第45話 ありがとう
俺は七瀬さんと仁が帰った後、放心状態になっていた。
部屋に一人。ベッドに座り、壁に寄りかかったまま、呆然と天井を見上げる。
窓からは夕焼けの日差しが差し込む。俺は眩しくて目を細めるが、カーテンを閉める為に立ち上がる気力すらない。
俺は七瀬さんに別れを告げられた時、驚きはなかった。薄々、彼女が俺に対して感情がなくなっていたのは、実は早い段階で気付いていたのだと思う。
ループの力のせいで、俺の感情は完璧に麻痺していた。
いつも物事を解決、遂行することを重視するあまり、そこまで行く経過、努力を経験しなくて済む人生になっていた。
俺は七瀬さんに愛される為、サッカーで活躍した。
彼女も俺がサッカーで活躍することを望んだ。だから、活躍すれば、するだけ喜んでくれると信じていた。いや、信じ込もうとしていたのだ。
でも、そうじゃなかった。
水樹さんも言ったが、七瀬さんが俺に全国大会に行って欲しいと望んだのは、あくまで言葉の綾だ。
本当の望みは、全国大会に行ったという結果ではない。
全国大会に行けなくてもいい。ただ、俺が好きなサッカーを一生懸命取り組んで、仲間と笑って欲しかったのだけ。
そんなこと少し考えればわかることだ。
でも、俺は婆ちゃんを見殺しにしてしまったあの日から、ループで結果を残すことを第一に考えるようになった。だから、努力だとか、気遣いだとか、そういういろんなものが億劫になり、俺は全てを投げ出した。
世の中、結果が全てだ。
結果が悪くても、頑張ったのだから、それでいいは逃げ道。所詮、負け犬の遠吠えだと。
でも、本当にそうだろうか? 確かに結果は大事だ。でも、結果が全てではない。
仮にその時の結果が悪くても、本当に頑張ったという過程があれば、その次の結果は良い方向に転ぶかもしれない。むしろ、失敗した先の方が、面白い人生が待っているかもしれない。
俺は中一の時、全然サッカーで活躍出来なかった。シュートも決められなくて、落ち込んでいた。でも、そんな俺を七瀬さんは大声で応援してくれたのだ。
あの時、俺がサッカーで普通に活躍していれば、七瀬さんの応援もなく、七瀬さんを好きになる事もなかっただろう。
そして、もしかしたら仁とも、水樹さんとも仲良くなることもなかったかもしれない。
そういえば七瀬さん、さっき帰る間際に「名取君。アネモネの花言葉知ってる?」と、言っていたな。
俺はスマホを取り出し【アネモネ 花言葉】と検索する。
出てきて最初に驚いたのは、アネモネの花言葉が色によって違うということだった。アネモネには赤、白、青、ピンク、紫、とある。
アネモネの赤は【君を愛す】
まさか、この花を勧めた理由って、水樹さん告白の意味を示したものだというのだろうか。
俺は一瞬、ドキドキしてしまったが、すぐに過去の記憶を思い返し、それは違うと確信する。
実はアネモネの花を勧めてくれた時、俺が赤の方を手にすると、水樹さんは『それは違うわ』と、却下された記憶がある。俺が勧められたのは紫のアネモネだったはずだ。
アネモネ紫の花言葉は……えっ。これは、まさか。
俺は頭の整理をした。これって、もしかして。いや、そんなはずはない。でも、それなら過去の出来事も説明がつく。
水樹さんは知っていた? いや、だとしたらいつから?
頭が混乱している中、いきなり下から「総。ちょっと来なさい」と、母さんが呼ぶ声がする。
ああ、もう。今、頭の整理をしている最中だというのに。
俺は渋々と下に降りると、母さんが慌ただしく、出かける準備をしている。
なにかあったのだろうか?
