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月夜の代行者  作者: うた
第三章
102/330

102 千草

「私の名前は、千草、と申します」


 鬼の娘、千草は、味噌汁以外にも、少し食事を腹に入れる事が出来た。飢餓状態で小さくなった胃袋を、これから少しずつ回復させていく。残りはタエがたいらげた。千草の気持ちも落ち着き、少しなら話せるかと御館様達を呼ぶ。そうして、皆で名乗りあった。

「助けていただき、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げる。

「礼はタエに。俺は最初、あんたを助ける事を反対したから」

 御館様は正直に言った。千草は首をゆるゆると横に振る。

「それでも、皆さんが助けてくれた事に変わりはありません」

 まだ少しぎこちない動きで微笑む。やはり体調が戻れば、絶対に美人だとタエは思った。


「それじゃあ、少し質問する。あんたはどこから逃げて来たの?」

 御館様の質問に、千草の顔は暗い影を落とした。

「誰なのか、ちゃんとした名前は分かりません……。でも、貴族の屋敷で、私達を捕えたのは、頬に火傷の痕か、あざのようなものがありました」

「頬に傷かあざ、ねぇ」

 御館様が顎に手をやり、ふむ、と唸った。

「今、『私達』って言ったけど、まだ捕まってる鬼がいるの?」

「はい……。私の父です」

 千草はぎゅっと、膝にかけている着物を握った。

「捕まって、どうしてた?」

「私は元々病弱で、捕らえられてすぐ、治療をしてやるからと、父と離されました。実際は、屋敷の奥に閉じ込められ、治療はおろか、食事や水一滴も与えられずに……」

「ひどい!」

 たまらずタエが声を上げた。そのせいでここまで痩せてしまったのだと理解し、タエだけでなく、この場の全員がその貴族に怒りを覚えた。

「父上は?」

 御館様は冷静に問う。千草は涙が溢れていた。

「父は……望まない殺しや盗みを、させられているそうです……。見張りの人間が話しているのを、聞きました。京の都が、混乱しているって」

「えっ、それって――!」

 タエがハナと目を合わせた。

「晴明が、あんたが『全ての鍵になる』って言ってた。あんたの父上の正体を聞いてもいい? 両親のどっちが人間?」

 仕草は涙を拭い、御館様の目をしっかり見て言った。


「父は……、鬼です……」



 千草は疲れの色を見せたので、体力回復の為に再び眠りについた。タエは彼女が眠った事を確認し、御館様の部屋に入った。藤虎もいる。


「鬼に殺しと盗みをさせる貴族とはな。その後ろに陰陽師もいる」

 御館様は腕組みをしていた。

「陰陽師って、蘆屋道満、ですか?」

 タエの質問に、彼は首を横に振った。

「分からない。陰陽師はけっこう数がいるんだ。証拠がない限り、特定は出来ない」

「人間が鬼を使うなど、考えた事もありませんでした」

 藤虎は、ショックを受けている。

「晴明の使役とは違う。呪いで無理やり従わせているんだ。気分が悪い」

「千草は人質、ならぬ鬼質ですな。娘の為に、父親は従わざるを得ない」

「ああ」

 御館様は嫌悪感を隠さず、顔をしかめる。

「タエ、ハナ殿。あんた達は、千草の父親の対処、どう考える?」

「えっ」

 タエは昨晩の事を思い出していた。ハナは、言いにくそうに口を開く。


「御館様、実は……私、その鬼と戦った事がある」


「えぇ!?」

 叫んだのは藤虎だった。

「いつ?」

 御館様も驚いている。

「一昨日。情報収集に出てた時」

「明け方戻って来た時か」

 ハナは頷いた。

「間違いなくあの鬼だと思う。強かった。纏う妖気が他とは違ってて。戦いが長引けば、どうなってたか、分からない」

「倒すしかないのでしょうか」

 藤虎は不安そうだ。御館様も眉を寄せている。

「人を殺してるんだ。血の味を知ってるなら、もう討ち取るしか――」

「待ってください!」

 彼の言葉を遮ったのはタエだ。御館様はタエを怪訝そうに見た。

「何か知ってるの?」

 タエが昨晩、鬼と戦った時の事はまだ言えない。代行者の仕事の事は、まだ二人には言っていないのだ。タエは、思考回路を必死に回転させた。

