108 鬼気
夜。
今夜はタエの番だった。通常の代行者の仕事をこなし、貴船神社に戻る。相変らずこの時代の貴船山と鞍馬山は闇が濃い。聖地なのだが、妖怪達の瘴気が濃い為だ。高龗神は神殿の奥にいた。
「高様、今夜も終わりました」
「ご苦労じゃった」
タエとハナが彼女を“高様”という事にも慣れたようで、容認してくれた。そこで、タエは考えていた事を切りだした。
「あの、お聞きしたい事があるんですけど」
「何じゃ?」
高龗神はタエと向かい合い、丁度いい欄干に腰を下ろす。
「私がお世話になってるお屋敷に、土地神様がいらっしゃらないようなんです。だから、妖怪が昼でも入り込んで来て。盛り塩ではもう効果がないので、敷地の護りを強化できる方法があれば、お聞きしたいんです」
タエの上司は、ふむ、と考える。
「渡辺家の別宅は……右京の山のふもとだったな」
「あ、はい。……たぶん」
タエは自分が住んでいる場所をあまり把握していなかった。ざっくりとした場所だけだ。答えるにも自信がない。
「あの地は昔、確かに土地神はいた。じゃが、鬼と戦い相討ちになってしもうた。土地神は消滅。あの地には戦いの爪痕が残り、そこからまだ鬼気が発せられておる。あの辺りに妖気が溜まり、荒れているのは、そのせいじゃ」
「爪痕? そんなもの、どこにも――」
「あの屋敷を立てる際、地鎮祭を行い、人間が爪痕を埋めたんじゃ。神主の祝詞だけじゃあ、鬼気を完全に消す事は出来なかった。わしの浄化の雨で流そうとしたが、鬼気が地質を固くして届かんかった。当時の代行者に対処するよう向かわせたが、鬼気は更に土地深く沈み、代行者の力も届かなくなった。精霊も恐れて近づかん」
「あの土地は、ずっと穢れてたんですか……」
タエは絶句していた。そんな場所に御館様と藤虎は、ずっと二人で暮らしていたのだ。
「わしも気を付けて見ておったが、すぐに屋敷を建て、あの者を住まわせた。あの者の母親が土地を清め、結界を張り続けていたおかげで、あの者と従者は鬼気の影響を受けてはおらんはずじゃ。母親が天へ上がった後は、お前達が側におるからの」
「ええ、まぁ」
その点は少しホッとする。高龗神は続けた。
「あの土地を生き返らせたければ、新たな土地神の加護を受けねばならん。源頼光――じゃったか? あそこのじいさんが名乗りを上げてくれてはいたがな」
「あの方が!?」
タエは嬉しくなった。
「会ったのか?」
「はい! 御館様の事を心配してくれてました」
「だったら、まずは鬼気を祓うしかない」
「そうですね。でも、高様と先輩の力が届かないなら、私も同じですよね。どうすれば……」
高龗神が腕を組んだ。
「こちらの手が届かないなら、向こうから出てきてもらうしかない」
「……囮、ですか?」
「自分か、誰かを餌にするしかあるまい。出来るか?」
高龗神の青く美しい瞳が、タエを見据えた。タエも真っ直ぐ見返した。
「やってみます」
高龗神がにやりとする。
「良い目じゃ。屋敷の側の山には、榊が多く植えられておるのは知ってるか?」
「榊、ですか」
祭壇に供える枝だ。神聖な力を宿している。木をしっかり見た事がなかったので、それが榊だと全く気付かなかった。
「人間の行いで、爪痕を埋めた事は間違っておったが、万が一にと榊を植えていた事は正解じゃ。自生しておる榊もあの山は多いしな。榊に力を借りるが良い」
「榊に? 精霊、ですか」
「ああ。個々の精霊の力は弱い。じゃが、タエの力を上乗せすれば、その力は何倍にも膨れ上がるじゃろう。鬼気を祓い、それから結界を張れば、じいさんも新たな土地神として力を発揮できる。完全にあの地は浄化されるはずじゃ」
少し希望が見えて来た気がした。タエは言われた事を心に刻み、彼女に礼をする。
「ありがとうございます。頑張ります!」
「ああ。そうそう、次期代行者の魂は見つかったのか?」
「いえ。まだ……」
妖怪に聞いてはいるが、大抵知らないと言う。口を開いても、「渡辺家の霊力が強い人間を喰いたい」と言ってくる。御館様の事だ。
