第二十九話 対オーマ兵器
唇に何かが触れる感触。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
見開いた目から伝えられるのは、俺の知る女の子の顔をあまりにも近くから捉えた映像。
「・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
そっと離される互いの体。すぐ目の前にあった目蓋も離れて行く。背伸びしていた足を踏みかえ、俺の顔を引き寄せていた手を降ろし所在なさげに漂わせる。俺の正面に立ち、視線をどこへやろうか迷わせた末、真っ直ぐ俺にぶつけてきた。そんな様子に。
「・・・・・・・・・・・・・・っ」
我に・・・・返ってしまった。
キスなんかで・・・。いや逆にキスだったからなのか。唐突に、自分は何をしているのだろうと自己回顧に入ってしまった。
ヒメを見る。顔が耳まで真っ赤だ。なんでやった本人が恥ずかしがっているのだろう。かくいう俺も人のことは言えないのだろう。顔が熱い。キスしたとかされたとか、そんなことよりキスで我に返ってしまった自分が恥ずかしい。
「本当に・・・キスで我に返っちゃうものなんです・・・ね」
そんなことを恥ずかしさを誤魔化すような笑みで言われた。俺へのからかいの意味もあるのだろうが、それ以上にヒメが照れまくっていて―――。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
なんだこの空気。
手のひらで顔を隠す。恥ずかしい。本当に何をしているのだろう。こんな時に・・・。いや違う、反省するのはそこじゃない。
本気で・・・・消し飛ばすつもりになっていた。町ごと。人間ごと。勇者のすることじゃない。あそこにはゾンビなどいない。みんな勇者として守るべき者達なのに。
(そうだ。我に返ったなら先にやるべきことがあるだろう)
冷静になろうとする。魔力を納めようとする。あまりに大きすぎる力に制御が効かない、なんて事は無かった。たった一言戻れと念じる。「戻れ」と。それだけであふれ出す魔力は一気にその量を減じた。だが。
「ヒメ、頼む」
「・・・・え?」
「二人を、助けて来てくれ」
多分今のまま俺がやると被害が大きくなる。ヒメに頼るのが今の最善だった。
「あ・・・・・はい!!」
ヒメは俺の頼みを理解するや、シャルの下に駆けつける。その切り替えの早さはさすがだ。それを見届けようとして、できなかった。急激な疲労が全身を襲う。膝から崩れ落ちていた。
「反動か・・・?言うほど使ってないだろ・・・」
全身から力が抜ける感覚。いうことを聞かない体にやむなくその場に座り込んだ。
「なんすか・・これ・・・・うぷっ・・・」
突如発せられた巨大な魔の力の奔流。魔法使いとして魔力の状態に敏感だからこそシャルにはそれが多大に影響した。
息が詰まるような感覚、まるで重力が増したかのように体中が重くなる。
「はあ・・・は・・・・ぐ!!」
ただでさえ長丁場の中、MPを消費し、防ぎきれないダメージがHPをすり減らしていった中でさらに追い打ちをかけるようにこの事態だ。
結界が揺らぐ。意識が朦朧としてくる。
ここで倒れたらクロさんが・・・。
――パリンッ
しかし無情にも結界が砕ける音が響く。
「こいつが引き起こしたんだ!!こいつを倒せば―――!!」
町人の叫びが聞こえる。この異常事態の原因をシャルに定めたらしい。
膝をつく。だめだ、倒れるな。顔を上げろ。
「―――っ!」
自らを鼓舞し、意識を保つ。
必死に顔を上げた先、そこに見えたのは。
自らに武器を振り下ろし襲い掛かる町人の群れという、残酷な情景だった。
「・・・・!!」
魔法が間に合わない。諦めの心と共に目を強く閉じる。次に来る痛みに耐えるために。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかしその痛みは来なかった。
「・・・の野郎・・・」
「・・・・へ?」
