前世
シルビアスの過去編。
本当は1話でやるのが一番なんだろうけど、ユキルをどうしても描きたかった。
遡ること30年前。
シルビアスは、シルビアスとして生まれる前、杉尼海莉という杉谷家の1人娘だった。彼女の人生は今のような怒涛のようなものではなく、毎日が春のように穏やかだった。厳しくも温かな父に、優しくて朗らかな母、そして、大好きな夫の、葛西伊犂夜がいた。
「こら、海莉、あまり走るな」
伊犂夜の手を引っ張りながら、海莉は花火を見るために走っていた。
伊犂夜と、花火が見たい。
そのためだけに。
「何言ってんだよ、早く行かないと、花火が終わっちまうだろう?」
「おい、お嬢様がそのような口調で話すな。馬鹿者」
「伊犂夜の前だけだ。別に構わないだろ」
「はぁ、そういうことじゃないだろう、アホお嬢」
「なっ……言い方変えんな。結局バカにしてんじゃねェか」
「海莉にだけだ、別に構わないだろう?」
ただ、あの時は無駄口を叩きながら走っていた。
昔から、2人は仲良しだった。
花火大会を見に行くのは、出会って親友になってからの毎年の約束だった。恋人になってからも、ずっとずっと一緒に見に行っていた。
あの綺麗な花火を、自分の大好きな目の前の人と。
何回も、何百回でも。
それは2人とも同じ。
ずっと一緒にいようと約束して、結婚をしたから。
山の上に上がった後、一本桜の下に2人で座る。
「おお、素晴らしい」
「だな。今年の花火も当たりだ」
「ああ」
海莉の見つけた特別な場所で、伊犂夜と一緒に花火を見上げた。伊犂夜は、夢中で花火を見る海莉を見て、にこりと笑う。海莉は、伊犂夜のそんな笑顔が、大好きだった。
「海莉」
呼ばれて、自然と重なる唇。
海莉はそれを受け入れる。
優しい蜂蜜色の目が、海莉のいつも意地っ張りな心を溶かしていく。
お互いを、愛し合っていて、幸せだった。
海莉はただ、忘れられなかったのだ。
伊犂夜の、優しい笑顔を。
次回、『姉弟』