109 鬼の爪痕と神楽の舞
「私の体は高様の羽織で守ったし、心置きなくやれるな」
タエは庭に出ていた。代行者モードだ。晶華を持ち、庭の中心に立つ。高龗神は、自分か誰かを餌にすれば良いと言っていた。もちろん、餌にするのは、自分だ。
ざわり、と空気が揺らいだ。
「隠れてないで、出てこい!」
ざくりと晶華を地に突き刺した。しばらく待ったが、何も起こらない。
「鬼、ずっとそこに隠れたままで良いの? 外に出る器が欲しいんじゃない? 勝負をしよう。私が負けたら、私の体をあげる」
すると、ごごご、と大地がざわめき、タエは晶華を引き抜いた。刺した刀の跡から黒い瘴気が一気に噴き出した。それが鬼の形を取る。実体を持ったわけではないが、禍々しさは相当のものだ。
がああああぁっっ!!
言葉にならない鬼の咆哮が地を揺るがす。鬼気の腕がタエへと伸びるが、晶華で薙ぎ払った。鬼は立て続けに、タエへ牙と爪を向ける。鬼の腕は数本増え、屋敷の部屋で寝ているタエの体の方へ伸びていた。急いで立ちはだかり、腕を払って消す。
それでも執拗に体へ伸びる腕。タエは紙一重で避け、神水を呼び出し、鬼へと浴びせかけた。ぎゃあと奇声を上げながら、黒い瘴気から白い煙が上がる。実体がないので、本来の力は衰えているだろうが、それでもまだまだ強さを保っている。屋敷の敷地の外に出られては厄介だ。
(爪痕があの鬼気を繋ぎ止めてるんやろうけど、早く決着を着けた方がいいな)
タエは集中力を高めると、晶華が輝きだした。
「晶華!」
愛刀の名を呼べば、思った通りに動いてくれる。巨大な晶華が五本現れ、五芒星の形に庭に突き刺さった。鬼気が噴出した裂け目を中心にしてだ。途端に鬼気が収縮する。地の中に潜り込もうとしているようだ。
「逃すかぁ! 龍聖浄!!」
大地に刺さった晶華から貴船の神水が溢れだす。たちまちじゅうじゅうと蒸気が立ち込め、鬼の苦しそうなうめき声が聞こえて来た。それでも、鬼気は地中に潜っている。
(どうする……。水が届く範囲にも限界がある)
高龗神の雨も届かない所へ逃げたのだ。タエに動揺が見えた時、地中から物凄いスピードで鬼気がせり上がり、タエはジャンプして避けようとしたが、足を掴まれてしまった。その速度は、タエの俊敏さを上回っていた。
庭に亀裂が入った事で、晶華の結界は崩れてしまった。召喚した晶華が消える。
「うあっ!」
逆さまに吊り上げられる。晶華で斬っても、何本もの腕がタエの体を掴み上げ、攻撃が追いつかない。貴船の神水を大量に呼び出し、逆さになりながらも、鬼の頭部に流し込む。
鬼気は頭から蒸気を上げていたが、腕よりも頭部の鬼気は濃く頑丈で、すぐには祓えない。ならば、晶華を長刀の形にして、頭部に突き刺す。鬼は激痛で力が入り、タエを締め上げた。
「うっぐ……」
ぎりっと体が悲鳴を上げる。タエは体を圧迫されたせいで力が抜け、晶華を手放してしまう。
「しまっ――」
晶華が太刀に戻り、カシャンと地面に落ちる。鬼はがばりと大きな口を開けた。その瞬間、タエは喰われると直感する。
(まずい、まずいまずい! 土地神を倒した鬼……。鬼気だけだからって、なめてたっ!)