「どちらも、健闘を祈る」
空が徐々に白んでくる頃、タエは屋敷に向けて大地を蹴っていた。先ほどの高龗神との会話を思い出す。ちゃんと見つける事が出来るのだろうか。頑張りたくても情報がない。気持ちも空回りしていた。不安だけが大きくなる。
「御館様が、探してる人だったら良いのに……」
タエが本音をこぼした。
「鬼気か……」
タエの部屋にて、ハナはタエの話を聞き、考え込んでいた。
「御館様がいいひん時が良いでしょ。藤虎さんも避難させて、私一人の時に、鬼気と接触してみようと思う」
「大丈夫? この時代の妖怪は現代より強いでしょ。爪痕だけやとしても、鬼なら尚更」
「土地神様と同等の力の鬼やしね。簡単にいくとは思ってない。代行者モードでいきたいんやけど、一瞬戻って来てもらっていい?」
「それはいいけど。無理はしんといてよ」
「分かってる。最初に榊の精霊に話しかけてみるわ」
馬の世話を終えた御館様が部屋に戻る途中、タエが庭の塀の方へ歩いている姿を見つけ、ハナに話しかけた。
「タエは何をしてるの?」
「この土地の護りを強化する為に、榊の精霊に協力を頼むんです。今からやるようですね」
それを聞いた御館様が、庭に出る。ハナは驚きつつも、後を追った。
「タエ」
「っ御館様!」
彼はタエの隣に立つ。目の前には大きく太い榊の大木があった。
「榊って、神棚に供える枝だろう?」
「はい。この山には榊がたくさんあるから、精霊の力を借りればいいって、助言をもらいまして」
「誰から?」
「私達が仕える神様からです」
「……そう」
恐らく信じていないだろう。神の力を使うが、神と直接会話が出来るのかと、御館様は信じられずにいるのだ。
「応えてくれるか分からないけど、話しかけてみようかと」
「名乗りは私も言うわ」
タエは頷き、榊を見上げた。
「私は貴船神社、高龗神の代行者、花村タエと申します」
「同じく、高龗神代行者、ハナと申します」
二人の名乗りを御館様はじっと聞いていた。
(代行者……晴明もタエ達をそう呼んだな)
「古き尊き榊の精霊よ。この声に応えてください!」
辺りはしんと静まり返っている。屋敷の廊下からは、藤虎が様子を見ていた。
「この土地を妖怪から守る為に、どうか、力を貸してはもらえませんか!」
まだ何かが足りないのか、タエの声に応える様子は見られない。
「私は、嵯峨源氏、源宛の子、渡辺綱と申します――」
ふいに、御館様が口を開いた。
「私の私情で申し訳ありません。私はこの者達に守られ、尊い存在である方々にも守ってもらっております。情けない事とは重々承知です。それでも、あなた様達に頼らねば、私は生きては行けませぬ。どうか、一度で良いので、お話をさせてはもらえませぬか」
タエとハナは彼をじっと見つめていた。自分の事をこんなに話す彼を初めて見たからだ。確かに、守られる本人が頼むのが筋というもの。丁寧な物言いに、木々がざわめいた。
「そなたの事はずっと見ていた。その屋敷に移った時からな」
「!!」
榊の枝に小さな人が座っている。白い髭をゆったりとたくわえた、柔らかい物腰の老人だ。
「あなたが……精霊……」
御館様も目を見開いている。精霊は初めて見たらしい。
「見ていただけで、何もしなかった。そなたの母上が必死に守っておったのに、我らは手を出さなかった……」
「それは穢れのせいでしょう? 仕方ありません」
ハナが養護したが、精霊は首を横にゆるゆると振った。
「言い訳じゃ。かつて、この地で鬼と戦った際、我らも疲弊し、傷付いた。力を使うのもままならなかった。我らは弱い」
タエは、この榊の精霊達は、土地神と共に鬼と戦ったのだと知り、説得にも力が入る。
「弱くなんかありません! 私達と一緒にもう一度、この地を守りませんか」
「今ある穢れも、昔と変わらず力を持っておる。そなたらは感じんか。あの鬼気を」
「鬼気?」
精霊の言葉に御館様が反応した。タエは眉をひそめる。
「あの強大な鬼気を祓う事など、わしらにはできん……」
