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月夜の代行者  作者: うた
第三章
100/330

100 心の距離

 夜が明けて来た。タエはこの時代での代行者の初仕事を終え、屋敷に帰る途中だ。まだ暗い中、人が何人も走っている姿を見かける。ガサガサと、辺りを走り回っているのだ。

「早く探せっ!」

「こっちにはいない」

 小声で話しているのが聞こえた。兵士という感じではない。どの人も、焦っているようだ。


「何だろ。騒がしいな」

 タエは知らない事なので、そのまま屋敷へ直進する。


 屋敷が見えた。と、何かの気配を感じた。とても弱弱しいが、人ではない気配。タエは晶華を握る。

「御館様を狙って――!?」

 その気配は屋敷の門からだった。中にはまだ入られていない。タエは素早く門の前へ降り立つと、妖に晶華を突きつける。

「誰だっ」

 刀の先にいたのは、一人の娘だった。額から二本の角がある。鬼だが、明らかに様子がおかしい。

「ごめん……なさ……。はぁ、はぁ。た……たすけ……」

 門の柱に寄りかかり、うずくまっている。ガタガタと震えながら、娘は右手を上げた。とても細い。普通の細さではない。タエは異常を感じていた。

「あの、大丈夫ですか?」

 タエが声をかけた。ぜいぜいと息を切らし、苦しそうに咳をしている。美人の域に入るだろうが、変に顔が白く、頬がこけて痛々しい。背中まで伸びた長い髪の毛も、痛んでバシバシだった。着ている着物は、擦れていたり破れていたりでボロボロだ。


