたのだが、拍子抜けだ。

「……タエは……」

「屋根の上で読書」

「何でそんな所で……」

 眉を寄せれば、ハナが正直に言った。もちろん、少し言葉にトゲを付けて。

「御館様に嫌われたかもしれないので、離れとくって言ってたよ」

「っ……」

 ずき。心臓がキリキリと傷みだした。罪悪感で胃まで痛い。御館様はハナから少し間を開け、縁側に腰かけた。

「自分でも嫌になるよ……」

 ぽつりと話し出す。ハナはじっと彼を見た。

「タエを傷付けるつもりは、なかったんだ……。傷付けると分かってたのに、あんな言い方しかできなかった……。全部、自分が悪いのに。八つ当たりもいいとこだよな」

「御館様……」

「ひねくれた言い方しか出来なくて、大事な事一つ言えないなんて」

 ハナは、体を起こしてお座りの姿勢を取った。彼へ怒りの感情はなくなっていた。

「御館様。お姉ちゃんの事、嫌い?」

 彼は静かに口を開いた。

「嫌いじゃ、ない……」

「じゃあその性格、直しましょ」

「え……」

 彼が驚いたようにハナを見た。

「少しずつでいいから、素直でいられるように努力してみて」

「努力って……」

「私には、本音で話してくれたじゃない」

「ハナ殿には、わりと素直に話せてると思う。自覚はしてる。犬だからかな」

 御館様はハナに手を伸ばしてみる。やはり触れる事は出来ず、すり抜けた。

「触れたら、ふわふわなんだろうな」

「その顔」

「え?」

「今、自然に笑ってたよ。お姉ちゃんが見たら、喜ぶと思う」

「何それ。意味わかんないよ」

 御館様の表情が固まった。眉間には皺が刻まれたままだ。

「素直になる努力の第一歩。まずは、お姉ちゃんに謝って来る事」

 確かにそうだ。今、一番しなくてはいけない事は、タエに謝罪することだ。天邪鬼だからと逃げてはいけない。




「あーー……。ぜんっぜん、頭に入んない」

 タエは雑誌を広げたまま、ぼーっと空中を眺めていた。ページは全然めくられず、最初のページのままだ。夏特集で、かわいい服や水着がたくさん載っているのに、頭の中が御館様の事でいっぱいで、内容が全く入ってこない。

(このまま、嫌われ街道まっしぐらだったらどうしよう……)

 回らない頭の中で、タエは漠然と考えていた。

(ここにいられなくなったら、高様に頼るしかないよなぁ……)

 ここまで考えてしまうと、じわりと視界が滲む。ぽて、と頭を膝に押しつけた。

(誰かを好きになるって事が、こんなにしんどいなんて、知らなかった)

 漫画や小説のように、どんな時でもうまくいくわけがない。この世界にいる間は、大事にしたい想いだと決意した矢先、相手に冷たくされた。

(この世界に来た時に、戻りたい。何も知らなかった時に……)

