第ニ界『風は吹く』
「どうだ?出れそうか?」
隣のバンダナのようなボロ布を被った青年は、
土壁の割れ目に手に持った小さな燭台を近づけながら話しかける。
「いけるかいけないかで言ったら、いくしかないって状況だ」
少年は背にある木製の扉に掛かった閂を両手で抑えながら問に答える。
「そうか、なら行くぞ少年!」
青年は手に持った燭台を地面に叩きつける。
「誰が少年だ!」
答えた少年は閂を外し、扉を勢いよく開け放つ。
扉の外は闇に包まれ、青年と少年を照らすのは、
世界を100年照らし続けてきた機会仕掛けの球体、通称”ツキ”。
しかし、その明かりは、弱く、今にも消えそうに明滅していた。
時は遡り——
数日前 アムル孤児院
「先生、次の”ツキ”補修要員、また通知が来ています」
先生と呼ばれた白髪の男性は軋むイスに深く腰掛け頭を抱えていた。
「またか、もう何度目だ―—」
声を掛けた女史は手元にある分厚い本をめくりながら
リストの名前を読み上げて行く。
「エイナ・ステイン、カルト・オズマ——」
その名前を聞きながらこの世界の有り様を思い返す。
200年前に存在した世界を照らす太陽は突如光を失った。
原因は幾度となく議論されてきたが、未だ解決には至ってはいない。
その日から世界は50年、闇の中で続いてきていた。
しかし人類は旧世代の技術と地脈から見つかった鉱石を使い
疑似太陽を作り出すことに成功する。
以来、世界は再び光りを取り戻す。
しかし100年程前からその光にも陰りが生じ始め、
数多の補修作業で衛生灯球、通称“ツキ”は限界を迎えていた。
補修作業に向かう為の資源も枯渇し始め
窮地に立たされた時、異邦の力を操る”神仕族”が現れ
彼らの特殊な力で再び補修作業は再開された。
しかし彼らは世界を照らす光を代価に、支配を広げた。
アムル地方を統治する神仕族により毎月無作為に生け贄が選ばれる。
彼らの言葉を借りれば、神を救う“・天の使い”として扱われる。
そして補修作業に向かうために作られた旧世代の異物
”羽根付き”と呼ばれるそのからくりは片道切符の欠陥品で
乗っていった者は二度と帰ってくることはなかった。
人々は、世界を照らす光の代価に命を差し出し続けた。
誰もが予想した通り、年々人口は減り、
ツキは徐々に光を失い、この未世界の仕組みが
崩壊するのは最早、時間の問題だった。
ーアムル飛行場東門 監視小屋ー
勢い良く外に飛び出した少年と青年の前には
神仕族により作り出された魔導兵が蠢いていた。
彼らに意志はなく、基本的に動くものや音に反応し
排除する、それが彼らの役目であった。
少年らは小屋を出た外の木陰に身を隠す。
「策はあるのか?少年」
ニヒルな口ぶりで少年に問いを掛ける青年。
「策もなくこんな所にはこない」
そういった少年は腰に巻いた布の中から
手のひらに収まるくらいの球体を3つ取り出す。
「それは?」
「白火球だ、知らないのか」
「発火、ということは燃えるのか?」
「少し違う、破裂すると同時に白い火をまき散らすんだ」
「なるほど、ようは目くらましか」
「そうだ、でも、目くらましでもあるだけましだ」
少年はその球を握りしめながら、思い出す。
ー3年前ー
時刻は”ツキ”が明滅して半刻。まだ人々が寝静まった朝。
少年は、孤児院の門の前から空を見上げていた。
今日からこの場所での生活を送る。
あの人に出会い、救われ、その手を握り返した。
その時の温もりは、今でもすぐに思い出せる。
そんな人が暮らすこの孤児院で今日から生きて行く。
僅かに生き繋がるこの未世界で、足掻いて行く。
「あなた、だあれ?」
不意に掛けられた声に、視線を空から前に戻す。
するとそこには自分と同じくらいの年齢の茶っ毛の少女が
珍しいものでも見るように立ちすくんでいた。
「えっと‥」
問いかけになんと答えようか少年が考え込んでいると
少女はゆっくりと門を開けてこう言った。
「朝早起きしてる子に、悪い子はいないよね?