「どうしたの? そんな慌ただしくして」
「ああ、総。今ね、新庄のおばさんから連絡あったんだけど。新庄のおじさんが仕事中、事故に巻き込まれたみたいで。今病院に運ばれているみたい。危険な状態なんだって」
早口に状況を説明する母さん。付けていたエプロンを外し、慌ただしくクローゼットから服を取り出している。
「危険な状態って。新庄のおじさん、確か子供二人いたよね。まだ小学生の」
「そう。縁起の悪いことはいいたくないけど。あの歳で父親を失うのは辛いわね」
母さんは素早く支度を済ませると「また電話するけど。今日はお父さんと一緒になにか食べなさい」と、一言告げ、さっさと家から出て行ってしまった。
取り残された俺は居間で一人、ポツンと静寂な空間に取り残される。
不意に視線が感じ、その方向に目を向けると、婆ちゃんの仏壇がそこにはあった。
何故だが、写真に写る婆ちゃんが俺を手招きして、呼んでいる気がした。
俺は婆ちゃんの仏壇前に座り、線香をあげる。
前は習慣としていたアネモネの水遣りや、ロードワークはサボっていたが、婆ちゃんの線香やりだけは一日も欠かさずにやっていた。
それは償いみたいなものだったのかもしれない。
俺は婆ちゃんに謝らなければいけないのだ。いや、謝って済む話しじゃないのは十分承知している。大事な家族が死んで、助ける術があったのに助けなかった。
冷酷非道だと罵られて、非情な奴だと言われて当然。いくら責められても文句は言えない。
むしろ、滅茶苦茶に責められ、立ち上がれなくらいにボコボコに、ぶん殴って欲しかった。その方が俺は救われたかもしれない。
誰も俺の力を知らない。
だから、誰も俺を責めなかった。責めるどころか皆、婆ちゃんが死んだことに対して、同情してくれた。俺はそれが苦痛で堪らなかったのだ。
『総ちゃんは優しいね』
幻聴だろうか。
突然、写真から婆ちゃんの声が聞こえた。あののんびりとした、優しい婆ちゃんの声が。
婆ちゃん、違う。俺は優しくなんてない。冷酷で非情な奴なんだ。
俺は婆ちゃんを見殺しにした。そして、七瀬さんも傷付けた。七瀬さんだけじゃない。きっと、この力のせいで、仁や水樹さんも傷付けただろう。
サッカー部の人達も俺の知らない、いろんな人達を。
謝っているのに、婆ちゃんは怒ることも、冷たい目をすることもない。写真の婆ちゃんは俺に笑って『もういいだよ。総ちゃん』と俺の過ちを優しく包み込んでくれている気がした。
次の瞬間――僕は泣いていた。
婆ちゃんが死んだ時も流さなかった涙が――。今になって、ダムが崩壊したように止まらず、ボロボロと涙がこぼれ落ち、ついには嗚咽を漏らし、僕はその場にうつ伏せになり泣き続けた。
ああ、僕はもっと早く気づくべきだった。
婆ちゃんは僕のこと、ずっと呼んでいたんだ。
僕は毎日、線香をあげていたが、婆ちゃんの写真に目を合わせるのが怖かったから、ずっと気付かなかった。
婆ちゃんは死んだ後も待っていたのだ。
孫に裏切られたと知りながらも、僕を正しい道へ導くように、ずっと手を差し伸べていてくれていた。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
僕は近くにあったティッシュで顔を拭くと、婆ちゃんの写真を真っ直ぐに見つめて言った。
「ありがとう、婆ちゃん。それとごめんね。僕が弱かったせいで、いつまでもこの力を手放すことが出来なかった。こんなこと言える立場じゃないけど、本当は婆ちゃんともっと一緒にいたかったよ。これからも僕が間違った道を歩まないよう、見守っていてね。本当にありがとう。大好きだよ、婆ちゃん」
素直な想いを伝え、胸に手を当てると、僕は呪いの魔法を唱えた。
ループ。
そのループは新庄のおじさんを助ける為に。
そう。俺はやっと、呪われた魔法――ループを手放した。
第五章 終




