76話 富国があって強兵が達成出来る 3
勤勉や勤労は確かに美徳ではある。
だが、それだけが全てではない。
人が人として生きるために必要な事ではあるが、それだけをする為に生きてるわけではない。
遊びや娯楽というものもまた人には必要である。
労働とは生活に必要な物を得る為の手段であって、それが目的などではない。
働く事が楽しみ、楽しみを労働にしてる場合もあるだろう。
そういった事ならばともかく、そうでない者もいるのだ。
そんな者達に、目標達成まで我慢を強いるのは酷である。
多少の我慢は必要にはなるだろうが、それは期限付きでなされるべきだろう。
いつ終わるともなく続けられる勤勉や勤労は苦痛でしかない。
そんな苦痛が何をもたらしたのかは、かつての敗戦が物語ってる。
確実に勝利や成果が得られるなら、苦痛や苦難も堪えられる。
しかし、それが無駄に終わってしまったら、その後に続くのは虚脱や反抗である。
やってきた事が無駄に終わったとなれば、やる気は喪失する。
復活することもないかもしれない。
そのまま廃人となっていく事もありえる。
そうなったら、労働力が確実に喪失される。
更に酷い場合は、反抗に至る可能性もある。
無理を強いられ、それでも我慢し、それでいて全てが失敗に終わる。
だったら、今まで無理を我慢してきたのは何だったのか、と思う者だって当然出て来る。
そういった者達がその後も無理や我慢を受け入れる事はない。
それどころか、今まで指示や命令を出して来た者達への反抗を始める事もありえる。
暴動が多発する事も考えられるのだ。
結局、見返りが必要という事になるのかもしれない。
苦しくても頑張って努力し、とにかく仕事に勤しむ。
その成果が無ければ、全てが無駄になるのだ。
費やしていた労力や時間が。
『タダ働き』
分かりやすい表現を付けるならばこうなるだろう。
何の成果も得られないというのは、無料で働かされるようなものである。
そんな事を強いられて喜ぶ者がどれだけいるのだろうか。
大半の人間は、そんな事を強いられたら怒りを抱えるか、やる気を無くすだろう。
『欲しがりません、勝つまでは』
というのは、このタダ働きを言い換えたようなものであるのかもしれない。
それでも成果が出るなら良いが、必ず結果が伴うという保障があるわけではない。
もし、全てが無駄に終わったら、その時この状態を作り出した者達に怒りが向かう事になる。
だからこそ、新地道の中枢にいる者達は、こうならないよう極力注意をしていった。
最悪の事態に陥った場合、火の粉をかぶるのは自分達になるからだ。




