01 再会
幼い頃からずっと一緒だった家族が天寿を全うした。
白い毛並みが美しく、尻尾もすらっと長い中型犬だ。ラブラドールレトリーバーと柴犬のミックス。
名前は、“ハナ”と言った。
寿命の長さは人とは違う。ずっと一緒にいられない事は分かっていた。飼い主の花村タエは、いつかはこの日が来ると思っていた。ペットを飼うという事は、そういう事だ。百も承知だった。しかし、いざ目の当たりにすると、心にぽっかりと穴が開いたような寂しさや、いつも隣にいたはずの彼女の姿がないという喪失感は、想像以上だった。
「尻尾が二本に増えても良いから、一緒にいたかったな……」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた時もあった。
――おねえちゃん……――
「……誰?」
まただ。
タエは真夜中に目が覚めた。最近、よく夢に見る。誰かが自分を呼ぶ夢。聞いたことがない声のはずなのに、どこかで知っている。何故かは分からないが、確信があった。今日は特にその声が大きい。
「……ハナ、さん?」
名前を呼んでみる。ずっと一緒に育って来た我が家の大事な一員。ペットなどという言葉では収まらないほど、彼女の存在はとても大きく、家族の心を和ませ、癒し、一つにまとめてくれていた。ハナが亡くなったのは、一年前。タエが十五歳の時だ。
既にこの世にいない愛犬だと思うなど、どうかしている。しかし、タエはその名を呼ばずにいられなかった。するとたちまち、ゴウッという音と共に、体を引っ張られる感覚に襲われる。そして悲鳴を上げる間もなく、突風は去った。
「な、な!?」
タエが目を開けると、足元には砂利、湿った木々の臭い、そして流れる水の音。
「え……え?」
自分はいつものように自宅の部屋で寝ていたはず。明日は数学の小テストにどんよりとした気持ちだった。
「ゆめ、やんね……」
ひんやりとした砂利は、裸足には少々辛い。季節は夏に近付いてきているものの、夜中は冷える。辺りを見回して、ここがどこか理解した。
「貴船神社……? なんで……」
京都は鞍馬山の隣、貴船山の中に建つ神社。縁結びで有名で、側の川床は、夏には観光客でいっぱいになる。
タエはこの神社が気に入っていた。とても惹かれるものがあったし、清らかで、参拝が一年に一度しか行けなくとも、ここは聖地で心身ともに癒される。
そんな場所に、タエは一人佇んでいた。
「お姉ちゃん、助けて……」
「?!」
消え入りそうな声が、また聞こえた。耳をすませば、神社の奥からのようだ。夜の山中は、思った以上に怖い。風で揺れる木々の音でさえ、恐怖心を増す道具でしかないのだ。昼間の活気がウソのよう。
タエはそれでも足を進めた。
「夢……のはずやから、何があっても大丈夫。夢なんやから!」
そう自分に言い聞かせて、声が聞こえた方へ向かった。
バチィッ!
「っく……」
ハナが悔しさの声を滲ませた。自分がいる場所の四方には水晶が地面に埋め込まれ、それらが緑の光で繋がり、一種の檻を作り上げていたのだ。その光に触れれば、電流が走る。
ハナは檻の中で、動けずにいた。
「お姉ちゃん、助けてーー!」
「やめてっ!!」
目の前で「お姉ちゃん」と助けを請うているのは、灰色の皮膚をした巨大なトカゲのようなモノ。時折、自身も緑の光を放ちながら、水のように透き通る。不思議な生き物が、ハナの声色を真似て、タエを呼んでいるのだ。それにハナは怒っていた。
「タエお姉ちゃーーん!!」
「やめろって、言ってんだ!! 誰なんだ、お前は!」
がるる、とハナが唸る。トカゲはにたりと意地の悪い笑みを浮かべているだけだ。
「どうか……どうか、来ないで」
ハナは祈っていた。しかし、心の奥底では、また会いたいと思っていることも自覚している。会いたいが、今、この状況での再会はダメだと思いを振り切る。
「お、来た来た」
トカゲが喜々として声を上げた。ハナは檻に触れないギリギリの所まで寄り、目を凝らす。
「お姉ちゃん……。ダメ、来ちゃダメーー!!」
「え、え!?」
タエは足を止めた。自分を呼んだと思えば、今度は来るなと言う声。既に奥の宮への参道を小走りで来た為、引き返すわけにはいかない。それに、タエにも緑の光がチカチカしているのは見えていたのだ。それが気になり、とりあえず様子を見ようと奥の宮の門をくぐった。
そして、目の前の光景に驚き、体が動かなくなった。
「ハ、ハナさん……。ハナさん!」
ずっと会いたかったハナが目の前にいたのだ。タエが走り出そうとした時、何かがタエの前に立ちはだかる。
「ト、トカゲ!? でかっっ!」
「あいつの所には行かせねぇぜ。あんたには悪いが、ここで消えてもらう」
「しゃべったぁ!?」
夢ならば何でもアリなのだろうが、自分の夢にしては、なかなかリアルだ。タエはどうすればいいのか分からず、立ち止まったまま動けない。ずっと裸足なので、足はじゃりじゃり砂まみれ。石を踏んで痛みもある。
「お姉ちゃん、もういい! 目を覚まして! 全部忘れて起きるのよ!!」
「ハナさんもやっぱりしゃべんの!?」
聞こえていた声が同じだったとホッとした。トカゲがひひ、と笑う。
「そうだよ。そいつの声だ。“タエお姉ちゃん”」
タエがトカゲを見た。トカゲは、にやりと顔を歪める。
タエは、自分を呼んでいた本当の声の主を知り、背中がぞわりと冷たくなった。
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