第七話 決意
そして、ヒメは語り始める。
「あるところにお姫様の女の子がいました。女の子は家族にも城にいる皆からも愛されていました」
まるで物語でも聞かせるように。
「女の子は守られていました。あらゆる危険、あらゆる害意から。なれば同時に、女の子は城の外に出ることを許されませんでした」
「はるかに広いといえど、たかが一城。幼い子供を退屈させるのはあっという間でした。ですがそれはよかったのです。両親は望むものを与えてくれましたし、兄にはたくさん遊んでもらいました。使用人や兵士の方にも可愛がってもらい、それだけ愛してもらえればこそ、文句はありませんでした」
大勢の人間の中心で太陽のように笑う小さなヒメを想像する。ヒメの周囲で皆笑顔を浮かべている。言われずともわかる、これはヒメの物語なのだと。
「あるときでした。女の子はいつものように、兄を遊びに誘い、ともに剣の稽古をしていました。兄と女の子は模擬試合をすることになりました。ことが起こったのはその時です。遊びの延長として。兄も十分手加減してくれていたのでしょう」
「その試合、女の子が圧勝しました。女の子は手加減しすぎだと兄を笑いました。ですが兄にとっては違ったようでした。再び試合をしました。結果はやはりまた女の子の圧勝。毎日訓練している兄に対して、たまに兄に付き合い剣を振るだけの少女が、です」
「その日から兄は一層、訓練にのめりこみました。以来、兄と女の子が試合をすることはありませんでした。ともに剣を振ることも兄が断ったためになくなりました。実を言うと一人で訓練自体はしていたんですけどね。また兄と遊びたかったから」
ユーシアの行動。何故そうしたのか、それは本人でなければわからない。
「それ以外のことでは兄はいつも通り優しかったですし、遊んでもくれました。そんな風に、恋とは無縁でしたが、十分に幸せな日常でした」
「次にことが起こったのはそれからしばらくしてからです。辺境の地、魔族領との境のある小さな村に魔王軍が攻めてきました」
俺とは関係のない話、そうも言ってられなくなった。
「あらかじめ魔王の宣言があったため、ほとんどの村人は既に逃げていました。魔王軍に抗う為に集った、義勇軍を除いて」
聞いたことがあるかもしれない。最初に攻撃した村、村人は逃げたが、数人の人間が残り、魔王軍と戦ったと。だが多勢の魔族にかなうはずもなく。
「義勇軍は魔族に敗北しました。その義勇軍の中には兄の親友がいたそうです。兄は次期国王として、民と交わり、遠い領地に国王の名代として視察に行くことも多かったですから、その時に知り合ったのでしょう」
「親友が亡くなったと聞いたとき、兄は悲しみました。食事もとらず、夜には悲嘆の声が兄の部屋から聞こえてきました。次に会ったとき、兄はまるで別人のように痩せこけていたほどです」
「それから兄は、妹になど目もくれず、ただ一心に剣を振るいました。そのときには、国内に兄を超える剣士はもういませんでした。ですから、ただ一人で剣を振っていました」
思い出すのは、昨日、ユーシアをさらった時のユーシアの鬼気迫る形相。戦争を始めるのだ、人間にも魔族にも悲劇を生むことは承知していた。だが今、ヒメから改めてその事実が伝えられる。
そこで話を始めてから、初めてヒメの目線がオーマを向く。枕もとの明かりに照らされた瞳は神秘的に揺らめいている。
「オーマは、言っていましたよね。兄が勇者になる可能性があると。きっとそうだったのでしょう。それほど兄は強く、魔王を、オーマを倒す執念を持っていました」
ああ、実際に奴は勇者となり、俺を殺した。その引き金をひいたのは俺だったというわけだ。だが今回はもうそうはならない。
「ですが、女の子にはそうは思えませんでした。兄は強い。確かにそれは事実でした。それでも魔王には勝てないのではないかと。だって――」
「――私よりはるかに弱いのに」
「え?」