「この通りは見たか?」


 離れた場所から声がした。見てみれば、タエが先ほど見た人達だった。三人いるが、こちらへ向かってくる気配はない。側の娘が、柱に身を隠して息をひそめた。


「いや、まだだが……。お前行けよ」

「嫌だよ。この通り、妖怪屋敷で有名だろうが」

「通りにもわんさかいるってよ。入ったら最後、喰われて終わりだ」

 しん、と誰もしゃべらなくなった。

「奴が逃げるなら、ここが一番だが……」

「死にたくないしな」

「いなかった事にしよう」

 小声で確認して、うんと頷き合うと、三人はまたどこかへ行ってしまった。



 いい加減な調査を見て、タエは呆れた。気を取り直して娘を見れば、もう気力も限界だったらしく、気を失っている。

「えっ、ちょっと!?」

 タエが肩を持てば、骨ばったその体に驚きを隠せない。辺りを見回す。暗がりの中に、蠢く妖怪の気配や目玉を見た。睨みを聞かせる。

「この鬼に手を出すなよ。出したら、お前達を塵に還すからな。ハナさん!」

 ハナを呼んだ。


 御館様の部屋で寝ていたハナは、タエの声に、はっと目を覚ます。部屋では、まだ御館様が寝ていたので、起こさないようすり抜けタエの気配を辿って門へ来た。

「お姉ちゃん、こんな所でどうしたの?」

 ハナが尋ねるが、タエの側に鬼がいて驚いた。

「えっ、鬼!? 気配が弱くて気付かへんかった!!」

「この鬼、ずいぶん弱ってる。助けを求めてた。私、体に戻って来るから、ここで守っててくれる?」

「今おぶっていけば?」

 ハナは当然の事を言った。このまま部屋に運ぶ事も出来るはずだと。

「この姿を、まだ御館様に見せる訳にはいかへんでしょ?」

「それもそうか。御館様も連れて来た方が良いよ。この屋敷に入れるなら、彼の許しがないと」

「了解!」

 鬼の前に陣取るハナ。タエは急いで体に戻る。



 魂が体に戻ると、タエは飛び起きて、御館様が眠る部屋の襖をスパーンと勢いよく開けた。その音に、御館様はびくりと体が大きく揺れる。

「なっ、何……!?」

 びっくりして周りを見回す。寝起きは最悪だろう。しかし、タエは失礼も承知の上で用向きを告げた。

「起こしてすいません。一緒に門まで来てもらえますか?」

 タエの表情が、悪ふざけではないと理解した御館様は、起き上がり、黒の羽織を羽織る。そして、タエの後に続いて廊下に出た。


 藤虎は起きていて、朝餉の準備に取り掛かろうとしている。

「御館様に、タエ様?」

 藤虎は台所から二人を見かけた。


 門を開けると、鬼の娘はまだ気を失ったままだった。そこで気付く。

「あっ、高様の羽織、忘れたぁ!」

「お姉ちゃん……」

 急いでいたので、高龗神の羽織を持ってくるのを忘れていたのだ。アレがないと、妖に触れる事が出来ない。あぁ、と娘の腕に手が当たると、タエは目を見開いた。

「……触れる」

「えぇ!?」

 二人で驚いた。

「その者は……鬼か!?」

 覗き込んだ御館様の顔が、一瞬にして険しいものになった。タエは鬼の体を支え、すかさず理由を話す。

「確かに鬼ですけど、助けを求めてきました。攻撃性はありません。弱ってるので、治療が必要です。御屋敷に入れてもいいですか?」

「いいわけないだろう。この者は確かに弱ってるだろうが、これをダシに使って、俺を狙ってるかもしれないだろ!」

 御館様が珍しく声を荒げた。それでも、タエは必至に頼み込む。

「分かってます! 御館様がそう思うのも当然です。でも、私は助けたいんです! 御館様を狙っての事だったら、この鬼を斬ります。御館様は、必ず守ります」

「鬼など……信じられるわけ、ないだろう!」

 眉間に皺を寄せ、冷たく見下ろす。生まれてからずっと、凶悪な妖怪や鬼に命を狙われてきた。藤虎や母親も、命がけで自分を守って来た。タエは今、その気持ちを踏みつけにしようとしている。安全になった屋敷に、鬼を入れるなど、考えられない。

「御館様。ならば、鬼ではなく、私達を信じて」

 ハナが口を開いた。彼もハナを見る。

「姉にも考えがあるんだと思う。私も守りを強化するから」


「皆様、どうかされ――おぉっ! これは……」

 様子を見に来た藤虎も、タエの腕の中に鬼がいる事を見て驚いていた。

「藤虎さんも、お願いします。どうか、この人を中へ――」

「人じゃない。鬼だ!」

 御館様は、ふい、と背を向け、屋敷の中に戻って行った。タエはダメだったと、肩を落とす。


「……俺は関わらない。看病したいなら、勝手にしなよ」


 その言葉は冷たいものだったが、門の扉は開けてくれた。

「あ、ありがとうございます!」

 タエが大声で礼を言った。御館様はさっさと屋敷に入る。藤虎を見れば、彼も困惑の色を見せていた。

「本当に、大丈夫でしょうか。私は、御館様を第一に考えますので」

「それで良いです。この鬼は、私が見ます。ご迷惑はかけません」

「それなら、どうぞ中へ」

 藤虎もとりあえず認めてくれたので、タエは鬼の娘を抱きかかえて門をくぐった。彼女はとても軽かったので、タエの腕力でもなんとか運べた。

 そうして、タエの部屋に近く、使っていない部屋を借りた。畳のベッドを運ぶのは、藤虎も手伝ってくれたので有難かった。そこへ寝かせ、部屋の隅に置いてある荷物を見せてもらうと、誰の物か分からないが、女性ものの着物があった。華やかさがない質素な着物なので、渡辺家に奉公に来ていた者の着物だろう。藤虎に許可を取り、それを鬼にかけてやる事が出来た。