「陰陽師の術で無理やり従わせているなら、千草さんみたいに解放してあげればいいんじゃないですか?」

「人を殺してるんだぞ」

「えっと、えっと……」

 御館様の睨みを受けながら、タエは一つの可能性に思い至る。

「美鬼さん! 美鬼さんがいるじゃないですか。昔は人を魅了して喰らってたって、晴明さんが言ってました。本人に反省の気持ちがあるなら、まだ希望はありますよ。お父さんを千草さんの所に、返してあげられます」

 その言葉に、御館様は珍しいものを見る眼差しでタエを見た。

「あんた……、本気であの親子を救うつもりなの?」

「望みがあるなら、それに賭けたいです。それより私は、千草さん達を苦しめてる、その貴族と陰陽師をぶん殴ってやりたいです」

 御館様と藤虎は目を丸くした。ハナは吹き出している。タエは右手に拳を握り、開いた左手にパシンと打ち付ける。

「殴るだけじゃ物足りないですけど」

「タエ……、本当に、この時代の女じゃないね」

 半ば呆れたように笑う御館様。藤虎も苦笑していた。



 昼ご飯も、千草は一生懸命食べた。半分鬼の性質なので、回復が早い。食事量が大分増えたので、タエ達はホッとした。タエも千草と一緒に食べている。

「食欲が戻ってきたら、体調もすぐに戻ってくるね」

「本当に、私は運が良かったわ」

 千草はタエと会話する時は、友達のように気さくに話す。タエも、千草の方が年上だが敬語はやめて欲しいと言われ、ため口で話す事になった。

 食事前に、傷に薬を塗り直した。御館様に薬をもらい、指と背中を中心に、体中にある傷全ての手当てをし直す。男性は、女性に触れる事は失礼にあたるので、タエが一人で包帯を巻き直した。不慣れな部分もあったが、千草は笑顔で大丈夫だと言ってくれる。

「タエさん。やっぱり父は……討たれるしかないのかしら……」

 千草が不安そうに言った。タエはごちそう様と箸を置き、言葉を選んだ。

「御館様達とも話した。今は何とも言えないの。貴族と陰陽師の事も、突き止めないといけないし。私達は、お父さんは絶対に討たなきゃいけないとは考えてない。全部の可能性を考えてるからね」

「うん」

「今、千草さんがしなくちゃいけないのは、しっかり食べて、元気になる事やよ」

 頷き、千草はご飯を口に入れた。



 タエが二人分の食後の膳を、台所に持って行った所だった。廊下を歩いていると頭がくらりと揺れたのだ。食器を持っていたので、タエは気を付けながら運んだが、膳を藤虎に渡した時、それは起こった。

「あ、れ?」

 タエの視界が回りだしたのだ。立っていられなくなり、タエは廊下で派手な音を立てながら倒れた。

「タ、タエ様!?」

 慌てて藤虎が駆け寄ってくるが、タエは返事をする事もなく、気を失った。



 意識が浮上し、視界が明るくなる。タエがゆっくりと目を開けた。外の光が瞳にも入り、眩しい。最初に目に入ったのは、天井だった。見覚えがある、自分の部屋。自分がどうなったのか思い直す。


「私……」

「目を回して倒れたんだよ。まったく、看病する人間が看病されて、どうするの」

 タエの視界に、御館様が顔を覗かせた。まだぼんやりする頭のまま、タエは御館様を見つめる。

「すいませ……」

「こっちの時代に来てから、ずっと気を張って来た反動が出たのかもね。ハナ殿も言ってた」

 そういえば、ハナがちゃんと休めと言っていたと、今更ながら思い出した。

「御館様、ずっとここにいてくれたんですか?」

 彼は一瞬目を丸くすると、眉を寄せて腕組みした。

「あんたがいつ起きるか分からないし、ここにいるしかなかったんだよ」

 面倒くさそうに言うので、タエは苦笑した。

「すいません。もう大丈夫です」

 自分が思っていた以上に疲れていたらしい。タエはゆっくり起き上がろうとする。御館様が背中を支えてくれたので、タエはどくっと心臓が鳴った。

(触れてる所、めちゃくちゃ熱い……)

「ありがとうございます」

 タエは動揺を隠すように、へらっと笑う。まだ触れられている御館様の手を、つい意識してしまった。

「手、出して」

「手?」

 言われた通りに右手を前に出すと、御館様がタエの手に触れた。

(なっ!?)