 はぁ。ため息が零れた。何度目のため息だろうか。そして、どれだけ幸せを逃せば気が済むのだろうか。


「タエ、……タエ」


 突っ伏して視界が真っ暗な中、聞き覚えのある声が自分を呼んでいる。まだぼんやりとしていた頭が、少しだけ回り始めた。

「タエ、大丈夫?」

 はっ。

 一気に思考回路がフル回転。タエががばりと体を上げると、近くに御館様の姿があった。

「おぉ、お、御館様!? なっ、なんでここにっっ」

 驚いて声が上ずる。体を起こしたので、目に溜まっていた涙がぽたりと落ちた。

「!」

 御館様の瞳が驚きで開かれた。タエは慌てて目をこすり、笑って誤魔化す。

「さっきあくびしたんで、涙が……。あははっ」

 まだ目尻に涙が光っている。御館様はそっと指でそれを拭った。

「!!」

 タエが固まった。心臓が口から飛び出そうだ。

「あっ、私、邪魔ですよね! 御館様がここにいるなら、私は下に――」

 慌てて腰を上げようとした所を、御館様の左手がタエの右手首をつかんで止めた。

「……逃げないで」

 御館様が俯き呟く。手首はしっかりと握ったままだ。タエは瓦にへたり込んだ。

「ごめん……」

「え?」

「ごめん。……謝りに、来たんだ」

 タエが御館様を見た。彼は居心地悪そうに目を逸らしていたが、タエの顔を見据えた。

「あんたに、ひどい事を言った。傷付けるつもりはなかったんだ。その……考え事をしてて、イラついてた。八つ当たりしたんだ。……本当に、申し訳ない……」

 タエは彼の言葉を反復していた。そして、言われた事を、ようやく理解する。

「私……嫌われたわけじゃ、ないんですね?」

「あんたは命の恩人なんだ。嫌うわけ――ないでしょ」

 ふいと視線を逸らされた。目の前の御館様は、どこか照れくさそうにしている。いつもと変わらない反応に、安心してタエは安堵の息を漏らした。

「よかった……」

 再び目尻に光るものが。タエはぐしっと拭い、笑顔を見せた。

「嫌われたらどうしようかって、悩んじゃいました」

「そんな事、悩む必要ないよ」

 こうしてまた会話ができる事が、こんなにも嬉しいのだと、タエは実感していた。

 御館様は右手で、自分の懐の中に手を入れ、何かを取りだし、握っていたタエの手に乗せた。

「?」

 手を握られているドキドキで、緊張していたタエだが、何かを乗せられ、首を捻る。手のひらにあるモノを見て、タエは一瞬、声が出なかった。

「あ、あの、コレは――」

 タエの手にあったのは、桜をモチーフにした装飾品だった。七輪の小ぶりな桜が形よくまとまり、淡いピンク色が日光に照らされて光っている。

「髪飾り、らしい……。この時代では、そういう装飾品は着けないのが普通だから、俺も詳しくなくて。晴明の所で、あんたに贈る物を、選んでた……」

「私に?」

「あんたに似合うかもって、思って。いらなかったら、捨てていい」

 桜の髪飾りを見つめる。もうタエが逃げないと分かり、御館様は手を離していた。そして、あまりに恥ずかしくてタエの顔が見られず、俯いている。

「御館様、見てください」

 タエが話しかけた。ゆっくり顔を上げると、タエの右耳の後ろにきらりと光る、桜の髪飾りがあった。

「どうですか?」

 タエの顔は赤いだろう。それでも、タエは御館様の顔をしっかりと見ていた。彼はしばらくタエの頭に咲いた桜を見つめ、ぽつりと呟く。

「……いいんじゃないの」

 タエの笑顔も、花が咲いたようになった。

「ありがとうございます! 大事にしますね」

 また、タエの目尻が濡れていた。

「御館様ー、タエ様ー? 昼餉ができましたよー」

 藤虎が呼ぶ声がした。

「あ! 用意手伝うの忘れてた!!」

 タエが声を上げる。

「藤虎なら怒らないよ。さて、下りるか」

 御館様が立ちあがった。仲直りが出来て、気持ちがスッキリしている。

「御館様、どうやって屋根に上がったんです?」

 タエが彼に聞いてきた。

「どうって、はしごを上って」

「はしご、落ちてますけど」

「え!」

 屋根から見下ろせば、庭にはしごが倒れている。倒れる音に気付かなかったのだろうか。

「どうやって下りれば……」

 御館様が絶望的に下を見ていると、タエが彼の肩をつんつんとつついた。

「じゃあ、下りましょうか」

「どうやって。そういや、あんたはどうやって上がったの?」

「失礼しますね」

 タエは御館様の腰の帯をぎゅっと握り、腕を回した。一見すると抱きつくような姿勢だ。それに御館様がびっくりした。

「なっ、タ、タエ!?」

「よっと」

 タエも一刻も早くこの状況を抜け出したかったので、彼の呼びかけには答えず、あっという間に屋根から飛び降りた。

「仲直り、出来たみたいね」

 ハナが嬉しそうにしっぽを振っている。側には藤虎もいて、二人を微笑ましく見ていた。すたんと降り立ったタエが手を離すと、御館様がよろけながら立ちあがった。

「なるほど、刀の力ね」

 傾いた烏帽子を直しながら、呟いた。タエは頷き、ハナと藤虎の所へかけていく。

「どうですか? 御館様にもらったんです!!」

 キラキラした笑顔でハナと藤虎に、髪飾りを見せていた。恥ずかしく、居心地が悪くて、御館様はそっぽを向いていた。

「ほう、髪飾りですか。なかなか可愛らしく、似合っておりますよ」

「桜かー。お姉ちゃんの一番好きな花やね」

「うん!」

 そっと髪飾りに触れる。とてもしっかりした作りなので、壊れる心配はなさそうだ。

「一番? そうなの?」

 御館様が意外そうに聞いて来た。タエは大きく頷いた。

「私、誕生日が春で、桜が満開の時に生まれたんです。だから、一番好きな花で。御館様が桜を選んでくれたのが、すごく嬉しいんです」

「それは、よかった」

 ここまで喜ばれるとは思っていなかった。勘で選んだものだったが、悪い気はしない。御館様はもう一度懐に手を入れ、また何かを取りだし、今度はハナの所へ行く。

「ハナ殿にも渡したいんだけど、やっぱり無理か」

 ハナに差し出された物は、瑪瑙めのうの勾玉だった。小さくもなく、大きくもない、ハナの首から下げられた鏡の紐に通せば、きっと丁度いい大きさだったはず。ハナは自分もまさかもらえるとは思っていなかったので、驚き、じっと御館様の手を見ていた。