いつまでたっても来ない痛みにシャルは恐る恐る目を開いた。
目を開いた先、そこにシャルを庇うように立つ誰かの背中。その者に助けられたのだと理解する。
低い背に小さな背中。とても頼りないくせに。
「・・・・・・」
風に煽られフードがめくれ上がる。
そこにいたのは白銀の耳とたゆたう尻尾をそなえた、名前も知らないあの少年だった。
「大丈夫?シャル?」
「はっ!」
その声に、シャルは状況の変化を悟る。気づけば重苦しい魔力もある程度収まっていた。さっき一瞬ピンクに変わった気がしたのは気のせいだ。
「ヒメ様!―――と・・・何であんたがここにいるんすか!?」
シャルの驚き。隣り合う様に並び立つヒメと少年。
「ちっ」
舌打ち。
「ちょっ!何でそこで舌打ちなんすか!?」
「えっと、本当に何でここに?」
ヒメもまた予想外の協力者に、わずかに目を向けながら尋ねる。
「・・・・・・」
無言。無視。
「あの~~」
「散歩してたら通りがかった」
「あからさまな嘘じゃないっすか!!」
あからさまな嘘だった。
「うるせー」
少年の尻尾がシャルの目の前で落ち着かなさげに揺れていた。
そんな会話中、町人は警戒するばかりで手を出すことは出来ない。その小さな魔族の存在は場を支配してしまっている。まるでシャルを警戒して取り囲んでいるときに逆戻りしてしまったかのようだった。
「・・・・・」
ふと目を離した瞬間町人たちは退き、状況は一変していた。突然現れた魔族の少年とヒメ達が二言三言、言葉を交わしているようだが、距離を保ち事態の推移を見守っているオーマにはその会話が聞こえない。
デルタ山の頂上で待ち受けていたあの少年。それが何故今ここに現れたのか。
(シャルを・・・・いや、クロを助けたのか・・・?)
そうこう考えているうちに少年は周囲を睥睨する。
「さて・・・来ねえのか?じゃあ、こっちから行かせて―――どわっ!!?!?!」
セリフの途中で、少年がその頭を後ろから魔法で撃ちぬかれた。氷属性の魔法。
「ふっふふふ・・・引っかかったっすね、このわんころ魔族!そこの魔族を捕まえてたら取り返しに来るってわかってったっすよ!!」
シャルが声を張り上げる。地面に横たわるクロを指さして朗々と語る。この距離でも聞こえてくるほどにはっきりとした声で。
「なっ!?クロを利用してたってのか!?」
氷の槍が当たった後頭部をさすりながら少年は驚きを返す。本気で驚いている。
「ふ、今更気づいても遅いっすよ!!来たれ真紅の豪炎・・・・生を贄としその身を灼熱の牢獄へと変えろ・・・・早く逃げるっす・・・・・・・・・」
偽詠唱しながらぼそっと囁かれた何らかの言葉に、少年はしばらく黙り込んでいたかと思うと呆れたような顔をし、次にオーマの方を一睨みしたかと思うとクロを抱えその場を離脱した。
「火の果て・・・そこに炭は無く灰は無く塵は無く・・・・万物万象、等しく無慈悲なる終わりを与えん・・・・・・っと逃げられちゃったっすね。というわけであの魔族を囮に上位の魔族を捕まえようとしてただけっすよ~あはは、あはははは」
魔力を納め、ぎこちなくシャルは笑った。
(もうちょっと何とかならないのかあの演技は)
離れた場所から見ているオーマは心の中でつぶやく。都合よくやって来た魔族の少年を理由にこの場を治めようとしているのだろうが、流石にあれに騙される人間は・・・。しかし、そんなオーマの危惧に反して。
「「「「「うおおおおおおおおお!!!!!!!」」」」」
上がったのは大歓声だった。
「すっかり騙されてたぜ!」
「やるじゃねえか嬢ちゃん・・・悪かったな疑っちまって」
「まあ、なんて勇敢な魔法使いさんなのかしら」
「ふっ、その勇気には脱帽だ・・・小さき賢者よ」
「あは、あはははは」
(もしかして、最初から勇者一行を名乗ったら信じられたんじゃ?・・・・いやいやまさかまさか。うちの判断は正しかったっすよ・・・)
「・・・・・・」
あまりにもあまりな掌返しにいらっとする。自分たちがしたことは忘却の彼方か?