ヒメは何を言っているのだろうか。今のユーシアは確かに弱い。だが魔法こそ使えなかったが、人族として十分な実力は持っていた。それを、
「兄の訓練を覗いたとき、女の子は驚愕しました。あれほど無我夢中で剣を振るった結果がこの程度なのかと。まるで力のこもっていない振り下ろし、虫がとまるほど遅い剣筋。女の子は信じられませんでした」
「兄は女の子にとって大切な家族です。そんな兄をこの体たらくで魔王と戦わせるわけにはいきませんでした。ですから女の子は兄に勝負を挑みました。どちらが勇者にふさわしいかを証明して、兄をみすみす行かせるぐらいなら、いっそ私が勇者になろう、と」
「結果は女の子の圧勝でした。覗き見た兄の実力は正真正銘、兄の本当の実力でした。過労によって重い病気を引き起こした、なんて事実もなく。ただただ弱かったのです」
そこで気づく。俺は彼女の戦う姿を一度も見ていない。彼女の実力はまったくの不明だ。ただ前線の魔族をわずかな時間で全滅させたという事実だけ。
ヒメの実力が俺に匹敵しているとしたら。
城に来る前のヒメの発言が思い起こされる。「襲われてもよかった」「負ける気がしなかった」これが自信と真実に基づくものだったのなら。
俺は戦慄する。彼女は本当に俺を倒すだけの実力を・・・。
「兄は負けても、揺らぐことはありませんでした。妹を戦わせるわけにはいかないと。『私が必ず魔王を討ち果たす。』と」
「そう言われては、女の子はもう何も言えませんでした。ですがそれは女の子にとっても同じでした。兄を魔王と戦わせるわけにはいかない。だから、兄が勇者になった時、私も連れていくようにと言うつもりでした」
「ですが、次の日、兄は行方不明となり、勇者召喚には私が選ばれました。兄が無謀にも一人で魔王に挑みに行ったのではと考えた私は、とるものもとりあえず、護衛に着けられたシャルとともに、勇者として魔王討伐に出発しました。それが数日前のことです」
そこで、ヒメは一息つく。
「あとは、想像にお任せします」
確かに想像はできる。出発した彼女はすぐに前線へ向かいあたりの敵を倒し砦の魔族を一掃し、俺と出会った。
「今でこそ、あんな兄ですが、それでも女の子にとっては大切な兄です。ううん、兄だけじゃない、父も母も城の皆も女の子にとって大切な存在だから――」
「――だから、これ以上皆を傷つけるなら私はあなたを殺します」
突然の生い立ち話に面喰っていた俺への唐突な敵対宣言。それはまぎれもなくヒメの意志だった。
ヒメはただそれが真実であると俺の目をまっすぐに見つめる。だがそこに敵意はなく、まるで懇願するかのような色が見え隠れする。
今聞いた限りヒメたちは仲の良い兄妹だった。それをバラバラにしたのはもしかしなくても俺だ。俺が戦争を起こさなければ、ユーシアをさらわなければ、ヒメが勇者として戦うこともユーシアが傷つくこともなかった。恨んで当然だ。なのに、
「何故、お前は今、俺を殺さない?」
そう。俺たちの邂逅。お世辞にも素晴らしいとは言えないあの出会い。俺の正体を知らなかったのならともかく、俺自ら白状した魔王という事実は、ヒメにとって仇そのものではないのか。あの時でなくとも、今も俺はヒメの前に無防備に横たわっている。
かの聖剣は今、ベッドに立てかけられている。ヒメの手の届く場所に。
すると、ヒメは起き上がり俺の顔を覗き込む。おろした金色の髪が頬に触れ甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ヒメ?」
そのままヒメは俺に口づける。
「オーマのことが好きだから。それだけじゃ・・・ダメですか?」
潤んだ瞳は救いを求めるようにこちらを見つめている。
ダメなわけがない。だがなによりヒメ自身がそれを許せないのでなないか。
「その通りです。私は魔王を倒すべきなんです。勇者としてだけじゃなく、王女としても間違いなく魔王を恨んでいるのに・・・。オーマは卑怯です。何で私はこんなにオーマのことを好きになってるんですか!」