 髪の毛が逆立ちそうになりながらも、平静を装う。彼はタエの手を手のひらが上にくるように回し、手首に彼の右手人差指、中指の腹を当てた。それを見て、タエは合点がいく。

(脈を取ってるんだ)

「……脈が速い」

 タエはやばいと笑ってみた。

「何するのかと緊張しちゃいまして……。あはは」

「脈診だよ。深呼吸して」

 脈の速さや深さ、鼓動のリズムを感じ取り、その人の容態を診断する方法だ。タエは深く息をして、心を落ち着ける。しばらく脈を診て、今度はタエの額に触れた。タエは固まるしかなかった。体中の毛穴が開きそうな勢いだ。

「熱もないな」

「お医者さんの知識があるんですね」

 若干緊張しながら、タエは尋ねた。

「そこまで威張れるもんじゃない。妖怪の瘴気に当てられて寝込んだ事があったから、自分で対処できないか、医術を学んだだけだ。晴明に教えてもらったり、あとは独学だけど」

「独学で!? 凄すぎます!」

「!」

 タエが声を上げたので、御館様は目を丸くして彼女を見た。

「別に、生きるのに必要だっただけ」

「それでも、なかなか出来る事じゃないですって! めちゃくちゃ頭いいんですね」

 もはや尊敬の眼差しだ。そこで、タエはある事に気付く。

「ん? べんきょう……って、あぁ!」

「……何?」

 怪訝そうな視線を送る御館様。タエは笑って誤魔化した。

(やばい、すっかり忘れてた)

 学校の宿題が残っていたのだ。


 御館様は特に気にする事なく、椀を一つ、差し出した。

「ほら、これ飲んで」

 渡されたものの中は、何やら茶色の液体が入っている。香りがつんと鼻をつき、決して美味しいとは思えないだろうという事は、瞬時に理解した。無言で御館様を見る。

「疲労回復に効く煎じ薬。滋養も補ってくれる」

「薬って、御館様が調合してくれたんですか?」

 彼の部屋の方を向けば、襖が全開だ。棚にはたくさんの本と白い袋がたくさん置いてある。漂う香りであれが薬だろうという事は、すぐに分かった。時代劇を見てたので、似たような物を知っている。いわゆる漢方だ。西洋医学はまだ平安時代にはない。

「……そうだけど。嫌なら飲まなくても」

「いただきますっっ!」

 意を決して液体を喉に流し込む。が、手が震えた。

「に、にっが……」

 目に涙が。御館様はタエの反応をまじまじと見ていた。

「涙、溜まってる」

「にがすぎです……」

 うぅ、と身震いするが、椀は落とさない。タエは目をつぶり、一気に飲み干した。

(出しちゃダメ、絶対ダメーー!!)

 口を押さえ、体が薬を受け付けるまでじっと固まった。そして数秒後、はぁ、と息を吐き、顔を上げる。

「もうちょっと、おいしくできません?」

「苦いのが薬でしょ。“良薬口に苦し”って言葉、知らない?」

「この時代からあったんですね。その言葉」

「話せる元気があれば、大丈夫だろう。もう少し、ゆっくりしてなよ」

 そこでタエは気付いた。

「私、どれくらい寝てました? 千草さんは」

「彼女も寝てる。今、ハナ殿が見てくれてるよ」

「そうですか」

 後でハナに礼を言わねばと思っていると、御館様は一枚の皿をタエの前に置いた。それは、白やピンクの色をしており、紅葉や菊など、花や模様を型取った物だ。途端にタエの顔が一変する。

