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月夜の代行者  作者: うた
第三章
101/330

101 鬼の娘

「これはこれは」

 晴明は楽しそうな声を出した。屋敷に到着した晴明は、タエと鬼がいる部屋へと通される。藤虎は朝餉の準備に戻った。

「晴明さん、来てくれてありがとうございます」

 タエが礼を言った。すぐ隣に彼が腰を下ろす。

「まさかこの屋敷に、鬼を連れ込むとはね」

「御館様の気持ちを無視して、申し訳ないです」

 タエがぼそぼそと告げた。

「私に詫びなくてもよい。それは本人に言ってやりなさい」

「はい……」

 しゅんとするタエを見て、晴明はふっと笑うと、戸口へ声をかけた。

「若、タエは自分のした事を、十分に理解している。現実をしかと見なさい。責めても状況は変わらない」


「別に責めてるわけじゃない……」


 こちらもぼそりと聞こえた。タエは、御館様が廊下にいた事に気付かなかったので、驚いていた。

「この鬼について、若にも説明が必要だ。こちらへ来なさい」

 晴明の言葉に、おずおずと姿を見せた御館様。タエの心臓がずきりと重くなる。彼はまだ疑いの目を、こちらに向けていたのだ。部屋に入ってすぐの所に腰を下ろした。ハナも側に控える。

「では、見せてもらおうか」

 鬼はうつ伏せのまま寝かせていた。藤虎から、鬼が陰陽師に術をかけられていると聞いた晴明。躊躇うことなく、娘の背中を露わにさせた。

「ほう」

 晴明は全てを察した様子で、五芒星が真ん中に描かれた札を一枚取り出すと、背中の紋様の上にかざした。

解呪かいじゅ、救急如律令」

 短く呪文を唱えると、娘を苦しめていた紋様は、晴明の札に吸収され、火傷の痕を残して消えてしまった。彼が持つ札は、不気味な柄になっている。それほどまでに邪悪な術だったのだと、見るからに明らかだった。

「これで、この娘を苦しめるものはなくなった」

「ありがとうございました」

 タエもホッと胸を撫でおろす。着物を直し、掛布団代わりの着物も上からかけてやる。ずっとうつ伏せもしんどいので、横向きにしてあげた。まだ火傷の痕があるので、仰向けは無理だ。娘の表情も安らかなものに変わり、眠っている。

「この術を行った人って、またこの鬼に何かしてくるんでしょうか?」

「ここにいれば何もないはずだ。ここには神の使いが二人もいるからな」

 彼は、タエとハナの力を認めてくれている。二人は、彼の期待にも応えたいと思った。

「明け方、騒がしかったのを知っているか?」

 晴明が御館様に問うた。彼は眠っていたので知らなかったが、タエはその目で見ている。

「どこぞの屋敷から鬼が逃げたらしい」

 その場の全員が娘を見た。

「そう。この娘で間違いないだろうな」

 晴明が腕を組んだ。

「屋敷から逃げたって、どういう事?」

 御館様が眉を寄せた。

「さぁて。詳しい事は分からん。ただ、都の兵士に頼らない所を見るに、鬼を捕えていた事は、公にはしたくないのだろう」

(晴明さん、実は全部知ってるんじゃない?)