「水結界! お願い!!」
タエが神水を呼ぶ。貴船の神水は、タエの体を包み込むように全身を覆った。これで鬼の牙を防ぐ事は出来るはず。タエは諦めてはいない。自分は、絶対に死ねないからだ。
鬼が一気にタエを口の中に入れた。真っ黒な牙で、タエを結界もろとも噛み砕こうとしている。瘴気の中で、タエは結界に指示をした。
「ハリセンボン! 鬼の全身を貫いて!!」
我ながら、気の抜けた指示だと思う。しかし水結界は、素直に全身から無数の棘を出し、鬼の瘴気を振り払う。それでも鬼はなかなかタエを離そうとしない。顎に力を入れると、結界がぴしりと嫌な音を上げた。
急いで次の手を結界の中で考えていると、一つ、自分の方へ近付いて来る気配があった。
「なに?」
「代行者!」
ものすごい勢いで突っ込んでくるのは、白い蛇だ。それが誰か、タエはすぐに分かった。
「白千様!」
「おりゃああ!!」
高龗神の式神、白蛇の白千が鬼気に体当たりしたのだ。鬼気は実体を持たないが、力を圧縮していれば、多少の弾力が生まれる。その衝撃で、タエはようやく鬼の口の中から解放された。地面に転がり、結界を解く。
「ありがとうございます」
「主の指示じゃ」
蛇の体をくねらせ、素早く動く白千。鬼気がタエの体を狙っている。部屋に入ろうとしている所を、彼は超音波を出し、鬼気を後退させた。タエはその間に晶華を持ち直す。
鬼気は地面の中に潜りだした。地上に出ている瘴気がどんどん減っていく。
「逃がさん。わしが奴を引きずり出す。地上に出たら決着を付けろ!」
「はい!」
白千は、地に開いた穴へと潜っていく。さすが蛇。細い所に入るのは得意だ。
「晶華、決めるよ」
タエは五本の晶華を呼び出し、空中で待機させた。いつも呼べばすぐに結界を張るので、この状態で維持させる事は初めてだ。勝負は一瞬。そのタイミングを逃さないよう、瞬きすら惜しい。ゴゴゴ、と地が揺れた。そして、ぼごっと大穴を開け、黒々とした鬼気を締めあげた白蛇が躍り出た。
「結界っ!!」
晶華の結界が、白千と鬼気を呑み込んだ。神水が結界内を満たす。
「白千様、出て下さい!」
結界をうまく調整して、白千を外へ出した。水の中でジュウジュウと泡を出す鬼気。体積を増やし、中から結界を壊そうとしている。
「何度も壊されてたまるか! 龍聖浄!!」
結界を圧縮する。それに対抗するように、鬼気が中から押しているが、タエの力も負けていない。
「結界を潰そうとする力は、幸成さんの方が強かった!」
ばちんっ、と勢い良く晶華が一つになる。そして、水になって消えた。しぶきが庭に降り注ぎ、澱んでいた空気が晴れていくのが分かった。
「ほう、見事じゃな」
白千がタエに近付いてきた。
「ありがとうございます。白千様の協力がなければ、うまくいきませんでした」
「む? 名乗ったか?」
「未来でも、お世話になってますから」
笑顔で答えると、そうかと彼は言った。
「高龗神も、肩の荷が下りたじゃろう。お前さんの体も、無事で良かったのぉ。自分を餌にしたのか」
「はい」
報告にもう帰るというので、タエはもう一度頭を下げた。白千は、満足そうに頷くと、山の中に消えてしまった。
「榊の精霊よ、鬼気を祓いました。約束通り、話をしましょう」
タエは生身の体に戻っていた。開いた大穴はタエ一人でなんとか塞ぐことが出来た。なかなかの大きさだったが、そこまで巨大ではなかったので、助かった。少し時間がかかってしまったが。
榊の老人の精霊が顔を出す。
「まさか、本当に消し去るとは……」
「白千様に、手伝ってもらいましたけどね。でも、これで結界が張れるはずですよ!」