やがてシャルのぎこちない笑顔を残して波が引くように人は消えていった。その時には既にオーマの魔力の暴走も収まっていた。町人たちにはあの少年が原因と捉えられただろう。だが、収まったというよりは使い切ったという方が正しいかもしれない。
立ち上がる。全身が倦怠感に包まれている。早く寝たい。リアン城に召喚されてから初めて感じる肉体的疲労だ。やはり勇者といえども疲れるときは疲れるのだろう。
無事シャルと合流して遅れたことを謝罪しようとしたら、
「な、な、何なんすか!あいつ~~~~~!!!!!!!」
シャルが荒れていた。地団駄を踏んでいた。
「でも魔族同士でクロちゃんのことも知ってたみたいだし・・・悪いようにはならないんじゃないかな?」
「そんなことはどうでもいいっす!!問題はこのうちがあんな単純バカに助けられたことっすよ!!!」
そんなこと言われてるぞクロ。
「だから、今すぐ追いかけるっすよ!!追撃戦っす!!!」
ばさっと漆黒のマントを腕で払いのけシャルはそう宣言する。
「いや、別にそんな必要は・・・」
体の疲労から休憩を提案したいオーマであったがそれを言い出すこと叶わず。
「とにかく追いかけるんす!!!」
手を掴まれ引きずられていく。
「はあ」
「・・・・ふふ」
ヒメは楽しそうだった。
シャルとクロが危険な目に遭っていたことにキレていた自分が馬鹿みたいなはしゃぎっぷりだ。あっさりと事態も解決してるし。あ~さっきまでの自分が恥ずかしすぎる。
さっきの門とは逆の方から町を出て周囲を探索することとなった。歩くだけなら何とか・・・だめだ、死にそうだ。ステータスを確認する。
赤赤赤赤赤赤赤
赤 オーマ 赤 ヒメ シャル
赤HP 1赤 HP999 HP 88
赤MP 0赤 MP542 MP134
赤Lv 38赤 Lv 99 Lv 55
赤赤赤赤赤赤赤
所持金3499G
あ、だめだ赤々してる。それに気のせいかと思っていたがさっきから視界も真っ赤だ。何だこれ。
というかさっきレベルアップしてたよな。全回復したはずだよな。あれ?なんでこんなに俺疲れてるんだ?さっきから赤いオーマという文字が点滅し衰弱、オーマ、衰弱、オーマ、と繰り返されている。俺は衰弱しているらしい。
そんな俺の様子に気づいたのかヒメが心配そうに窺ってくる。
「オーマ、少し休んでてください。あ、それとも抱っこした方がいいですか?私によるお姫様抱っこです」
「遠慮する」
ヒメなりの気づかいだったのだろう。選択の余地なく休むことになった。シャルの手を離し町の門壁に背中を預ける。それを受けてシャルは何か言いたそうに悩んでいたが、思い直したのかヒメと二人で向かうことにしたようだった。
見渡す限り平原である。方向によって先に山や森が見えるが、距離がある。オーマもシャルも消耗しているこの状態で遠距離まで捜索することは出来ない。だが、それでも良かった。
「ヒメ様・・・・あれ、一体なんなんすか」
シャルはオーマから会話の聞かれない距離に来たと見るやいきなりそう尋ねた。それはオーマについてのものかオーマの魔力についてのものか。あるいはあの狼男の子についてだろうか。シャル自身何を聞いているのか曖昧だった。オーマに直接聞くつもりだったが記憶喪失者に聞いてもどうしようもないと気付く。なのでヒメへと矛先を変えた。
シャルだって人族の中でトップクラスの魔法使いだと自負している。であれば気づく。先ほどの魔力の暴走が誰によって引き起こされたかぐらいは。そしてそれがどれだけ常識外れの魔力量を見せていたかも。以前ヒメが戦っていた時確認した魔王の魔力量すら、大きく上回っていたのではないか。
「あれ・・・って何?」
少し威圧的な問いがヒメから返ってくる。それは余計なことを知ろうとするなという忠告ではなく、オーマをあれ扱いしたかららしかった。
「魔力っすよ!魔力!なんなんすかあの凶悪な魔力は!?それこそ!」
なのであたかも最初からそうだったかのようにシャルは魔力に論点をずらした。その拍子につい出そうになった言葉をすんでのところで止める。
「それこそ?」
だがヒメはそれを許さず追及する。
化物だ。そう言おうとしていた。あの黒い魔力が渦巻いていた時、膝を屈したのはただ魔力に圧されたからではない。純粋に力あるものに畏怖したのだ。屈伏していた。シャルの持つ全てを以てして敵わないと思い知らされた。単純かつ暴力的に。