「鬼気は、私が祓ってみせます!」
榊の精霊は目を見はった。
「そなたに出来るというのか。そなたらが浄化しても、色濃く滲み出す、この穢れを」
「やってみなきゃ、分かりません。鬼気を祓えたら、また話をしましょう」
「良いじゃろう。そなたの力、見せてもらう」
そう言うと、精霊は消えてしまった。タエに向き直ったのは、御館様だ。
「どういうこと? 鬼気って何」
その目は厳しく光っている。タエは高龗神から聞いた話を、彼にもした。当事者である彼に聞かれたのなら、隠してももう意味はない。
「何で俺に、先に話さなかったんだ」
口調には、若干の怒りが混じっている。タエはそう感じた。無理はない。タエは怒られる事も承知していた。
「御館様にまず話せば、きっと止められるんじゃないかと思ったんです。危険な事には変わらないので……。できれば、御館様は知らないまま、事を進めればいいなと思ったんです。鬼気の事に触れないでくれと、思ったんですけどねぇ。やっぱり無理だったか」
御館様のおかげで精霊と会話できたが、余計な事を話してしまった。タエはやはり、彼には聞かせたくないと思っていたのだ。
「それで? あんたにできるの? その鬼気を祓うって」
「とりあえずやってみないと。だから、御館様と藤虎さんには、その間、この屋敷を出てもらいます」
「え。屋敷を、出る?」
「この敷地には、私一人でいさせてください。鬼は人の心に入り込みます。万が一、二人を人質にされると、私は戦えないので」
タエの言いたい事も理解できる。自分達が鬼に囚われれば、タエが不利になってしまう。
「……一つ、約束して」
「はい?」
「もし敵わないと思ったら、すぐに逃げる事。あんたの命が大事だろ。この屋敷に住めなくなっても、俺は構わない。自分の事を第一に考えて」
御館様からの温かい言葉に、タエは息を飲んだ。彼の瞳は、タエを本当に心配している。心臓がどくどくと脈打つ音が、近くで聞こえた。
「分かりました。無理はしません」
「今からやるなら、すぐに出る。丁度、仕事で出る用事があったから」
「なら、行って来てください。その間にやっておきます」
タエは馬に乗った御館様と藤虎を、笑顔で見送った。貞光はまだ馬を取りに来ていない。それでも、彼の馬があるだけで移動に余裕が出る。とても有難かった。少し行った所でハナがタエの所へ戻ったが、すぐに戻って来た。再び歩き出す。
「タエ様、大丈夫ですよね……」
事情を聞いた藤虎も心配そうだ。土地神を討つほどの鬼と戦うのだ。
「鬼の体は既に滅んでる。心配することはない」
ハナの言葉が力強い。御館様はハナを見た。
「信頼、してるんだな」
「当然!」
ハナは胸を張った。
「私が生きていた時から、姉は頼もしい存在だった。私はいつも守られてた。姉が『大丈夫だ』と言えば、本当に大丈夫なの。どんなに辛い状況でも、姉は道を切り開いてきた。誰よりも頼りになる人よ」
御館様が知る彼女は、いつも笑顔で、たまにドジをする。先日、タエの本気の顔を垣間見たが、ハナの知るタエのほんの一部なのだろう。タエよりも神獣であるハナの方が、立場が上だと思っていたが、そうでもないようだ。本当に、姉として尊敬し、実力を認めている。
「大丈夫、か」
「御館様も、もう分かってるのでは?」
「え……」
少し、目を見開いた。
「姉がどれだけ頼りになるか。妖怪退治だけじゃなく、普段の生活からでもね」
確かに、タエが来てから、周りががらっと変わった気がする。暗い屋敷の生活が、光が射したように明るくなったように感じる。
「まぁ……。とりあえず、行こう」
御館様は話を切り上げ、真っ直ぐ前を見た。馬の軽快な蹄の音がする。藤虎も続いた。ハナは小走りで着いて行く。
(なんで、俺なんかの為に、そこまでするんだ……)
彼は、それ以上タエの事を考えるのをやめた。タエの事ばかり、考えてしまいそうになるからだ。仕事に集中しようと、頭を切り替えた。
読んでいただき、ありがとうございます!