 お湯を少しもらい、温かくしたタオルで鬼の顔と手を拭く。朝日が直接差し込む事がない部屋だが、明るくなってきたので、娘の状態が嫌というほど浮彫になった。


「鬼がこんな体になるなんて」


 指先を見れば、全ての指の皮がめくれ、血の塊が着いている。爪も欠け、見ているだけで痛い。

「う……」

 娘が呻いた。タエは、気が付いたのかと顔を伺うが、様子が変だ。突然苦しみだし、体が浮くほどに震えだす。

「ああぁぁ! いやあぁぁぁ!!」

 娘が掠れた声で叫び出した。タエは暴れる体を押さえつけようとするが、力が強すぎて振り払われてしまった。

「何でいきなり――!」

 タエは、娘が背中をのけ反っている事に気付いた。そして、着物の隙間から、黒い煙が出ている事にも。

「お姉ちゃん、どうしたの!?」

 ハナと御館様、藤虎も、様子を見に来た。御館様は心配して来たわけではない。家主として、一応だ。

「いきなりこうなった。ごめんなさい、背中、見るよ!」

 力任せに娘をうつ伏せにして、一気に着物を腰までずらすタエ。男の前で何てことをと、ハナは言いそうになったが、目の前のモノを見て、言葉を失った。御館様と藤虎も、目を逸らす事なく凝視している。


 丸見えになった背中には、黒い線を格子状に描いた紋様があった。そこから黒い煙が出ており、娘を苦しめている。じゅうじゅうと火傷のように、格子の線の縁から焼けただれ始めていた。

 タエとハナには見覚えがある模様だ。

「これは、九字の線?」

 稔明が叉濁丸討伐の際、光の矢を完成させた時に見せた紋様と酷似している。ハナも頷いた。

「妖気を感じない。人間がやってるのかも」

 ハナの言葉に、御館様達がはっとする。

「ハナさん、ちょっと見てて!」

 タエは部屋を出て、走って自分の部屋へ向かった。ハナは苦しむ娘の肩を押さえる。暴れて御館様や、彼女自身を傷付ければ大けがに繋がるからだ。

 タエはすぐに戻って来た。手に小瓶を持っている。御館様には見覚えがある物だった。

「痛かったらごめんね」

 瓶の中に入っている神水を少し紋様にかけてみた。じゅっと白く煙が上がり、火傷の広がりが止まる。まるで消火だ。それでも相当の痛みが娘を襲う。ハナに押さえてもらい、タエも両足で娘の足を押さえ込み、馬乗りの姿勢で神水を紋様にかけていった。

「あああああっ!!」

 娘は最後の火傷部分を消火すると、がっくりと意識を手放した。肩が呼吸で上下しているので、気を失っただけだと確認すると、タエとハナはホッと息を吐いた。そしてうつ伏せのまま、着物をかけ直す。

「神水が効いた……。良かった」

 小瓶の蓋を閉める。すると、神水を使った分の量が、たちまち戻った。しかし、背中の紋様は、このままにはしておけない。紋様が、消えた訳ではないのだ。

「これが人間のせいなら、陰陽師が絡んでるって事?」

 タエが眉を寄せた。ハナも頷く。

「晴明殿に見てもらうしかないね」

「私、晴明さんを呼んで来る!」

 立ち上がるタエ。意気込んで出て行こうとするのを、御館様が止めた。

「あんたが行ってる間に、鬼が起きたらどうすんのさ。藤虎、呼びに行ける?」

「は。今すぐに」

 そう言うと、藤虎は貞光に借りていた馬を使い、すぐに屋敷を出た。もう太陽が昇っているので、妖怪達も彼と馬に手を出してはこない。


「ありがとうございました」

 タエが御館様に礼を言うと、すっと目を逸らされる。

「別に。晴明が来てくれるなら、その鬼の処遇も判断してくれるだろうし」

 そう言って、部屋に戻って行った。心臓がちくりと痛んだが、タエはその後ろ姿を見送り、ハナへ向き直る。

「ハナさん、ありがと。御館様の側にいて」

「分かった。お姉ちゃん、無理しないでね。仕事から戻って、休んでないでしょ」

 ハナの気遣いが嬉しかった。

「大丈夫。朝ごはんが遅れてごめんなさいって、御館様に謝っといて」

「はいはい」

 ハナも見送り、タエは娘の側に座り、変化がないかを見守った。

 膝の上に置いた両手を、ぐっと握りしめる。爪が食い込むくらい、強く。

(御館様の気持ちを知ってるくせに……。傷付けた、やんね)