「わかった。ならば、そなたの力も貸してもらわねばならんぞ」
「分かってます。どうすればいいんですか?」
「舞じゃ」
「え?」
「!」
仕事が終わり、御館様、ハナ、藤虎の三人は、屋敷の様子が気になったので、まっすぐ帰って来た。歩くだけでも分かる。右京の空間の気配が清々しいものになっている。それが、タエが鬼気を祓ったからだと言うハナの言葉に、二人は驚いた。
ハナが急に、何かに反応した。
「? どうされました?」
藤虎が問う。ハナは、垂れた耳をぴくぴく動かしている。
「音楽が聞こえる」
「音楽?」
二人は耳を澄ませるが、何も聞こえない。
「良いものが見られるかも。早く、こっち!」
走りだしたハナに、馬に乗った二人が着いて行く。御館様の敷地の裏から山の中に入り、馬をつなぐ。そして庭が見える場所まで来て、覗き込んだ。その時には、御館様と藤虎にも音楽が聞こえていた。
「……なんだ……」
御館様は目の前の光景に、目が離せなかった。
庭では、神楽で使われるお囃子が鳴っていた。琴、笛、太鼓、篳篥などの音で溢れている。
タエは、右手に帯が長い神楽鈴を、左手に榊の枝を持っている。そして、私服の上からキラキラと輝く白い着物を一枚羽織り、優雅に舞っているのだ。シャン、と美しい音が庭に響く。普段のタエからは想像がつかないほどの、しなやかで女性らしい振る舞い。指の先まで気を使い、くるりとその身を回転させている。
屋敷全体が清らかな空気に包まれて、全てを浄化していた。
御館様の目には、タエ以外、視界に入っていない。ただ、じっと見つめていた。
曲が終わり、辺りが静かになる。
「はぁ、はぁ……。どうですか!」
タエが息を切らしながら元の調子に戻り、榊の精霊達に聞いた。屋敷の縁側でお囃子を奏でていた精霊達は笑顔だ。
「すごいです。しっかりと結界が張れました!」
「先導があったとはいえ、ここまで美しく舞えるとは」
老人の精霊は驚きを隠せない様子。タエはふぅ、と呼吸を落ち着けながら、滲んだ汗を拭う。タエの頭の上には、榊の女の子の精霊が乗っており、彼女がリードして舞っていたのだ。彼女と動きを連動させ、タエは同じ動きをするだけなのだが、手足の先までしっかり伸ばし、舞を成立させる。
雑念を捨て、御館様を守る為に結界を張るよう念じて、ひたすら舞った。おかげで清浄な空気が満ちており、以前とは全く違う。
「舞えば舞うほど、結界は強くなるんですか?」
「それはそうじゃが。張るにも力を使う。疲れてるのではないか?」
「これくらい、凶悪な妖怪と戦った時に比べれば、なんてことないです。じゃあ、もう一曲くらい、いきましょうか」
確かに疲労感はある。しかしタエは何ともないと笑っていた。ふ、と老人が微笑みながら、浮かんだ疑問をぶつけてきた。
「何故、そこまでする?」
「はい?」
「そなたらの任務完遂の為の拠点として、ここで厄介になっている事は、風の噂で聞いている。わしらは敷地内まで耳を広げられないので、詳しくは知らんが。あの者をただ守るだけなら、ここまでせんでも」
タエは、うーん、と短くうなると、案外あっさりと答えた。
「御館様と藤虎さんの事が、大好きだから、ですかね」
「……え」
「タエ様……」
御館様と藤虎が目を見開いた。
「御館様は、辛い境遇なのに、強くなろうと努力を惜しまない人です。私が御館様と同じ運命だったら、あっさり妖怪の餌になってただろうから、余計に。藤虎さんは、そんな御館様を見捨てなかった。ずっとそばで守り続けて、すごいなぁって」
二人と出会ってからの事を思い出しながら話す。