ようこそ、私達の孤児院へ」
差し出されたその手と、屈託のない笑顔。
思わず無意識に出された手を振り絞った力で掴む。
その時、夜の寒さで冷えきった冷たい頬を温める
優しく柔らかな風が、2人の間を吹き抜けていった。
ー現在ー
「何だ?急に静かになって、怖じ気づいたのか?」
「そんな訳ないだろ」
「確認しておくが、少年。
君をさっき助けたのは私だ」
「ああ」
「さらに言うなら、君一人では
この作戦は失敗する」
「分かってる」
「つまり君の無謀を現実に変えているのは
私のよるものが大きい」
「分かってるよ!何だよ!
言いたいことがあるならはっきり言え!」
「そう声を荒げるなよ、少年
私は既に君と約束をした、それを違える気はないよ」
「だったら黙ってろよ」
「ふー、そうかい、分かったよ
君の目的であるカラクリの奪取に専念しよう
私の目的はその後にあるのだからね」
「あんたこそ、本気でやるつもりか」
「本気かそうでないか、そういった感傷は特に持ち合わせていないな」
「だったら何の為にこんな無茶に付き合う」
「理由は語るに値しないが、付き合うのは
一重に君に興味があるから」
「興味、ねぇ‥・」
「不満かい?」
「いや、あんたにどんな裏があっても関係ない
俺はやると決めたことのためにここにいるんだ
利用出来るものは何でも利用してやる
いつだってそうやって生きてきた」
「そうかい、そういう言い方をするのは
余り好みではないが、君にも思う所があるのだろう
無為に否定はしないさ」
「そうしてくれると助かる」
会話に一区切りをつけ少年は白火球の一つを青年に差し出す。
「何だい?」
「あんたも一つ持っとけ」
「君のものだろう?」
「俺に何かあった時はそれ使って逃げろ」
「君は始めから失敗をするつもりなのかい?」
「そんな訳ないだろう、ただ万が一――」
「万が一、そんな言葉に縋って君の不安はなくなるのか?
君の目指す場所にたどり着けるのかい?」
青年は手にした球体を空高く投げ飛ばした。
「な――」
瞬間、破裂音と共にまばゆい光が辺りを埋め尽くす。
その光を背に青年は少年を見る。
「さあ、これで君の万が一はなくなった
後は君はやるしかない」
「馬鹿かお前は!!」
少年は青年の腕を引っ掴み、木陰を駆け出る。
「私は馬鹿なのか?」
「大馬鹿だ!!何してくれてんだ!」
「そうだな、先を照らす灯りが必要かと」
飛行場をまっしぐらに駆け抜ける2人の背に
破裂音で気付いた魔導兵が奇声をあげてこちらに迫ってくる。
「お前が照らしたのは俺たちの人生の終わりだ!」
「私の人生はまだ終わらんぞ」
「お前もう黙ってろ!!」
少年は残り2つのうちの一つを自分たちの向かう
倉庫とは逆側に力一杯投げる。
瞬間、再度破裂音が鳴り響き、白光と共にあたりは一層明るくなる。
一部の魔導兵はその音に踵を翻し散って行く。
「目的地はみえてるだろうに、勿体無い」
「そっくりその言葉、お前に返す!」
「そうか?ありがたく受け取ろう」
目的の倉庫の扉前に辿り着く2人。
少年は巨大な鉄の扉に手を掛け叫ぶ。
「あんたも手伝え!」
「この扉を開ければいいのか?」
「見れば分かるだろ!?」
「おっと」
扉に手をかけようとした青年は背後にいた
魔導兵の振り下ろした剣戟をするりと交わす。
交わした剣戟はいとも簡単に鉄の扉の一部を陥没させる。
「あぶないあぶない」
青年は微塵も不意打ちを受けたという振る舞いではなく
至って自然な振る舞いで魔導兵の前に立っていた。
「中に飛び込め!!」