「・・・・魔族の物じゃないっすか・・・」
結局シャルは言うことにした。少し表現を変えて。
「魔力だけでそんなこと判断できるの?」
それがヒメには言葉通りに受け取られたようで、そこから聞かれたのはヒメの純粋な疑問であった。
ヒメ自身魔法については詳しくない。家系的にそういうものであるらしい。とはいえ最低限の魔力は使うことが出来る。『唯壱の型』や『破魔の剣』、身体強化などいわば付与系の魔法である。ヒメのそれは技術も相まって凄まじい戦闘力を生み出すのだが、純粋な魔力のみの扱いにはシャルの方がずっとすぐれている。
「出来ないっす」
そんなシャルから返ってきたのはヒメの思うものと同じだった。魔力の性質で魔法使いか魔族か判断することは出来ない。つまりはまだ推測の域を出ない・・・はずなのに。
「でも・・・」
シャルの中ではほぼ確信に変わっていた。勘でありながらも確信してしまったのである。証拠がない。だからこそヒメに尋ねた。
そもそもじゃあ、おそらくその・・・オーマの傍にいたはずなのにまるでケロッとしているこのヒメ=レーヴェンは一体どういう神経をしているのか。
「それを聞くために追撃だとか言い出したの?」
「はいっす。町の中でオーマ様が魔族だと判明しても困るから・・・」
「そう・・・」
ヒメはシャルの頭を優しく撫でた。
「何してるんすか・・・?」
「オーマの真似。オーマだったらきっとこうするなって」
「撫でられる要素は無かったと思うんすけど・・・」
「ふっ、甘いよシャル、可愛い子の頭を撫でるのに理由なんてないの!」
「誤魔化してるっすよね」
撫でるのを止めシャルを抱きしめようとしたヒメに鋭い指摘が飛ぶ。機先を制されてしまったヒメは、しかし気にすることも無い、とシャルを抱きしめた。
「ん。じゃあ、オーマが魔族だったらシャルはどうするの?」
何か答えを提示するでもなくヒメはまた尋ねる。まるで答えはシャルの中にあるとでも言う様に。
「どうするって・・・あの魔力、暴走が本格化してたら町ひとつ余裕で壊滅してたっす。それが魔族の物だったら言うまでもなく危険っすよ。だから・・・」
「うん・・・」
そうだ危険だ。だが危険だからどうする?その源を殺す?拘束する?奪う?封印する?それは本当にシャル自身のしたいことだろうか。
違う。敵じゃない。オーマ様は危険なことをする人じゃない。そんなことしたいんじゃない。うちがしたいのは。
「二度と暴走させないっす」
制御する。欲望のままに解放するなんて獣のやることだ。人間なら、人間でないなら人間らしくなるように、理性的に扱い向上してこそ真の魔法使いだ。
それがシャルのしたいことだった。
最初からうちは、あの人を最高の魔法使いにしたかった。魔力がとんでもない事なんて最初から分かっていた。それが少し暴走したくらいで何を揺らいでいたのだろう。
迷いからヒメに相談する形になったがあっさりと答えは出てしまった。ヒメ様に抱きしめられたこの状況が何か役に立ったのかは知らないが。
――でもそれは、シャル=ウィーチの手に負えることなのだろうか。
「シャル~~~~!!!!!!」
ヒメが何故か安堵と共にシャルを強く抱きしめる。感情の高ぶりからか、ヒメの悪癖が表に出ていた。
「やめ!!ちょっと!?やめるっす!!?」
シャルは逃れられないと知りつつもヒメの腕の中で暴れる。
「シャルが良い子すぎる~~!!!」
「あーもー!!!」
――ああ、大丈夫だ。この人がいる。
そうだ。とても簡単なことだった。
――うちだけじゃ無理でも、ヒメ様と一緒なら。
シャルはもみくちゃにされながらも、迷惑そうにしながらもその顔には笑顔が浮かんでいた。
――これに抗えるオーマ様を想像できない。
探索を終えたのか、帰ってきたシャルとヒメ。結局、少年は見つからなかったらしい。
「うう、この恨みはいつか晴らしてやるっす・・・」
「意訳すると、恩返しがしたいってことでいいのか?」
「良いと思いますよ?」
にっこり笑顔のヒメが答える。
「何か言ったっすか!?」
「いや」
「何も?」
「うぬ~~~~」
宿屋に帰る途中、シャルはずっとこちらにちらちらと視線をよこしてきたのには気づかないふりをしておいた。
恋する少女の目だとそれはそれで困ったのだが実験動物を見る研究者の目というのはそれ以上にどう扱おうか悩む。