「ここに来て、まだそんなに経ってないけど、二人がどれだけ良い人かって事は、十分に分かります。私、二人の事を尊敬してるし、大好きなんです。だから、この時代にいる間は、私が力になれる事は、なんだってやりたいって思ってるんですよ。後悔しないように。ハナさんもきっと同じ事を思ってると思います」
御館様と藤虎がハナを見れば、しっぽをぱたぱた振っていた。
「なるほど。その思いが、そなたを強くしておるのか」
ふふ、と照れたように笑い、タエが気合を入れた。
「じゃあ、もう一曲舞って、もっと強い結界にしちゃいましょー! みんなが帰って来るまえ……に……」
結界を見回すように首を捻れば、木々の間に人影を見つけてしまった。良く見れば、驚いたようにこちらを見る御館様の姿が。
「あ、見つかった」
ハナがさして気にするでもなく言った。
「ええぇぇ!? み、みんな、いつからいたの!!」
敬語も忘れてしまうほどの動揺っぷりだ。タエの体が大きく揺れたので、頭の上に乗っていた榊の精霊は、肩までずり落ちてしまった。
「音楽が聞こえて、早い目に駆け付けたよ」
ハナが庭に入って来る。その後ろから馬を連れて入る二人がいた。
「うそぉ……。じゃあ、さっき私が言ってた事も、聞いてた?」
「うん♪」
無邪気なハナの笑顔。タエの顔が、ぼんっと音が聞こえてきそうなほど、一気に真っ赤になった。
「は、恥ずかしい……」
思わず顔を両手で隠して照れているタエを見て、藤虎がにこやかに笑ってくれた。
「照れなくてもいいですよ。タエ様に、そう思って頂けていたとは、嬉しい限りです」
藤虎は御館様から馬の手綱をもらい、馬屋に馬を戻しに行った。
「で?」
「は、い?」
「舞うの?」
御館様にまっすぐ見据えられる。タエはその視線から逃れたい一心だった。本心を聞かれる事が、こんなに恥ずかしいとは。別に告白したわけではないのに、彼の視線が痛い。
「ど、どうしよっかなぁー……」
「舞ってよ」
御館様は縁側に腰かけ、タエを見た。彼の左側に、榊の精霊達が楽器を用意している。いつでも奏でられると笑顔を見せる。ハナも御館様の隣に腰を落とす。
「あんたの舞、見たい」
どき。
タエの心臓が、痛い程高鳴った。タエが先ほど言っていた事には特段触れず、御館様は全く気にもしていない様子。そこは少し残念な気持ちだった。
(私の言葉は、御館様には響かなかったのかな……)
それでも、と背筋を伸ばす。
「榊様、もう一度、力を貸してくれますか?」
「もちろんです」
「晶華、キレイな音を聞かせてね」
精霊がタエの頭に乗る。そして、神楽鈴は晶華が変化したものだった。リン、と澄んだ音が鳴る。
思い切りがいいタエ。御館様の視線が気になるが、舞う事を楽しもうと務めた。おかげで、結界が二重になり、屋敷の護りが強くなった。
「今日ほど良い日はなかったわい。代行者殿の力も見られたし、この屋敷を守る力にもなれた」
精霊達がうんうんと頷く。小さいので、仕草がとてもかわいい。
「今日はありがとうございました。これから協力して、御館様を守っていきましょうね」
「ああ。若君、良い方と出会えたのぉ」
「は、あ……」
御館様はしどろもどろに答えた。榊の老精霊の言葉に、照れくさくなってしまったのだ。
「お姉ちゃん、鬼気はどうだった?」
榊達と解散した後、戦いはどうだったか、ハナは聞いてみた。タエは、あはは、と笑いながら軽く話す。
「いやぁ、正直やばかった」
「えぇ!?」
仰天するハナの隣で御館様は、眉を寄せ、はぁ、とため息をついた。
読んでいただき、ありがとうございます!