少年の声に咄嗟に青年は一人分開いたその扉の中で
身体をねじ込む。瞬間、3度目の破裂音と白光。
魔導兵はその光に視界を奪われる。
「これで最後――」
背筋が一瞬にして凍り付き、瞬間首を捻るとそこには
魔導兵の剣戟が頭蓋に当た――
『穿て(ヴェーゼ)風よ(ソル・カルマ)』
うなじと剣戟の狭間に意図的に生まれた風が
少年から魔導兵を一瞬にして吹き飛ばす。
その事象は生まれてから話しににしか聞いたことがなかったが、
おそらく間違いないだろう。
青年は鉄の扉からひょっこり顔を出す。
「怪我はないか?少年」
その青年の何もしていない、というような表情は
その場で浮かんだ疑問を喉元で飲み込ませた。
人知を超えた力、話しに聞く限りでは神仕族にしか使えない力。
その名は――
「”魔法”‥」
「どうした、少年?」
少年の呟きに青年は表情一つ変えずに質問する。
その問いに答える前に青年は言葉を続ける。
「少年、急がないとまた来るぞ」
青年の声に扉の外を見るとこの倉庫に向かって
迫る魔導兵、その数――
「数えてる暇なんかあるか!!」
少年は踵を返し走り出す。
後を追いかける青年。
すると2人の前に筒型の探し求めていたカラクリが現れる。
「これか?」
「ああ」
少年は拳を握りしめる。
「とにかく乗り込むぞ」
「承知した」
少年らはその筒型のカラクリの座席に座る。
すると鉄の扉が勢い良く開け広げられ魔導兵が倉庫内になだれ込む。
「来たぞ、少年」
「分かってる!!」
少年は乗り込んだ座席から触れる場所にある機械を
手当たり次第触るがカラクリに反応はない。
「くそっ!くそっ!!くそっ!!
何で動かない!?」
「どうした少年」
「ここまで来て、こんな、こんな所で終われるかっ!!」
機械に握った拳を叩き付ける少年。
青年は呆れ顔で座席から腰をあげ立ち上がる。
「少年、君は甘いな」
項垂れる少年は言葉を発しようとはしない。
「私は約束をした、覚えているな?」
魔導兵がカラクリに群がり始める。
「君はあの”ツキ”(場所に)そして私は”ツキ”を取り戻す
それが交わした盟約だ」
魔導兵が身動き一つ取らない少年の首を掴み座席から引っ張り出す。
さらに青年に掴みかかる幾多の兵。
「故に、名を呼ぶことで私は一度、君の願いを叶えてやる」
少年の首が魔導兵によってしまっていく。
「少年、選べ、君の世界はここで終わりか?」
少年の脳裏に一片の記憶がよみがえる。
『きみと出会えた世界だから、私は
どんなことがあっても、この世界が、大好き』
『だから、君と、生きていたいよ、ずっと‥‥――』
少女の涙を奪ったこの世界は、同時に少女が大好きだった世界。
あの日、この世界から彼女を取り戻すと誓った。
その声と脳裏に焼き付いた記憶が少年の息を吹き返させる。
がむしゃらに魔導兵を蹴り腕を振りほどき
その腕から逃れカラクリの上に叩き付けられる。
「――じゃ、ない」
「聞こえないな」
青年の姿は魔導兵により見えなくなる。
「終わり、じゃない、こんな、こんな世界で」
少年は折れかけた足で立ち上がる。
「終わってたまるかぁぁぁあぁぁ!!!!!!」
その少年の叫びは、一瞬、魔導兵の動きを止めた。
「その願い、叶えよう」
その声の聞こえた刹那。
青年の周りの魔導兵が一瞬にして肉塊になり飛び散る。
その血飛沫を浴びた青年は”ツキ”に照らされ怪しく赤く光る。
その青年の鋭く澄んだ蒼い慧眼が少年の瞳と交差する。
その瞬間、この未世界が生まれて始めて
人の意思を持った風が、世界に吹き始めた。