「キレイな勾玉」

 タエも覗き込み、感想を言った。

「純度の高い瑪瑙らしい。ずっと昔の時代に作られた物だって聞いた。白い毛のハナ殿に、赤が映えると思ったんだけど」

「その気持ちだけで、十分嬉しい。私は幸せ者ね」

 ハナが微笑んだ。しかし、少し寂しそうだ。やはり、身に付けられたらと思ったのだろう。タエもその気持ちが分かるだけに、何とかしたいと考えた。

「あっ」

 タエが小さく声を発し、持っていた巾着をごそごそして、何かを取りだす。何も書いていない、白い紙だ。

「ハナさん、これに触れる? 干渉なしで」

 ハナに紙を差し出してみる。ハナは少し戸惑ったが、右手をその紙に伸ばし、すと、と紙に触れた。ハナ自信も驚いているようだ。

「やっぱり!」

「どういうこと?」

「これ、高様にもらった道具。貴船の神水に浸して、乾かした紙だって。高様の力が宿ってるなら、ハナさんでも触れるかなって。今夜の仕事は私だから、その勾玉をこの紙で包んで高様の所に持って行くよ。ハナさんの首にかけられないか、相談してみる」

 ハナが驚きに目を見開く。

「それでいい?」

「うん。お願い」

「了解!」

 話がまとまり、瑪瑙の勾玉はタエの文机の上に夜まで置かれる事になった。白い紙の上にある赤い石は、本当に映える。ハナの首に下げられれば、もっとキレイに輝くだろう。

 タエは藤虎と一緒に昼餉の膳を持って来る為に、台所へ向かった。部屋にいるのは御館様とハナだ。

「タエはハナ殿の為に、一生懸命だね」

 何とはなしに御館様が口を開いた。

「お姉ちゃんは、いつも私の為に出来る精一杯の事をしてくれる。今回の事だけじゃなくて……生前の時から……」

 ハナは昔を思い出すかのように、遠い目をした。

「ハナ殿を妹だと言っていたね」

「ずっと一緒だった。楽しい時も、病気になった時も、いつも、お姉ちゃんは側にいてくれた。私が他の犬に襲われた時も、体を張って守ってくれたり」

 その時の事を思い出し、くすりと笑った。

「あの体術で?」

 手合わせのタエを知っているので、御館様は渋い顔をした。あの蹴りでは、犬も吹っ飛ぶだろう。ハナは笑った。

「いいえ。あの戦い方は、代行者になって私が教えたから。心得なんて何もないのに、体一つで、大きな犬と戦ったの」

「勝ったの?」

「もちろん! 私が病気になった時も、良い病院を探してくれたり、ずっと体をさすってくれたり。自分が出来る事は何でもしてくれた」

 体は痛いし、辛かったが、タエの思いが温かくて、何度も救われた。

「高様から聞いたんだけど、お姉ちゃんは貴船神社に足を運んで、神水を持って帰ってくれたの。それを飲むと、確かに状態が楽になってた時期があったから、そうだったのかって。それから、私の病気がもう治らないと分かると、お姉ちゃんは高様にこう願ったんですって」

 自分の事をこんなに誰かに話すのは初めてだ。ハナは不思議な感覚だった。御館様が黙って聞いてくれているので、スラスラと言葉が出る。


「『ハナさんが、苦しまずに逝けますように』って」


 御館様の表情が変わった。驚いているようだ。

「おかげでスッと肉体から魂が離れたの。代行者になる時も、私が一人で戦うなら、自分も一緒に戦うって、側にいる事を選んでくれて。戦いは厳しいものよ。それでも、困難を前にしても、姉は『大丈夫だ』って言うの。その背中が頼もしくて。『大丈夫だ』って言われたら、本当に大丈夫な気がする。本当に不思議」

 ハナが微笑んだ。夏の暑い風が吹き抜けるが、嫌ではない。御館様は、二人の本当の絆の強さを見た気がした。互いが互いを思い合っている。信頼よりも固い絆だ。

「すごいね。二人とも」

「すごいのはお姉ちゃん。決断が早いの。一度決めたら、諦めずに全力だから。代行者の契約だって、あっさり決めたのよ! 普通なら、迷うのに」

「その契約、そんなに大変なの?」

 御館様が問う。

「神の眷属になるということは、通常の魂の循環の全てを放棄することだから」

「循環の全てを……放棄……?」

「これ以上は、知らなくてもいい話やね。あ、来たよ」

 ハナが話を切り上げた。見れば、廊下を歩いてくるタエと藤虎の姿。藤虎は器用に二人分の膳を持っている。

「お腹空きましたよね。食べましょう!」

 タエの笑顔に、どこかホッとした。




「それでは! 行ってきます!!」

 代行者モードのタエが、瑪瑙を入れた紙を大事に持ち、敬礼した。やはり、魂だけのタエでもこの紙は持てたので、すごい代物だと初めて理解した。今まで、どう使えばいいのか分からなかったのだ。

「お姉ちゃん、よろしくね。気を付けて」

「任せなさいって☆」

 言いながらハナの頭をなでなで。

「気を付けて」

「はい!」

 御館様の言葉に元気に頷き、タエはいつものように京都の夜を駆けていった。


読んでいただき、ありがとうございます!

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