そんなこと、ヒメを好きになった俺が聞きたいぐらいだ。
「責任、とってください。私はオーマを信じると決めました。だからオーマは私を全力で幸せにしてください。これ以上誰も傷つけないでください。私はもう・・・オーマの敵になりたくないです」
そういい、俺にすがりつくヒメ。俺だって同じだ。ヒメを不幸にしたくない。
「ああ、誓う。俺の持つすべてをもって、ヒメを幸せにする。絶対にもう誰も傷つけない。もし俺が約束を破るようならヒメが・・・俺を殺してくれ」
「・・・約束です」
俺のすぐ目の前で涙を浮かべ笑うヒメを俺は右腕で抱きしめた。
ヒメの意志は理解できた。だが分からないのはこの話が先の出来事とどうつながるのか。
「じゃあ、何でユーシアと会わなかったんだ?心配だったんだろう?だがあの時のお前は、少し変だった。」
「それは、兄が何するか分かったもんじゃないからです。」
「酔っ払いみたいな扱いだな。」
「・・・言い得て妙です。兄は自分を取り巻く状況に酔っているのです。だから、死ぬことも厭わない。私が魔王と共にいることを知れば、どんな想像をして、どんな結論にたどり着くことでしょう」
「それは・・・確かに」
あの男なら想像するに難しくない。ヒメが自分の為に身を差し出したと思い、勇者でもないのに死に物狂いで魔王軍につっこむ。さもありなん――だ。
「兄様が無事でどれだけ嬉しかったか」
「え?」
「だって、私のせいだと思うじゃないですか。兄様がいなくなったのは私に倒された次の日なんですよ。そんなの私が追い詰めて殺したようなものじゃないですか」
「いや、死んでないからな」
ちょっとあれだけど。
「そうですね。兄は生きています。本当に良かった・・・・です。・・・ぐす、ひっく」
「お、おい。ちょ」
感極まったかのようにぐずり始めたヒメに俺は慌てる。
「本当に・・・・ずず・・・ぐず・・・・・・わあぁーん!!!」
「ちょヒメ!?悪かった、悪かったって」
ヒメの背に回した手でなでさする。なまじ俺が原因なだけに慰めることもできない。俺の服をヒメの涙が濡らしていくのをただ受け入れるしかない。
結局ヒメが落ち着くまで、アーリアが起きないか戦々恐々としながら、耐えるしかできなかった。
「ふぇ・・ぐすん・・・・・失礼しました」
最後に涙を拭きとり体裁を整えたヒメ。その目は赤くなっている。
「まあ気にするな」
気持ちは痛いほどわかるから。加害者の俺が言えたことではないが。
俺の腕を枕にして寝るヒメに尋ねる。
「何でこの話、俺にしてくれたんだ?」
「何ででしょう?」
「おいおい」
自分でもわからないのかと苦笑いする。
「オーマに罪悪感を抱かせて、より私に従順になるように?」
なんだそれは。
「大成功だな」
「本当ですか?話した甲斐がありました」
冗談か本気かわからないようなことを言う。だがどちらでも構わない。
(惚れた弱みだな)
「ん・・・・んぅ・・・・・」
「・・・・ヒメ?」
「ZZZ・・・」
泣き疲れたのか眠ってしまった。無理もない。ヒメにとっては大変な日々だっただろう。
やがて眠ってしまったヒメを見ながら俺は誓う。
他の何よりも、家族よりもヒメを優先することを。ヒメだけを選ぶことはできない。だが一番に想うことはできる。
そして思う、すべてが落着したその時は、ヒメを誰よりも大切な家族にしたいと。それが贖罪になるかはわからないが。いや、俺自身がそれを望んでいるのだ。ヒメは受け入れてくれるだろうか。
ヒメと築く未来をおぼろげに思い浮かべながら俺の意識もまた薄れていった。
――また夢を見ている。
ヒメが泣いている。誰かの死体を抱きかかえながら。
その背後に俺は立っている。剣を振り上げている。
止まらない。止められるはずもない。
俺はその無防備な背中に剣を振り下ろした。