 ずき。心臓が締め付けられる感覚がする。痛い。

(後悔はしてない。でも、怒らせた。私がわがまま言ったせいやもんね。怒られてもしょうがない)

 先ほどの彼の反応を思い出した。タエと目を合わせようとしなかった。彼の言葉はいつも素っ気ないし、天邪鬼で素直ではない。それでも、心があった。優しさを感じ、温かかった。しかし、今タエに放たれる言葉には、心がなく、冷たい。それが、御館様がタエに対する気持ちなのだと、理解した。


(私……御館様の信用を、失くした……)


 この事実は、思った以上にダメージがあるらしい。タエの心臓はキリキリと痛み、体内に鉛玉があるように重く苦しい。俯き、じっと自分の拳を見つめた。じわりと視界が滲む。タエは頭を横に振り、余計な事は考えないようにした。

「今はこの鬼を回復させる事に集中しよう。元気になれば、背中の理由も分かるし。害がない鬼だって確信出来れば、御館様も……考えを、改めてくれるかな……」




「ハナ殿。タエは何で、あの鬼を助けたかったんだろう」

 晴明が来るまでの間、自室で書物を読もうと広げたが、内容が全く入って来ない。側にいるハナに話しかけた。

「気になるなら、直接聞いてみたら?」

 ハナが至極まともな事を言ったが、彼は渋い顔をする。

「出来ないから、聞いてるんだけど……」

 タエの行動の意味が理解できず、御館様も混乱しているのだ。ハナは体を起こし、お座りの姿勢で話し出した。


「人間に悪い奴がいるように、妖怪にも、優しくて頼れる者がいるって事」


「鬼にも……良い奴がいる?」

 今までそんな事を、考えた事がなかった彼は、目を丸くしていた。

「私達は妖怪を倒してる。でもそれは、人やこの世界に害を成す妖怪だけ。救いを求める者がいれば、人でも妖怪でも、姉は迷わず救ってきた」

 門の所で、必死に鬼を助けたいと言ってきたタエを思い出した。

「妖怪を滅しているけど、楽しんでやってる訳じゃないよ。どんなに悪い妖怪でも、魂がある。その魂や命の重さを、ちゃんと理解してないと、私達だってそいつらと同じになってしまうわ」

 御館様はじっとハナの話を聞いていた。

「お姉ちゃんも、今までいろんな神様、精霊、妖怪と関わって来て、救えた命もあったし、救えなかった命もあった。納得がいかなかった事も、たくさん……。だからこそ、救える命があるなら、救いたい。そう、思ったんだよ」

 ずっと一緒にいたハナだからこそ、タエの気持ちを理解していた。釋を消滅から救う為に、迷わず魂を差し出した事も覚えている。いつも一生懸命な姉だから、側で支えたいと思うのだ。

「そうやって来たから、妖怪達も私達に心を開いてくれた。一緒に戦う事もあるよ。実際、私達だけじゃ敵わなかった凶悪な妖怪を、京の妖怪達や陰陽師と協力して、一緒に倒した事もある」

「人間と妖怪が、共に……!?」

 御館様は、驚いて聞いていた。

「……あの鬼は、害がない鬼なのか?」

 御館様が漠然と聞いてみた。ハナは笑っている。

「御館様。私達がどんな力を持ってるのか、忘れました? 私達がいるだけで、悪い妖怪は寄って来ないでしょう?」

「あ……」

 ハナが側にいるので、この感覚に慣れ始めていた彼は、大事な事を思い出した。

「神水を浴びても消えなかった。むしろ、あの術の方が反発していた。あれは呪いの類でしょう。晴明殿に見てもらえば、はっきりするね」

 ハナは尻尾を振った。

「邪悪な者は、ここにはいられない。それってつまり、そういう事。もしもの時は、お姉ちゃんも始末を着けると言ってるし、様子を見てもいいと思う」

 ハナの言葉を聞き、とりあえず納得する御館様。ハナの耳がぴくりと動いた。



「晴明殿が着いたみたい」


読んでいただき、ありがとうございました!

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