 タエが密かに考えていると、晴明がタエをちらりと見て、ふっと笑った。固まるタエ。

「まだ公になってないの?」

 晴明は頷いた。

「日が昇れば、捜索隊は戻って行った。この娘が暴れたとなれば騒ぎになっていたが、ここへ真っ直ぐ来たのだろう。ここまで弱って、可哀想に」

 娘の手を取った晴明。細い腕は、少し力を入れれば折れてしまいそうだ。御館様は、晴明の行動に驚きを隠せない。

「晴明、鬼にも邪悪でない者がいるのか?」

 この質問をせざるを得なかった。晴明の瞳が、御館様を映す。

「若の周りには、邪悪な者しかいなかったからな。そう思うのも当然。若は、この者をどう見る?」

「え……」

 御館様の瞳が揺れた。動揺しているのだ。

「こちらへ来なさい」

 晴明が扇子でコンコンと床を叩いた。嫌だとは言えず、彼は渋々近寄る。

「この鬼は、若の喉笛をかき切るだろうか?」

 御館様は、初めて娘をしっかりと見た。頬はこけ、体が異常に細い。見ただけで弱っていると分かる。そして、彼女の手を見て、はっとした。

「その指……」

 まだ手当てが出来ていなかったので、傷付いた指は丸見えだった。

「監禁されていたのなら、逃げる為に必死だったのだろう。爪が剥がれても、指が削れても、そこから出たかったのだ。でなければ、死んでいた」

 鬼を、じっと見つめる御館様。

「……俺を襲うようには、見えない」

 タエは少し心が軽くなる気持ちがした。彼の気持ちが、少しだけ変わろうとしている。

「仲間がいる可能性は?」

「もしいるなら、この状態の仲間を放っておくはずがない。今、この鬼は一人だ。そしてもう一つ言っておくと、この娘、半分は人間だな」

「えぇ!?」

「全然分からなかったです」

 タエとハナが驚いた声を上げた。

「半人半妖は初めて見たか? だから触れられる。治療方法は人も妖怪も同じ。薬も効くし、栄養のあるものを食べさせなさい。鬼の回復力が上がれば、すぐ元気になるだろう」

 晴明の言葉を聞いて、御館様は、はあぁ、と息を長めに吐いた。

「分かった。とりあえず、治療の間はここにいて良い。認めるよ」

 ハナも笑顔になる。ハナの話も、彼の心を動かす要因になったようだった。タエは涙を滲ませる。

「御館様、ありがとうございます!」

 泣きそうな顔をしているタエを見て、ぎょっとすると、御館様はふいっと顔を逸らした。

「礼を言うほどの事じゃ、ないでしょ」

 相変わらずの素直じゃない言葉。しかし、そこには温かさが戻っていた。


「若、治療を手伝ってやりなさい」

「えっ」

「背中と指の傷は、薬を使わねば悪化してしまうぞ。タエだけでは大変だろう」

(晴明さん、優しい!!)

 タエは感動していた。

「夜も、タエを休ませてやらんとな。この子は寝ている間も忙しい」

 晴明と目が合う。彼は、代行者の仕事がどういうものなのかをしっかりと理解していた。本当に隠し事が出来ない人だと実感する。だが、そのおかげで、夜の仕事に支障をきたさない様、配慮してくれたのだ。感謝してもしきれない。御館様は疑問符が飛んでいたが、とりあえず頷いた。

「分かったよ。タエにも休息は取らせる。その間は、俺とハナ殿で鬼を見るよ」

「よかったね、お姉ちゃん」

「うん!」

 話がまとまったので、晴明も満足そうに頷いた。


 晴明が帰路につく。御館様、ハナ、タエも見送りに来ていた。藤虎が馬を出すのを待つ間、御館様は疑問を投げかける。

「最近暴れてる鬼の方だけど、討伐の命令があったのに動いてないって、本当?」

 晴明は片眉を上げた。タエとハナは顔を見合わせた。

「そんな事を聞いたのか? 調査はしているよ。ただ、あの鬼の相手をするのは、私ではないのでね」

 馬を受け取ると、ひらりと軽やかに跨る。

「ではな。あの娘が、全ての鍵になるだろう」

 彼は謎の言葉を残し、帰って行った。後ろ姿も優雅だ。



 御館様は深呼吸をした。

「約束したからには、ちゃんとやるよ。傷に効く薬と布を持って行く」

「はい。お願いします」

 彼が部屋に向かう。もうとげとげしい気配はない。それでも、まだ警戒しているだろう。タエはそれでも、協力してくれると言うので、彼にも感謝していた。






「おい、大納言が生きてたぞ?」

「!」

 とある屋敷の一室。昨夜、仕留めようとした所で邪魔が入ったのだった。

「お前は確実に仕留められるのだろう? 何故、奴は生きてるんだ? え?」

「も、申し訳ありません……」

「ちっ。無能め。陰陽師殿に、灸を据えてもらった方がいいな」

 這いつくばった傷だらけの男の頭に、足を置いた。ぐりぐりと揺らしてみる。

「そうそう。娘が逃げたぞ」

 足で頭を押さえつけられているので、男は顔を上げる事が出来ない。

「屋敷の者全員で捜索したが、見つからなかった。他の妖怪に喰われたか? ひひっ」

 ぴくり。ざくりと切られ、血が滲む手が反応する。暗殺の失敗と、娘に逃げられた事への腹いせに、この男は、娘の父親に暴行を働いていたのだ。殴られ、蹴られ、刀で斬りつけられても、父親は何も言わず耐え続けた。結局、娘は喰われたのだと、男は自分に都合良く結論を付けた。