「これって、落雁!?」

 お皿を手に、目が輝いている。

「口直しに甘いものと思って。これ、好きなの?」

「落雁、大好きです。いいんですか!? いっただきまーす! んーー♪ おいしいーー」

 とろけるような笑顔に、御館様が吹き出した。

「百面相」

「いいんですー。はぁ~、最高!」

 もう一つ口に入れる。砂糖の甘い味が口いっぱいに広がる幸せに、タエは浸っていた。

「じゃ、大人しくしてるんだよ」

「はい。ありがとうございます」

 御館様は椀を持ち、部屋から出て行った。障子が閉められ、彼の気配が遠ざかって行く。タエは彼との部屋の境界になっている襖を見た。開けられた襖のように、彼の心もタエに開いてくれたのだろうか。だったらいいなと素直に思ったタエだった。



 タエの部屋を出て、廊下を歩く御館様。椀を台所に持って行く所だ。しかし、彼の頭の中は、先ほどのタエの反応でいっぱいだった。真っ直ぐな眼差しで、凄いと褒められた。誰かに褒められるという事がほとんどなかった彼は、タエの言葉とあの視線に、心臓がざわざわと騒がしくなっていた。

(あんな素直に、まっすぐ褒められると……。何か、どうしたらいいのか分からない)

 頭を振り、余計なことは考えないでおこうと、椀に視線を落とした。




「お姉ちゃん、大丈夫?」

 しばらくすると、ハナが顔を出した。

「心配かけてごめん、ハナさん」

「仕事の後バタバタしてたし、ちゃんと休めなかったもんね」

「ハナさんが初仕事の後に、休んでた理由がよーく分かりました」

 この時代に漂う妖気の濃さに、体がまだ慣れていなかったのだ。タエはいつも通りに動いていたので、知らずに疲労が溜まり、爆発してしまった。

「だいたい一回休めば、体が慣れるしもう平気のはず」

「そっか。今日は静かにしなあかん日やったんやねぇ」

 千草の件で、気持ちに余裕がなかった事もある。それでもタエに後悔はない。休養と煎じ薬のおかげで、体も軽くなり再び動けるようになると、千草の様子を見、傷の手当をしたり、体を拭いてあげたりした。




 夜。今夜の代行者の仕事はハナだ。情報収集という名目で、屋敷を出る。タエは千草が寝ると、御館様の部屋に入った。文机を持って。

「私も、勉強します」

「……すれば?」

 妙に意気込んで来たので、御館様は少し引いていた。燭台も持ってきて火を灯すと、部屋の明るさが増した。タエは高校の宿題を広げ、もくもくと勉強を始める。

「千草は?」

「もう寝ました。何かあれば、私を呼んでって言ってます。何回か様子は見に行きますけどね」

 こんなに温かい場所で寝られるなんて久しぶりだと、笑みをこぼしていた千草。顔色もだいぶ良くなってきたので、タエも安心している。

「そう。……で、それ何?」

 御館様は、タエの手元を凝視している。

「学校の宿題です」

「がっこう、って何?」

「へ? あ、学校って言わないんだ。えーと、寺子屋? 勉強を先生から教えてもらう施設の事です」

「勉強って、女も学ぶの?」

 御館様は驚きの顔になっていた。

「はい。男女平等に、いろいろ勉強しますよ。この時代は男の人だけですっけ?」

「基本はそうだ。貴族の女は文字の読み書きと歌、礼儀作法は学ぶ。未来は男女平等か」

 少しだけ、自分の知らない未来の話を聞き、感慨深そうに頷いた。

「その課題がまだちょっと残ってるんですよねぇ」

「へぇ」

 御館様が相槌を打った時だった。




 ズン……。



 屋敷の空気が一瞬にして重くなる感覚に襲われる。タエと御館様は、鳥肌が立った。タエが晶華を手に、障子を開け、庭を見る。


「あれは……」

 御館様も驚いていた。

「まさかここに来るなんて。京を騒がせてる鬼です。千草さんの……お父さん」



 黒い瘴気を出しながら、屋敷の庭に立つ千草の父親は、赤く目を血走らせ、タエと御館様を見据えていた。


読んでいただき、ありがとうございました!

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