「残念だ。治療のおかげで元気になったのに、逃げるとは恩知らずな奴よ。親も見捨ててなぁ」

(治療など……していない。あいつは……千草ちぐさは、生きる為に逃げたんだ)

 娘がどういう状態であったか、父親はよく分かっていた。しかし、自分は何も出来なかった。それが悔しく、歯がゆかった。

「喰われたなら仕方ない。お前には、きっちり働いてもらうぞ。次また失敗したら、今度は首を落としてやる」

 無慈悲な言葉が、父親に突き刺さった。

(千草……、父さんはもう逃げられん。お前は生きて、幸せになってくれ……)

 絶望で目の前が真っ暗になる中、娘の幸せだけを切に願った。






「とうさん……!」

 父の声が聞こえた気がして、はっと目を覚ます。見た事のない天井だ。そもそも、周りが明るい。ぼんやりと周囲を見回す。

(ここどこ? 私は……)

 気を失う前の事を思い出す。何度も転びながら、必死にもつれる足を動かした。追手がかかるのは時間の問題だったので、人間が近寄らない、妖気が満ちた場所を選んだのだ。屋敷を見つけ、その門の柱に隠れた。

(そしたら、誰かが目の前に――)

「あっ! 目が覚めたんですね!」

 元気な声に、思考が途切れた。タエの笑顔が目に入ったのだ。咄嗟にかけられていた着物で顔を隠す。

「警戒しなくていいです。私の顔、覚えてません?」

 タエが少し距離を取って、自分の顔を指さした。娘はタエをよく見ると、記憶が蘇る。

「あなたは……道で会った……」

「そう。ここはあの門の中。あなたを追ってくる人は来ません。安心して」

 近付き、手に持っていた膳を置く。タエの朝ごはんだ。娘はまだ起きないと思い、様子を見つつここで食べようと、持って来たのだった。

「あなたが助けてくれたの――つっ!」

 起き上がろうとして、背中の痛みに顔を歪める。娘は、自分の手を見て驚いた。全ての指に布が巻かれているのだ。体を見れば、しっかりと手当されている。

「ゆっくり動いて。背中はまだ火傷がひどいから、ヒリヒリするはずです」

 娘は、部屋に漂うご飯の良い香りにお腹がぐぅ、と鳴った。顔が赤くなる。タエは味噌汁の椀を持った。ふぅふぅ、と冷ましてやる。

「お湯で味噌を溶いた、お味噌汁です。ゆっくり飲んでみて下さい」

 娘は差し出された椀を、訝し気に見る。味噌汁など、初めて見たので、手を出せないのだ。人間に対して、警戒心が強くなっていた。

 タエは、そんな娘の気持ちを察したのか、味噌汁を一口、飲んで見せた。

「ほら。毒なんて入ってませんよ」

 もう一度目の前に差し出される椀。恐る恐る、受け取った。茶色い液体の中に、人参と大根、大根の葉が浮いている。そして、ほかほかと湯気が上がっていた。じっと椀を見つめる娘に、タエが話しかける。

「体、ずいぶん痩せてるけど、ずっと食事を取ってなかったんですか?」

「……閉じ込められてたから……」

 それだけ聞いて、タエは胸が締め付けられる思いがした。どれだけ空腹だったか。どれだけ辛く、苦しかったか。タエには想像する事しか出来ないが、おそらく、その想像よりも遥かに深刻な状況だったのだろう。

「いきなり飲んだら体がびっくりするから、ゆっくり飲んで下さいね」

 娘を安心させてあげたいと、タエは微笑んだ。娘は一口、飲んでみる。初めての味に最初はむせてしまったが、落ち着いてもう一口、口に含み、飲み込んだ。


(あったかい……。おいしい……)


 体に熱が戻る。藤虎が作ってくれたタエ直伝の味噌汁は、娘の体と心を温めてくれたのだ。誰かの優しさに触れたのも久しかった彼女は、気付けば涙が頬を伝っていた。

「……っう……」

 タエは娘の肩に触れた。傷に触らないよう気を付けて。子供をあやすように、優しく撫でる。

「がんばりましたね」

 泣きながらも味噌汁を飲む娘を、タエは少し涙ぐみながら、側で見守った。


(皆を呼ぶのは、食事が済んでからにしよう)


読んでいただき、ありがとうございます!

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